巡りの章

第一話 日常(エピローグ)

01

 その地に降り立つのは、いつぶりか。もう考えることもやめていたというのに、「帰って来られた」ことがこんなにも嬉しい。

 一度瞼を下ろし、また上げる。そこは確かに自分の知っている世界で。だけどどこか違っていた。

『…………ネージュ……?』

『クリストファー、無事? エリオット……響は?』

 共に世界を越えて来た者達を振り返る。どうやら三人とも無事のようだ。次々と目を覚ましている。

『良かった……』

 ほっと、目を細めて息を吐き出す。黒髪の男は立ち上がり辺りをキョロキョロと見回して、一方で金髪の男も起き上がり、栗毛の青年を軽く揺すった。

『エリオット』

『ん……?』

 揺すられてゆっくりと目を開ける青年は、今自分が置かれている状況の異質さに飛び起きた。

『なっ……何であんたが居るんだ! というか、そもそもここは……?』

『は?』

『エリオット……?』

 起きるなり取り乱す栗毛の青年──エリオットの様子に、女性と金髪の男──クリストファーが怪訝な表情を向ける。

 何が起こっているのか分からない。そんなエリオットの姿に、二人も困惑を隠せなかった。だって、ほんの少し前まで……この世界に来る為の魔方陣を開いたその時まで、自分たちと話していた。反対を押し切ってまで一緒に来ると言ったのは彼なのに。

 これではまるで、皆で居た時間の全てが無かったことになっているかのようだ。

『って、女性がそんな格好するものじゃ……──っ?』

 心配そうに自分を見る女性の格好を気にしたエリオットは、話途中で異変に気付く。

 長い艶やかな黒髪とアクアマリンの瞳が美しいかの女性──ネージュは、尖った耳や異常に発達した牙、そして豊満な身体を隠さない露出の高い衣装が、彼女がただの人間ではないことを物語っていた。

『時空の歪みに持って行かれたか』

 面倒そうに言って、黒髪の男──響が片手で自分の髪をぐしゃりと乱す。

『何だって?』

『時空の歪みって……まさか……』

『説明はする。が、その前にちっと移動しようぜ』

 こんな森の中では落ち着いて話も出来ないと、肩を竦めて見せた。






  * * * * *






 『氷の刃』と呼ばれる殺し屋を知っているかい? その正体は不明。年齢、容姿、性別、その全てがだ。

 ただ『氷の刃』は、酷く冷酷無慈悲で残虐非道、狙った獲物は絶対に逃がさないって話だよ。依頼する側からすりゃ都合の良い話だが、対象になっちまった奴にはたまらないね。

 なんたってあんまりにも情報が無いもんだから、どんな奴に警戒すりゃいいかも分からない。身近な奴すら信じられず疑心暗鬼になって、自滅しちまう奴すら居るんだと。しかもさえ支払えば、殺し屋だろうと要人だろうと一般人の女こどもだろうと、構わず依頼を遂行するって話さ。

 知られている情報はたったの三つ。一つは、仕事の始めと終わりに必ず鈴を鳴らすってこと。もう一つは、仕事の後に自身の証として、必ず近くに花の絵を残すんだそうだ。そして最後の一つ、『氷の刃』は、自らを『アイス』と名乗ってるそうだよ。通り名も名前も近しい意味を持ってるってことは、それだけの理由もあるんだろうねぇ。

 しかしそれ以外のことは誰も何も知らないなんて、よほど上手く逃げてるんだろうねぇ。他に目撃情報もないなんて、誰だか知らないがここまでの情報を得てきた者を尊敬するよ。






  * * * * *






「……フン」

 町の裏通りでは、黒い噂も度々耳にする。逆を言えば、裏の情報は裏で得るに限るということでもあるだろう。

 聞こえてきた噂話に、レイピアはひとつ、鼻を鳴らしただけだった。

 そんなことは知っている範囲内だ。自分が知りたい情報は、もっと踏み込んだ部分――まだ誰にも知られていないような、『氷の刃』の情報。あわよくば弱点など得られるなら、相応の報酬だって考えよう。

 そもそも『氷の刃』の噂が出回るようになったこと自体、ここ2~3年のことだ。その上こうも上手く情報操作をしながら逃げ回られたのでは、今現在の居場所さえ分からない。ただでさえ「依頼があれば」という仕事の仕方で対象が絞られているわけでもないので、次の予測すらつかないというのに。

 足を踏み出すたびにふわふわと揺れる白く長いウェービーの髪を、少し鬱陶しそうに片手で払う。いっそ短く切ってしまいたくも思うが、それをすれば兄が拗ねるのも目に見えていた。

 求める情報モノは得られないし、髪は鬱陶しいし、何よりそろそろお昼時だ。早く表通りに戻ってどこかで昼食を作らなければ、兄が腹を空かせているだろうことは容易に想像がつく。ふにゃふにゃと掴みどころのない顔をして、何も無ければ拾い食いをするような男だ。腹を壊しはしないが、だからこそ変なものを口にしないように、自分が見張っていなければ。

 ひとつ小さな息を吐き出し、レイピアはその場をあとにした。

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