第3話
この世には魔力を持つ人々が少数ながら存在する。彼らは必ずしも強者ではないが、彼らを危険視し迫害する者がいて、あちこちで小競り合いが絶えない。魔力を持つ者を狩る行為やそれを為す者をを魔人狩りという。
こうした輩がいなければ、世界はもう少し平和になるだろう。なお、ローラは強大な魔力の持ち主だ。
穿月塔の一画にある、ラケル氏お気に入りの酒場兼宿屋「銀狼亭」に呼び出されたのが3日前の夜。
店内は荒くれ者たちで混雑していたが、氏の波打つ金髪を無造作に結った後姿が目を引いた。
「遅ぇよ。何のために上がりの早い職場に紹介したと思ってやがる」
「ローラを探すためです」
断じてこの男に使われる為じゃない。
氏は仏頂面のまま、取り皿に串焼きの肉を一串のせて僕に寄越すと、本題に入った。
「東都から少し北にある尼僧院への道……『祈りの道』と呼ばれる道だが、そこを掃除する。手伝ってくれないか」
串焼き肉から湯気と香ばしい匂いが立ちのぼる。「普通の人間」らしく振る舞うためにも一本食べてみようか。以前の僕なら容易く籠絡されたかもしれないが、いまは違う。
「魔人狩りだ」
氏の一言に顔を上げると、串が皿の上にガシャンと落ちた。
「広い意味で、俺たちの敵だよ」
僕は魔人狩りを憎んでいるし、ローラが生まれたジュゼット家は魔人の家系だ。
話によると、その辺りに魔人狩りと思しき強盗団が出没するという情報を得た。折しもラケル氏の双子の妹リデル嬢が近々その道を通って尼僧院に入るので、その前に排除したいそうだ。
「そういう意味の掃除ですか……」
ローラには異母兄弟が多い。ラケル氏もその一人だが、彼と兄弟姉妹の中で最も仲の良いのがリデル嬢。ローラとは血縁ゆえの共通点もあるが、また違った美しさのある女性だ。
長い銀髪も目に涼やかな、スラリとした姿。金髪のラケル氏とは太陽と月のように好一対をなす。じつは今の話を聞くまで、女性と見紛う美少年の弟と思っていた。神聖魔法の素質もあるらしい。
「あいつなら魔人狩りなんぞ返り討ちにしてやるさ。けど、これから虫も殺さないような尼さん達と暮らすのに、新入りが血塗れじゃあ幸先わるいじゃないか」
この美しき魔人の一族は皆どこか猛々しいところがあるようだ。
強盗団についての話はこうだ。
銀狼亭の亭主に知らせたのは、サマルという行商人の青年。馬車ごと襲撃され、被害者でただ一人、強盗団の住処から脱出できた。同時に拐われたのは3人の女性。うち1人は歩くことも覚束ない病人。あと2人は姉妹で、妹は盲目の幼い子供、姉は回復魔法の使い手だが魔力はごく弱く、他2人の病気も目も治せない。強盗団の人数は分かっているだけでも5人いる。
サマル氏は街道沿の宿場町で、尼僧院へ行こうとする女3人に出会った。親切心から、取引先の開拓がてら彼女らを馬車に乗せて行く途中で襲撃され、脱出後に、助けを呼ぶにも当地に知人がいないので銀狼亭の亭主を頼った。
なお、強盗団と魔人狩りを結びつけたのは銀狼亭の親父の推測だ。根拠は、姉妹の姉のことと、尼僧院が女たちの避難所にもなっている現状。魔人狩りから逃れようとする女、東都の娼館から脱走した元娼婦など。たいてい着のみ着のまま逃げて来た貧しい境遇の女たちだ。旅人を狙う悪党の中でも、魔人狩りか強姦魔でもなければ旨味を感じない場所が「祈りの小径」だ。
そこを、訳あって没落したとはいえ由緒ある家の娘が、奉納品だか何だかを積んだ馬車で通るのだから警戒するのは尤もだが……。
ラケル氏の話が一段落すると、僕はやっと疑問を口に出せた。
「何故僕に? 戦える訳でもないのに」
そればかりか、塔からあまりに遠く、ローラ探しに関係あるとは思えない。
ローラの兄弟の心象をこれ以上悪くしたくないが、目的と関係ないことにまで従うのを当然視されるのはもっと嫌だ。なるべくローラのために時間を使いたい。
「お前が言うのかよ。……こんな耳目のある場所で皆まで言いたくねえな」
ラケル氏は深く溜息をつき、声をひそめて語り出した。
「認めたくないが、賞金首になったあの女……お前の愛しい人は俺たちの姉にあたる。妹が日陰者扱いされずに生きていくには尼にでもなるほかない。その罪の結果、存在しているのがお前だ。
