第9話
「こっちです!」
少女は僕の肩を借りて、意外なほど早足に、決然と館内を行く。しかし一歩ごとに傷が痛むらしく、びっこを引いては眉をひそめる有様だ。
じつのところ僕は、先にリデル嬢らと合流し、この少女の傷を回復してもらってから皆で「妹」を迎えに行こうかとも考えた。しかしその案は肝心の双子が敵を倒し終わってからでなければ危険だ。
館内の様子を知っているのは彼女だけだし、何より「妹」の無事を確かめねばこちらが何を言っても聞かなさそうなので、彼女に合わせることにした。
ここまで、少女は僕への感謝どころか助かったのを喜ぶ素ぶりも見せない。べつに構わない。僕も誰に感謝されたってローラに再会するまでは心から幸せと感じないだろう。同様に、この少女も妹が助かるまで喜べないのに違いない。
倉庫らしき、外側に鍵のついた扉の前に着いた。鍵はかかっていない。
入ると、ある棚には整然と、別の棚には雑然と、食料、酒、日用品、また箱や袋が置かれている。
埃をかぶったものに混じって新しいのは、サマルとかいう、彼女らと同時に被害にあった商人の荷物だった品だろう。
回収できたらした方がいいのだろうが、今その余裕はない。
割れ物の札を貼られた木箱の蓋がズレている。中身は亡者除けの聖水かもしれない。
僕たちは最奥の、古びているが立派な、大きな箱に辿りついた。
「これに隠れるように言ってあるんです。メリッサ、私よ。助けが来たよ」
少女が声をかけると箱の中から、はーい、と返事があった。
2人で蓋を持ち上げて開けると、果たして、少女の宝、幼い妹のメリッサが現れた。
ところで、箱の底には、つっかえ棒と聖水の小瓶が数本転がっているが、これは姉妹が自分たちで持ち込んだようだ。他には何もない。
強盗一味もこの箱を開けた筈だ。空にしたのはもっと昔の人かもしれないが。
最も目立つ、しかし強盗一味が空だと認識している箱。なるほど、助けを待つには丁度良い隠れ場所だ。
メリッサは4、5歳ほど、髪は姉と同じ栗色の巻き毛、頭部に包帯を巻いている。
「お姉ちゃん!」
箱から出ると姉妹で抱きしめ合ってくるくる回る。少女は妹の肩越しに僕を見て初めて笑った。
「ありがとうございます……本当に」
それから妹に僕のほうを向かせ、
「ねえ、ここに、私達を助けてくれた人がいるのよ」
と言い聞かせた。
「あいがとおざいます」
女児はぺこりと頭を下げた。微妙に体の向きが僕のいる所からズレている。というのも、女児の両目は包帯に完全に隠れていたのだ。
「メリッサは、赤ん坊のころ目を痛めて失明してしまったの。だから、ここからは私が手を引いて行きます。でもその前に、この子の手を握ってやってください」
僕は血に汚れた右の手袋を外し、小さな手を指先で握った。
「メリッサ、良い子だ。必ず皆でここから出ような」
触れて確かめようとするのは、見えないから、僕が亡者であることを知らないから。僕個人への思いなどないのは分かっているが、ジュゼット兄妹の余所余所しさよりよほど、温かみを感じた。
ただしこの女児からも強烈な、亡者除けの聖水の気配がした。
「これ、お姉ちゃんのぶん」
女児が箱に隠していた聖水を姉に渡すと、姉も僕の苦手な気配のする人になった。
「はい、おにいさんのぶん」
「僕は大丈夫……」
というか、おもに聖水が僕を大丈夫ではなくしているのだが、それは言えない。
「あら、あなた顔色が悪いのでは?」
「おにいさん、がんばったから、つかれちゃったの?」
聖水のせいだけではない。ラケル氏の言っていた強化魔法の反動とは、このことか。頭がふらふらしてきた。
「ここは埃っぽいから、息苦しくて。でも大丈夫だから、本当に」
自分も怖い思いをしているのに労わってくれる、優しい子たちだ。嘘をつくのは心苦しい。
でも、それどころではなかった。
敵は人質を諦めていなかった。
バタン。
近くの部屋の戸が開閉する。そして足音。
「チッ、ここにもいなかったか」
ベランダで聞いたのと同じ声。
凍りつく姉妹。
僕は再びナイフを構えた。
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