03
機嫌は直ったようだ。先の沈んだ声と様子は気になりはしたが、あまり突っ込んで聞く話でもないだろうと青年は黙々と自分の握り飯を口に運ぶ。
お腹いっぱい。握り飯一つで満足しきったエミルは改めて青年に礼を言う。その間に彼は三つほど食べ終えていた。
「もう良いのかよ。そんなんでよくここまで育ったなァ」
笑って、何気なく青年はエミルに手を伸ばす。その動きに気付いたエミルは、ビクリと身を震わせたと思うとさっと彼の手をかわした。
途端に青くなった顔と、泣きそうに歪んだ表情。無意識下で彼女の中の「触れてはいけない何か」に触れてしまったようだ。
「悪ィ」
「あ、ううん、あたしこそゴメン」
眉尻を下げて何とか口角を上げるエミルの笑顔は弱々しいのに、青年の中では引っかかるものがあった。何だろうか、すぐには気付けない程些細な何か。
「あの……触らない方が良いよ。私、汚れてるから」
どこか泣きそうで、それでいて泣かないその笑みが青年の心に突き刺さる。傷付いて、悲しんで、それでも笑うその
もう、見飽きた。
しかしエミルの一体何が「汚れている」というのか。先の握り飯は包み紙越しに握っていたし、彼女自身もきれいな身なりをしているし、柔らかそうな肌も汚れているような印象は受けない。左肩に巻かれた包帯は気になるが、これが関係しているのか否か。
いや、彼女が言う「汚れてる」は、もっと根本的な部分のような気もする。例えば、そういう仕事。例えば、トラウマ。
「悪かったよ。もう触ろうなんてしねぇから、機嫌直せ」
「あ、機嫌悪くしたわけじゃ……ごめんね。もう大丈夫だから」
ふにゃん、と柔らかい笑顔になったエミルを見て、青年も安心した。最早彼女の何を怪しんでいたかすら分からない。
少し考えた末、青年はまた荷物を漁って中から取り出したものをエミルに差し出した。
「女って、花好きな奴多いよな。エミルはどうだ?」
「お花……好き」
先の握り飯で断っても無意味だと分かって、大人しくそれを受け取る。白い造花だった。
「……アネモネ」
「その花の名前? 詳しいのか?」
「趣味程度だけどね。花言葉とか、少しは分かるよ」
「へぇ」
じゃあそれの花言葉は? と青年が興味津々に聞く。
「白いアネモネは、真実、期待、希望」
「幸先明るいじゃん」
「……うん。そうだね」
一瞬目を伏せたような気はしたが、すぐにエミルは笑った。にっこりと無邪気に、恐らく年相応に笑う様子が可愛らしい。妹でも居ればこんな感覚なんだろうか。
ありがとう、ともう一度笑ってからその場で立ち上がり、エミルはおしりに付いた土埃を両手でパンパンとはたいた。
「そろそろお迎えが来るだろうし、帰るね」
「おう、そうか。またな」
お気に入りだと言うし、この場所に来ればまた会うこともあるだろう。そう思って気軽に言った言葉だった。それなのに、その言葉一つにもエミルは眉尻を下げた。
泣きそうで、やっぱり泣かない。そんな笑顔で
「バイバイ」
一言そう言って、パタパタと走り去ってしまった。
また地雷を踏み抜いてしまっただろうか。今度は何が悪かったのか。随分と地雷が多いようだが、まだ子供だ。大人になれば変わるだろうか。
ぼんやりとそんなことを思いながら、青年はまたその場に寝転がった。
どれくらいそうしていたか、周囲の空気が変わった気がして青年は目を開けた。途端、どこからとも無く、リン……と鈴の音が響く。
「
鈴の音。何の感情も感じられない、固く冷たい声。
嫌な予感しかしないなと思いながら、のそりと起き上がり腰の剣に手を添える。
今その声が言った名は、青年のそれだった。つまり声の主にとって青年──康太は
世の中には殺し屋が
いや、まだ鈴の音と言葉で自分がその者の
鈴の音に次ぐ
飛んで来た複数個の小型武器を、抜いた剣で弾く。視界の端で確認出来たそれは、苦無のようだった。
殺し屋にしてはマイナーな武器だ。苦無と言えば、殺傷能力は低い筈。それに苦無が飛んで来た方向から、『氷の刃』が居る大体の場所の検討もついた。
失敗無しの殺し屋のすることか? それともわざとなのか。
ザ、と微かな音と共に木の上から降りて華麗に着地したその姿には、確かに覚えが無い。知っている情報の中にも無い。白い和装も、顔の下半分を覆い隠すほど大きく、風になびくほど長い襟巻きも、色黒の肌も、凍りつくような冷たい色の瞳も。長い前髪も相まって、その顔を確認することは難しそうだ。身長は恐らく自分より少し低い程度、体型はダボッと着た和装で分かりにくいが、帯を見る限り恐らく痩せ型。
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