第31話 麦畑の村
その頃ジェイドは、濁流に流されたアスカの捜索を終えたところだった。
終えたと言っても当然アスカを見つけたわけではなく、中央の国からの急ぎの帰還要請で諦めざるを得なくなってしまったのだ。
アスカやクラウスの他にも濁流に呑まれて行方不明になってしまった騎士たちがいて、何人かは遺体で発見された。
皆、口には出さなかったが、アスカの生存は絶望的だと思っていた…もちろん、ジェイドは決してそう思っていないようだったが。
ジェイドは一部隊を残し、中央の国へと急いだ。
アスカは中央の国近くのクラウス一族の領土に、レオンはコウモリの町に、ジェイドは中央の国に…。
「見えてきました、アスカ様!」
若き騎士クラウスは嬉しそうに言った。
洞窟から脱出して1日半、山道を下りやっと見知った場所に出てきたのだ。
「数年前に一度、違う道から馬を走らせて来たような場所ですから自信がなかったのですが、間違いなかったようです!
村の外れの小さな湖のそばに私の父が持つ屋敷がありますのでお連れ致します!」
「ありがとうクラウスさん。お世話になります…」
アスカは新緑のような瑞々しく美しい微笑みをクラウスに向けた。
どんなに疲れていても、アスカは奇跡のように美しかった。
(いや…日に日にお美しくなっている…)
クラウスは密かに思う。
(私が鬼畜にも劣る愚行をしたというのに、変わらずお優しいアスカ様…。
必ずこの私がお守りしてみせる!
そしていつかまた…)
クラウスは少しよろけたあすかの白い手を取った。
この手こそが、我が運命だ。
その村はとても小さいが、見渡す限りの麦畑が広がっている。
サワサワサワ
道を歩くと耳に心地よい穂の音が聞こえる。
(レオンは今頃どうしているかな…)
ふとした瞬間にアスカが思い出すのはレオンのことだった。
小さい頃、一緒に黄金に輝く麦畑の中を駆けっこした。
レオンはアスカよりずっと走るのが早かったが、遠く離れることはなかった。
アスカを見守る優しい瞳
アスカは思いっきりジャンプしてレオンの胸に飛び込む
2人はフワフワの麦の畑に倒れこみ、大笑いするのだ…
(あの頃からボクは、レオンが好きだったんだろうか…)
しかしそれを認めてしまうと、宝物のような大切な思い出を全て汚してしまうようで、考えないように頭を振るアスカだった。
「クラウス!」
前方から馬に乗った男が近づいて来た。
「兄上!」
それはクラウスの兄、ノアだった。
ノアは馬から降りてクラウスとアスカをマジマジと見る。
ノアはクラウスとはあまり似ていない、線が細く長い黒髪の美しい男だ。
「生きていたのか…!良かった!いや、騎士団から早馬の使いが来たのだ。
クラウスが虹の谷の濁流に呑まれて行方不明になり、安否の確認が取れないと。」
「…兄上、とにかくこちらのお方を早く屋敷で休んだいただきたいのです。
お話はその後に致しましょう。」
3人は麦畑の先にある屋敷に向かった。
小さな湖のほとりにあるその黒い屋根の屋敷は、大きくはないが田舎にそぐわぬ豪華な造りで、クラウスの父が結婚するときに黒髪が美しい妻に贈ったという。
クラウスは屋敷に着くなりアスカが休める場所を探し、不便がないように召使いの手配をした。
「驚いたな…」
クラウスの行動を見て心底驚くノア。
「中央の騎士団に入ったとは言え、いつまでも幼さが抜けずにいると思っていたお前が、一人前に女性をエスコートしてるなんて。
一体、あの美しい彼女は何者なんだ…?」
ノアも少なからずアスカの異様な美しさに心を奪われているようだった。
「何があったのか、という野暮なことは聞かないが。」
クラウスの瞳は、体を重ね恋に狂った男の目だとノアには分かった。
「兄上は、どうしてこの村に?」
「騎士団からの知らせを受けて、思い出したことがあった。
昔、やはり虹の谷で濁流に呑まれてた男が何故かこの村にたどり着いたという噂だ。
地下の何処かで繋がってるのかもしれないと思っていたんだよ。
もし生きているならここに来るんじゃないかとね。」
「…兄上、その事は騎士団にご報告されましたか?」
「いいや、知らせを聞いた時は気が動転して思いつかなかったんだよ。
おお、そうだ、急ぎ中央の騎士団にお前の無事を連絡しなくては…」
「お待ち下さい兄上!」
クラウスはノアを止めた。
「私は…私はもう騎士団に戻るわけには参りません。」
「?!何故だクラウス!
騎士団に入団したならば、生きている限りその身を捧げるのが勤めではないのか?」
答えられないクラウスはチラリとアスカを見た。
ノアは全てを察した。
全てあの女のせいだろうと。
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