第37話 名もなき薬
最初は特にウォルターに変化はなかった。
普通の顔をしてアスカを見ている。
「ああ、大変だ。服を脱いでおかないと、元に戻った時に破れちゃうな。」
愛らしい薬草師の少女はアスカの目の前でサッサと服を脱ぎ始めた。
今は女の子とは言え、アスカの心は男、咄嗟に目をそらせる。
チラリと視界に入ったウォルターは、まだ棒のように細い手足と凹凸のない身体だった。
(幼い…本当に子供なんだな…)
アスカが、ふと足元に伸びたウォルターの影に気がつく。
お日様が大急ぎで落ちていったかのように、その影はどんどん大きくなっていった。
「ウォルター…?」
アスカが顔を上げてウォルターがいた方を見る。
「ウォルター…?」
そこに立っていたのは、ピンクの髪の愛らしい少女ではなかった。
そこにいたのは逞しい青年。
ピンク色がブラウンになった長いボサボサの髪、天井に着きそうな背丈、筋肉が盛り上がっている体、何もかも正反対だった。
ただ、元気そうな瞳の優しい光はそのままに見える。
「ふう!」
大男ウォルターは、ひどく狭いところから抜け出したように体を四方に伸ばした。
身体中からバキバキと音がする。
一糸纏わぬたくましい体は生まれたばかりの彫刻のようだ。
ジッと見つめるアスカに気が付いて、ウォルターは近場にあったシーツを体にはクルクル巻き付けた。
「どっちが本当の姿か分かる?」
呆然とするアスカに問いかける。
アスカはハッとして、その質問の意味を考えた。
少女ウォルター、大男ウォルター。
そしてその質問はまさに自分にも当てはまるとだと気がつく。
少年アスカ、少女アスカ。
どちらが本当の自分か、ということは、自分にも分からない。
唯一出来ることは、自分で決めることだけだ。
「ウォルターは、どっちの自分が好きなの?」
アスカの質問返しに、ウォルターはニヤリとした。
「どっちも面白くてね、気に入ってる。
ま、元はと言えばこっちの姿で25年生きてたんだけど、女に変身後もそんなに違和感はないんだ。
ある偉い魔法使いが言ってたんだがな、人間ってのは生まれる前は男でもあり女でもあるらしいんだ。
つまり、もともとどっちの要素も持ってるってワケだな。」
アスカはフームと考えた。
「なるほど、そうかもしれないですね。
ボクが生まれた人魚の村の子供は、生まれた時には性別はありませんから。
何らかの理由で性別を決めることなく生まれてしまうのかもしれません。
あ…ウォルターさんは、どうやって女の子に変身するようになったのですか?」
ウォルターはさっき飲んだ薬瓶を見せながら言った。
「これこれ。これを作ってしまったせいだな。
元はと言えば、ある高貴なお方に頼まれて不老の薬のレシピを探してたんだ。
別に死にたくないわけじゃなくて、死ぬまで若く美しくいたいんだってさ。
女ってのは業が深い生き物だね…。
で、探し回った結果、人魚の木に辿りついたんだが、研究しているうちに偶然にも性転換の薬を作っちまったんだ。
自分だ試したんだが、これが厄介でね…いや…」
ウォルターはアスカをチラリと見て口を濁した。
アスカは、性転換の薬が実在することに驚愕している。
「性別を…薬で変えることができるんですか⁈」
もしかして自分も男に戻れるかもしれない、そんな希望の光が胸に溢れる。
「出来なくはないかもしれないが、まず適正がある。
動物での実験では8割が失敗して肉体が溶けるように死んでしまった。
残りの2割も…」
「2割も?」
アスカがウォルターを見ると、ひどく青ざめていた。
肩が小刻みに震えている。
「ウォルターさん、大丈夫ですか?」
美しい茶色の瞳で覗き込むアスカ。
「だんだん…酷くなる…副作用だ…」
ウォルターはヨロケながら部屋を出て、キッチンに入った。
そしてそこの籠の中に閉じ込めてあった白いウサギを引っ張り出す。
グッ、ガガッ
その生贄の喉元に食らいついた。
ウォルターは砂漠で迷った旅人が水にありついた時のように、ゴクゴクと音を立ててウサギの血を飲み込む。
「ウォルターさん…!!」
アスカは口を押さえてその様子を見ていた。
ウォルターの口元は真っ赤に染まる。
哀れな白いウサギは足を痙攣させている。
ボトッ
小さな亡骸が床に落とされた。
「ダメだ…もうこんなのでは…ダメだ…」
ウォルターはアスカを見た。
その目は人間のものではない、血に飢えた獣だった。
咄嗟に逃げようとしたアスカの腕を恐ろしく強い力で引っ張り、床に押し倒す。
「やめて下さい!」
抵抗するアスカ。
しかしウォルターはアスカの頭を押さえつけて逃がさない。
ウォルターの目がアスカの白い喉に浮かぶ青い血管を捉えた。
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