まあ、だからってお前に責任を問うのは筋が悪いとわかっているが……。
それに、責任云々を脇に置くとしても、お前には大きな利点がある」
「利点」と言ったとき氏はその言葉に似合わぬ渋面を作った。酒を一口飲んで続けた。
「死なないこと、そして食うために狙われないことだ」
そこに、頭上で柔らかな声がした。
「お兄様、出発の用意ができました」
「おう、お疲れ」
ラケル氏はしかめっ面をやめた。その隣に腰掛けたのはリデル嬢その人。美貌を隠すかのような実用一点張りのフード付きマントを羽織って、なお際立つ青い瞳、こぼれる銀髪。この世で最もローラに近い存在。だが僕にとって、特殊な意味で近寄り難い人だ。
挨拶するにも困惑を隠せた気がしない僕に、彼女は微笑んだ。
「あなたも来てくださったのですね。居心地良くないでしょうが、生きている人には回復魔法が必要ですから、しばらく我慢なさって。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしく……です」
「助かりますわ」
行くとは言ってない、と言えなくなってしまった。彼女はマントの下に既に胸当てを着けていた。
「じゃ、決まりだな。腹ごしらえしたら行こうぜ」
「えっ、僕の準備は……」
双子は同じ皿から、まだ湯気の上がっている串焼き肉をつまみ始めていた。僕の声に気づくと二人ともこちらを向く。リデル嬢はこちらをじっと見ながら口を動かしている。お育ちの良い淑女は食べながら喋ったりしないのだ。一方ラケル氏は面倒くさそうに答えた。
「必需品もへったくれも無ぇだろ、お前の場合」
「武器とか……」
僕もベルトにナイフを差しているが、それは成人男性の習わしだし、かといって女性はナイフを持たないといった決まりもない。この程度は武装のうちに入らないのだ。
「いまより上等なモン与えたって、使いこなせなきゃ意味ねぇだろ。ま、いまある物で上手くやれ」
これにはぐうの音も出ない。しかし、僕には言うべき事がもう一つある。
「報酬は?」
「この国から、俺たちの大嫌いな魔人狩り集団が一つ減る」
「はぁ⁉︎」
「いや、助けた人数1人当たり金貨100枚……貧しい女たちに代わって一生かけても恩は返すと商人の倅は言ってたが……気の長い話になりそうだぜ」
リデル嬢がやっと口を開いた。
「ではお兄様、賊から没収した品物で、持ち主の分からない物は半分、この方のものにするのはどうでしょう?」
「ふむ。じつは俺もそう言おうとしてたんだ……って、三等分じゃないのか」
「私は尼になる身で、いまさら持ち物を増やしても仕方ありませんから」
このとき彼女の姿に後光が差しているように見えたが、続く言葉はそれをかき消した。
「どのみち私達の手持ちより良いものは手に入らないでしょう。けれど、この方はべつです」
ラケル氏はこちらを向いた。
「だとよ。どうだ? 引き受けるならそれを食って出発だ。いやなら帰って、魔人狩りへの恨みを勝手に燻らせていればいい」
魔人狩りを憎むのに理由は要らないと僕は思っているが、強いていえば、ローラが魔人だから。
僕が一度死んだ経緯にも関係あるようだが、確かなことは思い出せない。
僕は、ローラによって蘇らされた「亡者」だ。猛獣や怪物に食われにくいのも、神聖魔術の素質があるリデル嬢を苦手なのも、それが理由だ。
僕のぶんの肉は取り皿の上で冷めている。
彼らは亡者と同じ皿から食べたくなかったのだろう。
その事を考えず、食べることにした。
必要なものではないが、この味がせめてもの慰めだ。
死者を蘇らせる術は重大な禁忌とされているので、ローラは罪人となり、一族の名誉は地に堕ちた。掟により、異母兄第たちも財産の半分以上と身分を剥奪されることになった。近々、居城も明け渡さねばならないとか。
双子にとって僕は、ローラの罪の証拠だ。
魔人狩りなんてものが無ければ、きっとローラと僕も、こいつらも、こうならなかっただろう。
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