第32話 『勇者の出発』

 

 ついに温泉旅出発の日、温泉に向かういつメン(いつものメンバー)は城門の内側に集まっていた。

 ただ一人、湊を除いて……



「あのバカは何をしているの?」



 待ち始めて三十分という少しイライラが溜まってきた頃に、アイリスは比奈に聞いた。周りから見た感じでは、少なからず湊のことを思っているようなので、何か知っているかもしれないと考えたのだ。



「さあ? 温泉が楽しみすぎて昨日の夜眠れなかったんじゃないですか?」



「……それは比奈……」



「ちょっ!? な〜んで言うんですか〜」



 結局湊が何をしているかわからず、代わりにどうでもいい情報が手に入ったので、アイリスは思わずため息を吐いた。


 比奈はいまだに寝るときは美月の部屋で寝ており、美月はいつ寝たのかずっと見ていたのだ。つまり、楽しみにしていたわけではないが、美月も寝不足である。


 それから五分後に湊とナナが走ってやってきた。

 ナナは申し訳なさそうにしているが、湊はヘラヘラ笑っている。



「悪い、遅れた。ちょっと廊下に出たら怪しいメイドさんが隠れていたもんで」



「それ、本当でしょうね?」



「事実です。しかし、特に何かしたわけではなかったのでスルーしましたが」



「じゃあ何で遅れたのよ!?」



「昔の……夢を見ていたのさ……」



 湊がワザとらしく、儚げに空を見上げる。

 つまり、寝坊しただけなのだが、「昔」と言われると罪悪感のあるアイリスは責められなかった。

 美月がジト目で見てくるのを無視して、湊は門を開いた。



「さあ、旅の始まりだ」



「ワクワクしますね!」



 後ろの門の中で、ナナがアイリスに何度も謝っていることはわかっているのかいないのか、二人は楽しそうにしていた。


 そしてさらに進みだそうとした時、謝り終えたナナが湊に声をかけた。



「湊様っ…………どうかが無事で……」



 その手は前で組まれており、足こそついてはいないが、いつもの神に祈っているメルティアのポーズと同じだった。


 勇者付きのメイドは勇者たちの温泉旅にはついていけない。理由はいろいろあるが、特に大きいのは自分の代わりになるメイドへの教育だ。

 初めはそんなものが必要なのか疑問だったのだが、今日の朝の出来事で、その考えを改めることとなった。



「おう」



 こうして湊、比奈、アイリス、メルティア、そしてここにはいないリーベルトの温泉旅が始まった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「……暇だ」



「ほんとですね……エクスカリバーしたい……」



「あの鉄剣なら街で安売りしてるわよ」



「いや、そうなんですけどそうじゃないです」



 城から出発し、東門でリーベルトと合流して馬車を借り、龍山の麓について一時間経った後の会話である。

 リーベルトは馬に乗っているので、この馬車の中にはいない。

 頭の上に「?」を何個も乗せているアイリスの肩を、美月が優しくポンポンとたたいて横に首を振る。



「ほんとやること無さすぎてついこの森の生態系に関するデータを分析してしまった……」



「なんかすごそうですね」



「それ、むしろ暇じゃないじゃない」



「……じゃないじゃない……ぷぷっ」



 アイリスはワザとではなくとも恥ずかしかったのか、顔を赤くして湊が覗いている逆の窓を覗く。

 外は木ばかり……ではなく、むしろ木はポツンポツンとしか生えておらず、草の量が半端なかった。

 アイリスは事前に知っていたので驚かなかったが、初めて見たとき、比奈はそのような山に行ったことがなかったので驚愕していた。



「何事も無く終わればいいのだけれど……」



「こいつフラグたてやがった。俺、アイリスの近くいたくねーから馬車降りて帰るわ」



「わ、私もそうしますね……」



「……同意……」



 アイリスの無自覚フラグ発言に、湊たちは事件に巻き込まれないように撤退宣言する。どうやらアイリスは見捨てるつもりのようだ。

 しかし、やはりメルティアはアイリスの味方のようで、すぐさまフォローにはいる。

 


「ま、まあアイリス王女も本気で言ったわけではないでしょうし……そうですよね?」



「え? 私の発言のこと? ……あ! たしかにフラグだったわ……」



「アイリス、短い間だったが、夜のお世話になったな。生きていたらまた会おう」



「ちょっ!? 夜のお世話って何よ! 何もしたことないでしょ! っていうかドア開けないでよ!!」



「何を勘違いしている? 俺の部屋に隠しておいてあるアイリスのパンツのことだぞ」



「余計悪いわ!!」



 アイリスはドアを開けて逃走しようとしている湊の頭を叩きつけた。そしてそのままその手でドアを閉める。周りで見ていた比奈と美月、そしてメルティアの三人は、その流れるような動きに拍手を送る。



「フラグはまあ、漫画じゃないんですし大丈夫でしょう」



「……比奈、それフラグ……」



「そもそも異世界召喚自体が漫画の世界だからな」



「たしかに……」



 比奈は結局心配になり、その元凶を作ったアイリスの方を見る。別に睨んでいるわけではないのだが、アイリスはサッと目を逸らす。

 しかし、逸らした先にメルティアの顔があり、先ほどのこともあって気まずかったので、今度は下を向いた。



「なんだ首の体操か? 回復魔法かけてやろうか?」



「そういうときだけ優しさ発揮するのね……」



 もちろん湊はわかっていてやっているのだが、それを知らないアイリスはもうちょっと別のタイミング発揮してほしいと思った。

 しかし、気まずさはなくなり、結果的にはアイリスは馬車の中で前を向けるようになった。



「あとどれくらいですか?」



「三時間くらいですかね」



「マジですか……みなさん、しりとりしません?」



 比奈はそんな長時間を揺れる馬車に座ったままいられないと思ったのか、暇を潰せるゲームを提案する。しりとりは食事中に比奈から聞いていたので、アイリスたちもすでに知っていた。



「さすがに尻はなぁ。さすがにパンツにしとこう」



「あんたどんだけパンツ欲しいのよ……もうツッコんでも無駄なのよね……」



「さすが湊くんですね! 隙があらばすかさず狙いに来る。これが勇者たるものの力ですか」



「……私、勇者やめる……」



「あはっ、あははっ」



 アイリスは眉間を抑えてため息を吐き、比奈と美月は間違った勇者の解釈をしており、全体を見ていたメルティアはぎこちなく笑っていた。


 外で馬に乗っていたリーベルトは、馬車の中から聞こえてくる声に、羨ましそうにしていた。

 実際に中に入れば、そうは思わなくなるかもしれないが。

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