chapter 8

「その話は」

 ウミノはまだ長い煙草を水を張ったバケツの中に放り込むと続けた。

「俺たちが墓場まで持ってくしかないな」

 その表現が妙に芝居がかっていたので、僕は彼がどの程度本気で話しているのか、あるいはいつものように彼の好きな笑いの緩衝材でコーティングしてこの場を終わらせようとしているのかの判断が一瞬つかなかったが、彼の表情は、言葉がそのままの意味であることを示していた。

 会社の喫煙所。僕はウミノと横に並んで立っていた。喫煙所と言っても、フロアから建物の外側にある非常階段へ至る小さなテラスに灰皿代りのバケツを置いただけのスペースだ。煙草を吸わない僕は、滅多にここに来ることは無い。僕はウミノが消した煙草の煙が鼻先に漂ってくるのを感じながら、喫煙者と非喫煙者の実働時間は煙草休憩分きちんと差し引きして計算して欲しいな、と階下に見える小さな建物の屋根を見ながら思う。

 とは言え、冬場に吹きさらしのこんな場所でしか煙草が吸えないことを思うと、喫煙者に対してほんの少しの同情も湧いた。

「俺さあ」

 暫く黙り込んでいたウミノが言う。伏せた目はぼんやり右手に持ったライターを見つめているが、そこにあるものに焦点を合わせている訳ではないことはすぐにわかった。

「友達が少ないっていうか、あんまりすぐに出来ないんだよね。人見知りだし。だから仲良くなった人って大切にしたいって思ってる」

 表情は読めない。視線はまだ煙の行く先の中で焦点を決めあぐねている。

「大学時代からのずっと仲良くしてた奴がこの間死んでさ」

話題の転換に僕は若干驚きはしたものの、何とか聞き返す。

「いつ?」

「葬式やったのは先々週かな。同い年で、まあ、がんだったんだけど。見つかってから三ヶ月で死んでさ。最初に気がついたの俺なんだ。旅行行った時にそいつが階段登れないとか言い出して。前の日の夜に結構飲んだし、飲みすぎだろなんて言ってたんだけど、呼吸も変だし、一度病院行ったら?って検査したらがんがわかって即入院して。それで三ヶ月。見舞いにも何度も行ったんだけどさ、そいつガンガン痩せてって薬で髪の毛も抜けるし。お前誰だよみたいになっちゃって」

 いつも僕らの話を茶化してばかりのウミノがこの数ヶ月、そんな事情を抱えていたことなど僕は全く知らなかった。

「超泣いたよ」

 下を向いてぽつりと雫が落ちるように話す。僕はウミノの方を見れないでいる。彼の表情を見たくない、と思う。

「だからあんまりもう仲のいい人なくしたくないんだよなって、話繋がってる?」

 ウミノは目を大きく開いてこちらへ視線を突然投げ掛けてきた。彼の少し眠たげな瞳は充血していて、僕はそこから逃げそうになる自分をなんとか押しとどめた。空気をすぐに読みたがる彼は自分の話をしていても、相手にもすぐに確認を取る。この話長くない?この話面白い?この話前にした?

 僕は彼の視線に押される形で「繋がってる」と言う。

 入社当時、一番喋っていたのは僕だった。

 それは、同期が集まると今でも不思議がられる七不思議の一つと言っても良い。

 未知の世界が不安だった僕はとにかく話して接触の機会を作ることで少しでも安心感を得たかった。

 その頃のウミノは同期とさえほとんど喋らず、ただ僕がべらべらと喋る内容を控えめに笑って聞いてくれていた。以前、ワカシマの結婚式で余興として会場に流すVTRを同期で作った時、それまで旅行やらバーベキューやらをしたときに戯れに撮り溜めていたビデオを見返したら、始めて全員で行った箱根旅行の映像があり、僕は恥ずかしくなるほどの空元気で全員の周りを歩き回っていた。今の目でみれば周りの同期全員失笑していることが一目瞭然だが、当時の僕は何もしないことの方が怖くてただ喋り続けていた。

 その映像の中で、ウミノは静かに笑うだけだった。今では彼が一番雄弁であることは同期全員の意見が一致するところだ。

 その彼が、今また静かに俯いて黙っている。

「結婚したいと思うのは普通のことだよ。当然のことだよ」

 ウミノが口を開く。

「結婚したくないなんてのはどこかに欠陥があるんだよ。おかしいもん、生物として」

 ウミノの顔はとても疲れているように見えた。僕は言葉が見つからずに右手の中指の爪を親指で弄り続けている。

「仕事戻るよ。いろいろ話してくれてありがとね」

「うん。また」

 ウミノが非常階段に通じる重い鉄製の扉を開けて、隙間に体をねじ込むようにして出て行ってしまうと、後には彼が吸っていた煙草の残り香と僕だけが残った。

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