04
何となく……本当に何となく、襟巻きで見えない筈のその者の口元が弧を描いたのが、康太にも分かった。
咄嗟にバックステップを踏むと、今まで自分が居た場所を剣の切っ先が横切る。速い。避けていなければ今頃康太は真っ二つだ。
「あら……避けたのね」
固く冷たい声、背筋が凍るかのような殺気に身が竦む。実力にはそれなりの自信を持っていたのに。
力に支配されたこの世界では、それぞれの持つ力がランク分けされている。Sが最高位、続いてA、Bと続き、Eまで。軍属や殺し屋などのランクチェックをよくする者のほとんどはSからBが多い。とは言えSランクの者はごく僅かなのだが。逆に一般人はそう度々ランクチェックなどせず、大抵はDかEだ。
中でも傭兵を仕事としている康太はAランクに位置していた。同じランク内でも優劣はあれど、このランクを得ている時点で強い方だ。実力相応の自信を康太は持っていた。
だというのに、その康太が、目の前の殺し屋を恐れてしまった。ほんの一瞬、自分よりも相手の方が強いかも知れないと思ってしまった。そして、
「死を、恐れたわね」
「──っ」
剣を振る。だが恐怖に視界が狭まった剣が、相手に届く筈は無かった。その者──口調からは女のようだ──の和装を掠め、破れた懐からポロリと落ちたものを見て、また康太は動きを止めた。
白い、アネモネの、造花。
見間違えようもない。ついさっきまでは自分が持っていて、ここで出逢った少女に渡したものだ。
「お前……エミル……?」
まさか。あんな少女が。あんなに無邪気に笑って……こんな裏の顔を持っているなんて、疑うことすら罪だと思わせるような笑顔を見せる少女が。
『氷の刃』は、エミルだった。
「アネモネにはね、色に依存しない花言葉もあるのよ」
ゆっくりとした動きで、エミルが造花を拾い上げる。
「見捨てられた、見放された」
「嘘、だろ……」
知らぬ間に、康太の身体は鋼鉄の糸のようなものに絡め取られていた。動いてはいけない。もし動いてしまえば……
その未来すら見えてしまう。戦場を、知っているが故に。
「っ、いやだ、だってやっと、堂々と守れるように、なるのに。俺は、まだっ」
死ぬわけにはいかない。死にたくない。
「私も貴方も、神に見放されたのね、きっと」
「嫌だ! ──ま」
フフフ、と軽やかに響いた笑い声の後、康太の身体は散り散りになった。
感情の無い目でそれを見て、自分に降りかかった返り血を拭うこともなくエミルは康太だったモノの破片を一つ拾い上げる。滴り落ちる血で地面に描くのは、一輪の花の絵。
それからそっと、血に染まった造花を肉塊の上に置いた。
鈴の音だけを残してエミルが去った後、穏やかな風に乗ってきた木の葉がまたその上に舞い落ちたのを見る者は、一人として居なかった。
* * * * *
「くっそ……待ちやがれ!」
「バース! 深追いすんな!」
一個小隊でようやく囲った男と、男が引き連れていた
複数の魔物を引き連れていたとは言え、男を囲って、まださほどの時間も経ってはいない。にも関わらず、小隊は既に大打撃を受けていた。
言葉だけでは止まらなかったバースを振り返ることもなく、男が魔物にさっと手振りで指示を出す。その指示を受けた魔物がバースに襲いかかる瞬間、青年は迷わず彼の前へと飛び出して行った。
「ブレット!?」
別の仲間が今度は驚きに声をあげ、青年・ブレットを追おうとする。だがその前に、
「フレイムウォール!」
握っていた槍を地面に突き立てたブレットの前に炎の壁が現れ、彼はいとも容易く魔物を退けてしまった。
ゆらりと炎が消えた時、その先にはもう魔物も追っていた男も居らず。突然目の前に現れたブレットに驚いてその後ろで足を止めていたバースが我に返って彼の肩を掴んだ。ぐいっと手前に引いて振り返らせ、そのまま胸倉を掴む。
「てめぇブレット……何で逃がした! あいつはアルゴを……!」
「アホか。あんさん軍人やろ。ましてこの隊に所属しといて、戦場で安易に感情で動こうとなんかするもんやない」
鬼隊長に首切られるで。
淡々とした冷静な口調は、周りの者には冷たくも感じられる。だけど同時に、皆知ってもいるのだ。冷静さを欠くことが、戦場でどれほど致命的なことかを。
胸倉を掴むバースの手を、ブレットは軽くはたいて離させる。
「〝ノアと名乗る連続殺人鬼の存在の確認、敵の数などを調査し報告のこと。ただし深入りは禁ず。危険と判断した場合、すぐに隊を引くべし〟」
静かな抑揚の無い声でブレットが言い放ったのは、今回の任務にあたって隊長から出された命令書の内容。一言一句間違いのないそれに、バースは息を呑んだ。
「そもそもこない揉め事起こしてる時間が勿体ないんとちゃうか? アルゴも他の奴らも、一刻も早ぅ医療隊に診せるんが先やろ」
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