03
母を失った。
最後に遺されていた、たった一人の家族を。
「っおれ、つよくなるから」
泣き虫な少年だった。勿論、この時だって泣いた。
「もうなかないから」
これで最後にするからと、縋り付く腕の力を更に強める。
「ひとりにしないで」
幼い背に負ったものは大きく、失ったものはあまりに多すぎた。
そんな小さな背を抱き締める腕も、確かに強かった。
「ずっと傍に居る。お前は、独りになんかならねぇよ」
少し乱暴な言葉が、優しく響いた。
産まれたばかりの小さな身体を、決して大きくはない小さな腕が抱き上げる。
周りに居るヒト達の怯えきった眼も、その少年の心にはもう映らなかった。
何よりもただ、腕の中のこの生命を守らなければと。護らなければと、それしか考えられなかった。他のことなど考えたくもなかった。
生まれ落ちたその瞬間から恐れられ、恐怖と嫌悪を向けられた、なんの罪も無いその者は、少年の胸に頭をもたげてすこやかな寝息を立てている。
「僕が、君を愛するよ」
例え、何が起こっても。
たった一人の、大切な──
「助けてください!」
陽の高い時間帯。隠れるように白い布を頭から被り、同じく白い布に包んだ何かを大事そうに抱えた男性が、一軒の民家の戸を叩いた。
出て来た老婆に、抱えていた白い布を押し付ける。
「お願いします、どうか、二年前の二の舞にならないよう……」
驚いた様子の老婆は布の中を見て、更に顔いっぱいで驚愕を示した。
黒々とした男性のそれとは正反対の、真白い髪。ゆるやかに波うった生糸のような、柔らかな……。そして、もっちりとした色白の肌に、薄桃色の唇。
それは、赤ん坊だった。
「どうか、この子を……!」
助けてほしい。護ってほしい。今の自分には、出来ないことだから。
その日は、ひどい嵐だった。空は黒く、海は荒れ、雨が風に煽られてバタバタと屋根や戸を叩く。
紅く塗れた床を、壁を、天井を、見守る者は誰一人として居らず。ただ雨音だけが激しく、そして虚しく響いていた。
ほんの数時間前までキラキラと輝いていたアクアマリンの大きな瞳は、今はくすんだガラス玉のように感情を失くしている。頬に散った紅は、乾いて張り付いていて。
「俺の所へ来るか?」
静かに投げかけられた言葉に、差し出された手に、瞳はその相手を見上げた。見覚えの無い男。だが彼が名乗ったその名は、幼い少女でさえ知っていた。
手を伸ばして──この時の運命の分岐を、自らの選択を、少女は後にどう振り返ることになるのか。
まだ、誰も何も、知らなかった。
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