第34話 『勇者の入浴』

 


「やっと到着ですか……長い戦いでした」



「ああ……ここがオアシス……俺の血で染まった手を洗い流してくれる……」



「いやアンタ私になすりつけてただけでしょうが」



 そう、ここはオアシス。つまりは温泉である。

 やはり歩き疲れたからだろう、アイリスのツッコミはいつもより迫力がない。しかし、その脳内には、これまであった数々の湊による魔物のなすりつけが浮かんできていた。



「……ここ、誰かいるの?」



「女将が一人いる。しかし怖い人だ。怒らせないほうがいいぞ」



 リーベルトの顔はいたって真剣で、聞いていた全員が唾を飲み込む。湊のは演技くさかったが……


 アイリスが中に入り、女将を呼ぶとすぐにやってくる音がした。



「は〜い。どなたかしら? あ、王女ちゃんじゃない! それにリー坊とメルティアちゃんまで! 後ろは……んま、可愛い」



「「ひっ」」



 女将は漢だった。しかし、見たくはないが胸を見ると女だった。つまり、新人類さんだったのだ。

 比奈と美月は悪寒がして抱きしめ合う。



「ユタさん。今日から二泊、よろしくお願いします」



「構わないわ。それより、おもしろい子がいるわね」



 ユタの目の先には、宙を飛んでいるハエと格闘している湊がいた。ハエは素早く、湊のジャブを的確に躱す。そして――



「なにやってんのよ……」



 アイリスによって燃やされた。



「そんな……アイリスが……アイリスーーーー!!」



「違うわ!!」



 アイリスは湊の頭をぶん殴った。

 しかし、湊の口はそんなことでは閉じないことを、いまだに学んでいなかった。



「お前は虫なら殺していいとか思っているのか!」



「あなたは殴っていたじゃない」



「俺はアイリスを殴っていたんだ」



「余計悪いわ!!」



 女将は見たことがないやりとりなので、唖然としていたが、他のメンバーはすでに慣れていたので驚きはしない。リーベルトも道中、何度も見ていたのだ。



 その後、中に入って夕食を食べ、念願の温泉に浸かることになった。



「湊くん、君は今の戦況をどう見る?」



 大浴場――そこの湯に浸かり、湊の隣に座ってきたリーベルトの第一声がそれだった。

 その目は真剣で、確実に湊のことを捉えていた。



「俺は戦争に関しては知らない。そもそも報告がこないからな」



「それもそうか……すまない、忘れてくれ」



 この時、リーベルトの頭では、ザクロを殺した相手が、ザクロより強い相手が、もしかしたらいるかもしれないと、早く戦場に戻りたいと考えていた。

 当然そんなことを湊が知るはずもなく、それ以上二人が話すことはなかった。

 しかし、湊の頭に、リーベルトを気にかけておいた方がいいということだけは残った。



(思い詰めるとミスが増える。そしてこの世界でそれは死を意味することも多い)



 湊の考えは偏っており、それでいて正しかった。そのことに気づかないリーベルトは、少しずつ焦りをため始めるのだった。



「あっ、ここの石鹸城のと同じだ」




 ーーーーーーーーーーーーーーーー


 女性陣の方も、男性と同じ大きさの大浴場で、アイリスたちだけの貸し切りだった。

 そもそも客はアイリスたちしか来ていないので当然なのだが、それでも比奈を興奮させるには十分だった。



「えへへ〜。一度泳いでみたかったんですよね〜」



「…………」



「比奈さん、はしたないですよ」



「ふぅ……癒される……」



 それぞれ反応は違うが、比奈を咎めたのはメルティアだけだった。いつもならアイリスも注意するのだが、今日ぐらいはゆっくりしたいという思いもあり、何も言わなかった。



「それにしても大きいですね……」



 比奈は突然泳ぐのをやめ、メルティアの胸を見た後、自分の胸を見る。比奈の胸は平均的で、小さくはないのだが、メルティアの胸の脅威には勝てなかった。

 隣で美月も両手で胸を触り、落ち込んでいた。

 唯一メルティアに対して希望があるアイリスは、全く見向きもしていなかった。



「メルティアさんとタメをはる胸に白い肌、それに超美人だし……反則でしょ」



 メルティアと美月は無言で頷いた。

 ずっとボーっとして聞いていなかったアイリスは、体を洗おうと湯から上がる時、ようやく三人の目線に気がついた。



「な、何よ……」



「いえ、別に……胸をちぎってほしいなぁなんて思ってませんよ?」



「怖っ!? 怖いから冗談でもやめて!!」



「……破裂してほしい……」



「せめて否定してよ!」



 すがるような目でアイリスはメルティアの方を見るが、目を逸らされたので、逃げるように体を洗いにいった。

 結局温泉からあがるまでアイリスは三人に、特に比奈と美月にずっと胸を見つめられていた。



「アイツがいないところでくらい、休ませてほしいわ……」



 それが素直な感想だった。



「メルティアさん! メルティアさんは湊くんのこと、どう思ってるんですか?」



「と、突然どうしたのですか!?」



「いや〜、ナナさんはあらかさまなんでわかりやすいんですけど……女子トークってやつですよ」



「私としては、湊さんは普段不真面目ですが、根はとても優しい人だと思っていますよ。異性としてはなんとも思っていませんので、安心してください」



「ふぇっ!?」



 自分から言い出した会話だったのだが、赤面することになったのは比奈だった。

 比奈にとって意外だったのは、メルティアが湊に対して想いを抱いていないということ。



(ほんとうかなぁ……)



 メルティアは自分の想いがなんなのか理解していなかった。たしかに湊には何度も助けられたが、逆にいつも迷惑をかけている。

 聖女である自分が、紳士でない者を相手に恋をするはずがないと、そう思い込んでいた。


 そんな二人の隣では、いまだに胸に手をあてて心配そうにしている美月がいた。



(胸、大きくなるかな……)



 同じく考え込んではいたが、内容が少しずれていた。


 アイリスが湯に帰ってきたあと、再び共通の敵が現れたとばかりに全員の視線が揃う。

 しかし、さすがに浸かりすぎてのぼせてきたので、今度は三人が体を洗いに行った。


 三人が戻ってきた時にはすでに、アイリスは温泉からあがった後だった。



 服を着替え、フロントに来たアイリスは、そこで更に疲れるヤツに会ってしまった。



「よう、ハエ」



「アイリス。はぁ……部屋に行こうかしら」



「よう、ハエリス」



「その椅子燃やすわよ」



「ふっ……残像だ」



 アイリスは苛っといて、軽い火魔法を足元に放つ。すぐに消せる程度なので問題ないと思ったのだ。

 湊は「マジでやりやがった!」と、ワザとらしく怯えていた。



「はぁ……部屋に行くわ」



 アイリスが部屋に向かった後、湊は外に出ていったリーベルトを追っていった。

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