第5話
件の屋敷が見えてくると、向こうからは死角になる位置に馬車を止めた。
双子は、自在箱から亡者避けの聖水の小瓶を2つ取り出し、互いの身体や服にふりかけている。
息苦しい気配が馬車のなかに満ちたが、そう感じているのは僕だけだった。ある事を思いついた。
「お二人の、空になった瓶をもらえますか」
「ほらよ」
「気をつけて」
教会の印が象られた紺色の瓶を2つ、外套の内側にしまった。
それぞれ魔法灯を上に向けないよう用心して、夜の森の地面に下りる。ラケル氏はリデル嬢に片手を貸していた。
「さて姫、いよいよ剣の舞のラストダンスだ」
「剣は苦手ですの」
「よく言うぜ」
リデル嬢が自在箱から取り出したのは、優美な装飾を施された槍だった。
夜露に濡れた下生えを踏みしめて丘を登る。途中の岩陰で、二人が待つことになり、そこからは僕一人で館を訪ねるのだ。
リデル嬢が僕に警告した。
「大きな怪我をなさいませんように。貴方は私では治せませんから」
魔法灯を頼りに、山道を登る。途中に水たまりがあったので聖水の容器だった小瓶二つに水を汲む。
亡者を何人か見かけたが、誰も僕に関心を持たなかったので、苦もなく通り過ぎて行けた。
……あの廃屋はやつらの大半の生まれた家より立派だろうが、だからってこんな半分死んだような場所に長く住む気は無いはずだ。
連中が移動する時、拐われた女たちはどうなる? ……慰み物にされた挙句、殺して棄てられるか、そうならないよう悪事の片棒を担いで暮らす羽目になるか、どちらかだろう。
と、銀狼亭の亭主は語った……とラケル氏は話していた。
やがて館の敷地に入った。館は荒れて、門は柱しか残っておらず、庭は崩れた塀の外と同じような草に覆われた単なる平地と化していた。見張りでも置けばいいのにと思いながら玄関に着いた。
間抜けな金持ちの従者というていで接触をはかるつもりでいた。
耳を澄ますと、数人の男の話し声が聞こえた。
「ケトスの旦那、あの女をどうするかな」
「回復魔法云々はウソだったんだろ」
「でもガキを質にとれば何でも言うこと聞きそうだよな」
「まあどうせ俺らに順番は回ってこねえだろ」
玄関の扉を叩くと、何だよ、と中で声がして開いた。4人の男がいる。
僕は用意していた話をする。
「主人と旅をしていたところ、馬車が壊れてしまいまして。一晩泊めていただけませんか。我が主人は謝礼を弾むと申しております」
4人は顔を見合わせ、うち1人は「親分に知らせてくる」と奥へ引っ込んだ。
親分相手に下手を打てば、こちらの目論見は台無しだ。僕のほうがこいつらを引っ張りださねばと焦った。
「あの、お二人は一緒に来て! 荷物を運ぶのを手伝ってください。お礼も……」
僕は声を出すのをやめた。
奥のほうから、女性の悲鳴のような声が聞こえたからだ。
「ごめんなさい! ギャーッ、やめて、この子だけは!」
「だまれメス豚!」というような罵声もした。
ここに残った男3人の視線が僕に注がれた。
「何か聞いたか?」
困った。彼女らを今すぐ助ける力は僕にない。そして無邪気なカモのふりをし続けるのも不可能だ……。
僕は腹をくくった。どうせここには騙すために来たのだ。
「女の悲鳴なんて聞きませんでしたよ。
女といえば、私の主人も女連れです。そろって人使いが荒いもので、働き口を他に探そうかと思っているところです」
「まさか、そいつらを売って俺たちに加わりたいっていうのか?」
方便にもせよ主人を売るなどと仄めかした以上、こいつらにとって僕は何を言っても信用できない奴と映るだろう。
けれど、人は信じたいことなら信じるものだ。
「そうは言っていません。私たちは今夜の宿と荷物のお世話になりたいだけです。主人は自分の下僕には厳しいが、他所様の客となると金払いの良い方ですよ」
彼らは互いを探るような目で顔を見合わせている。もう少しだ、たぶん。
「亡者避けの聖水なら、私にも2つ持ち合わせがあります。足りない分は貴方がたの蓄えからくすねてでも、来ないと損ですよ」
1人は別の部屋、たぶん倉庫にでも行った。2人は僕の渡した瓶の中身を身体にふりかけ始めた。
ふと、サマルとかいう若者の懐具合は本当のところどうなんだろう、と僕は思った。
「先に行きましょう。ついて来てください」
この2人しか来なかったら上手くないが、長居は禁物だ。つかず離れず早足で……と思っていたら、庭に出てすぐの所で2人に捕まった。
「あんたを人質にして、ご主人サマとやらを強請るほうが話が早いだろ」
後ろ手に縛られている。そのこと以上に、この姿を見られたらラケル氏にどんな悪態を吐かれるか、白いローラを思わせるリデル嬢にどんな冷たい眼差しを向けられるか、それが情けなかった。
それに、もっと恐ろしい事が思い浮かんだ。僕が亡者だとバレたら?
亡者は不死だが、半永久的に封じこむ手段ならいくつかあるのだ。
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