02
湖のほとりを、少女はご機嫌な様子で歩いていた。
空は快晴。風も強くなく優しく吹いていて、陽光は湖を囲むように生い茂る木々が程よく和らげてくれている。少女の薄茶の髪は、木々の影の合間から落ちる光に照らされると金にも輝き、胸元のネックレスと耳元のピアスは歩く速度に合わせて右へ左へ、前へ後ろへと揺れていた。時折両腕を左右に広げ楽しそうにクルクルと回る様子は、少女を外観年齢よりもずっと幼く見せている。
一株の木にもたれかかって寝ていた青年がぱちりと目を開けた。
「……ん?」
降り注ぐ光の中、舞い遊ぶ蝶のようにふわふわくるくると動く様を見て、妖精のようだなんて思う。
が、青年から見れば少女は少し不審でもあった。面倒だが放っておくわけにもいかない。のそりと起き上がり重い腰を上げて、ゆっくりと少女に近付いた。
「おーい、そこの嬢ちゃん」
「はーい?」
くるりと振り返った、少女自身が不審なわけではない。いや、突然声をかけたのに驚かなかったのはどうかと思うが、キラキラしつつもぽやんとした雰囲気に突っ込む気も霧散する。
何があっても許してしまいそうな雰囲気を持っているもので、それではいけないと青年は軽く頭を振った。
「あんた、名前は? 何でこんな所に居るんだ? どっから来た?」
「え? あっちから」
「いや……そうじゃなくてだな。どうやってここに来たんだ?」
表情を引き締めて聞けば、少女は「んー」と小首を傾げる。
不審な点。この湖には居ないが、雑木を抜けるとフィールドには魔物が居る。周囲の町や村からも離れていて、なんの力も無い少女が、傭兵も雇わず無邪気に入り込めるような場所ではないのだ。
だが少女はにっこりと可愛らしく笑って、あっさりとその答えを口にした。
「名前はエミル。エミル・クロード。ここはあたしのお気に入りの場所のひとつだから、時々お散歩しに来るの。このすぐ南に町があるでしょ? お城があるとこ。そこに知り合いが居てね、送ってくれるんだ」
言われて、なるほどと青年も納得した。南の町なら四半刻もかからずこの湖に着く。送ってくれる人物も護身程度に戦えれば、この辺りの魔物相手には充分だろう。
「んじゃ、帰りはどうすんだ?」
「適当な時間に迎えに来てくれることになってるよ」
「そっか」
納得して、話を終わらせようとして、だが気付く。
お気に入りの場所に散歩、は問題ない。知り合いの送迎があるということもまあ自然だ。気になったのはそこではなく。
「家族、とかじゃねェんだな」
「違うよー。家族は十年前にみーんな死んじゃったし、育ての親は南の大陸で隠居してる」
何となく。本当にただ何となく聞いただけの問いに、エミルは相変わらずの無邪気な笑顔でさっぱりと返した。
十年前……エミルの見目は、上に見ても十代後半かといったところだ。性格を考えればもう少し若いかも知れない。そんな幼い頃に家族を失ったというのか。ましてやここは北の大陸だ。暗に、育ての親からも離れて暮らしていると言っているようなものではないか。
当の本人はさして気にも留めていない様子でけろりとしている。少なくとも自分が不幸な身の上だとは思っていなさそうだ。
だったら他人が口を出すところではない。家族が居ても寂しい者は存在する。
ふ……と微笑み、青年は自分の荷物を持ち上げた。
「腹減らねぇ? 握り飯があるんだ」
「へ?」
ニカッと笑う青年に、エミルは戸惑いを見せる。荷物から出しては目の前に差し出された包みを見て、慌てて両手と首を横に振った。
「いいよ、アナタのでしょ? あたし別に、稼ぎだってあるし、生きるのに困ってるわけじゃないし」
「いーんだよ、まだあるし。それにほら、飯は一人より二人で食う方が美味いんだぜ?」
空を彷徨う手にポンっと包みを乗せられ、こうなっては返すのも失礼だと手の中に視線を落とす。
知っている。一人で食する虚しさを。家族と囲む食卓の温かさを。
知っているけれど、彼からは受け取りたくなかった。
「あの、ありがとう……」
「おうよ」
青年とは初対面だ。だから彼はエミルを知らない。だけどエミルは、彼を知っていた。だからこそ、彼からの優しさなんて受け取りたくなかった。
沈んだ声に違和感を覚えながらも青年はその場に腰を下ろす。荷物から自分の握り飯を取り出し包みを開いてそれにかぶりつくと、慣れ親しんだ塩むすびの味が口いっぱいに広がった。
それに倣うように、エミルも湖に向かうように座って包みを開いた。
さわさわと心地良い風が木々の葉を揺らしながら抜けていき、青年の短い黒髪とエミルの長い薄茶の髪を擽る。
隣ではガツガツと青年が握り飯を豪快に食べていて、それを横目にエミルも一口頬張った。
「……シャケ」
具は紅鮭のほぐし身だった。白米にまで染み込んだ鮭の旨味が口の中で溶けていく。
「そっちは鮭か。美味いだろ?」
「うん。シャケ大好き」
笑う青年にエミルも満面の笑みを返す。魚介類は大好物だ。
嬉しそうに頬を緩めながら、エミルはゆっくりとその一つを食べ終えた。
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