第8話 正刻を狙え

 どうする――

 同じ言葉が、三人の頭をかすめた。


 影食かげくいはそんな三人を嘲笑うかのように、今度は地面に向けて左腕を振り上げた。その体が地面に溶け込みはじめる。

 黒い弾が途切れたのを見計らい、煙羽えんうが銃を撃ったが地面に溶け込んだ影食いには効かないようだ。

 おそらく、影食いからも攻撃はできないのだろうが、今の影食いは自らの身を守ることを優先したのだろう。しばらく、この状態のまま地面から出そうにない。


「近くに行ったら、出てくんじゃねえのか」


 煙羽が提案したが、


「どうでしょうか。このまま待っていても、出てこない可能性の方が高いような気がします。それに、近くまで行った時にいきなり影食いが出てきたら、攻撃をもろに受けてしまうかもしれません」


 潮里しおりが大きく首を振った。


「でももう、それしかないだろ」

「その方法だと、誰かが消えてしまうかもしれない」


 夕雨ゆうさめが、二人の会話に割り込んだ。


「潮里は、それを心配しているのじゃ」

「俺たちは元からそうだろ。いつ消えるのかわからないそんな存在だ」

「そうだがの……」


 夕雨は、影食いに視線を向けた。


「戦いで誰かを失うのは、正直に言って我も嫌じゃ。それに、三人合わせた攻撃でも倒しきれなかった。影食いを地面から引き出し、そして完全に倒しきる。そんな方法が我らにはる」

「…………」


 煙羽は、考えるように視線をそらした。


「威力が足らないのは多分俺のせいだろ。力が弱いからな。……で、何か案はあるのかよ」

「考えてはおるが思いつかぬ。こうしておる間にも、影食いはああして影の世界を食らっておるというのにな……」

「あれ、影の世界を壊してんのか。ただ地面に溶け込んでるように見えるけど」


 煙羽はそこまで言うと、はっとしたように目を見開いた。


「影の世界を壊す。そうか、なら」

「どうしました?」


 潮里が尋ねると、煙羽は二人を交互に見た。


「なあ。一回、態勢を立て直さないか」

「ここまで来てか?」

「……俺に、考えがある」


 短めに、煙羽は言葉を返した。


「それにはお前らの賛同はもちろん、死神の許可もいると思うんだ」


 夕雨は怪訝けげんそうに煙羽を見つめたが、やがて諦めたようにうなずいた。どれだけ考えても、彼女にはいい考えが浮かばないのだった。


「わかった、退くぞ。どうせ、あいつも見ているはずじゃ。ここから離れれば姿を現すであろう」

「……はい。それに力を結構使ってしまいましたし。一度、休んだ方がいいかもしれません」


 三人は影食いの動きを注意深く見ながら、転移の準備をはじめた。

 戦いを通して力を使った三人は、一人だけで転移を行う力は残っていない。夕雨と潮里に限れば、前の戦いのダメージもある程度残っているはずだ。

 だからこそ、蹴りをつけるにはあの方法しかないと煙羽は思っていた。そしてその方法を取るのなら、自分がやるしかないと。


 三人が準備していると、ワタリたちが降下してきた。三人が作っている光の輪の中に入る。

 三つの光が交差している輪が完成すると、その中に足を踏み入れ、影食いを悔しげに見つつ、三人は同時に言葉を唱えた。


「転移、開始」


 三人の見ている影の世界が残像を散らしながら、ぼやけて目の前から見えなくなる。

 ぼやけた景色はさほど間を置かずに、形を取り戻し始める。

 見えてくるのは、代わりばえしない影の世界。現世を覗けば、先ほど三人が出会った公園の入り口であることがわかる。


「思ったよりも消耗したな」


 煙羽はため息まじりにつぶやいた。その手にある銃を眺めてから消す。

 後の二人の顔色も当たり前だが、優れない。空を飛んでいるワタリたちも、元気がないように見える。

 周りを見渡しても、死神は見当たらない。先ほどの戦いの様子も見ているはずだが。


「まさか、こういう時に限って見ていないということではないだろうな」


 夕雨が不満そうに言った時、影浪かげろうたちの後ろに人影が音もなく現れた。

 三人は、一様にそちらに目を向けた。


「……呼んだだろうか」


 死神は、相変わらず平坦な調子でそう尋ねた。その眼はもちろん夕雨を見つめている。


「まあな。でも、用があるのは我ではない」


 死神は夕雨の言葉が言い終わる前に、煙羽に視線を移した。どうやら話も把握しているようだ。


「それで、どのような策があるのだろうか」

「言う前にこいつらに確認したいことがある」

「確認、ですか?」

「ああ、俺はお前らより知っていることがずっと少ない。だから、確認したい」


 煙羽は、二人に顔を向けた。


「あのまま放っておいて影食いが現世に出たら、その場合、影食いの力は、影の世界にいるときよりも弱くなるんだよな?」

「……そうじゃが、現世に出たらとんでもないことになる。生きる者に影食いに対抗するすべはないからな。弱くなったところで意味はない」

「んなのはわかってる」

「何でそんなことを――」


 夕雨が訊き返す前に、潮里が何かに気づいたように口元に手をやった。


「危険すぎます、それはっ」


 その眼は不安げに揺れている。


「早まんなよ、俺はまだ何も言ってねぇだろうが」

「でも、あなたは……気なのでしょう? そんなことを尋ねてくるのですから」

「ああ、そうだ。できるかどうかわからねぇから言うのを先延ばしにしてたが……できるんだな?」

「できることはできるが……!」


 夕雨は鋭い目を煙羽に向けた。ワタリたちも羽をばたつかせている。

 動揺している煙羽の周りで、死神だけは表情を動かさなかった。ただ深緑の目をすっと細める。


「現世を危険にさらしそれを実行したとしても、あまり意味がないことは君にもわかっているはずだ。君たちの現出時間は、異なっているのだから」

「ああ、わかってる。この方法だと俺たちは共に戦うことはできない」

「ならば、なぜ……」


 そこまで言って、死神は珍しく言葉を途切れさせた。煙羽はその反応を見て、余裕を含んだ笑みを浮かべた。


「あんたなら、全部言う前に気づくと思ったよ」

「――確かに時間的には可能だな。いずれにしろ、危険が伴うことに変わりはないが」


 死神は視線を下に向けた。


「私は、成功する保証はしない」

「あの……すみません。一体何のことを言っているのですか?」


 潮里の声に、死神は説明をするように煙羽に対し手で示した。

 煙羽は元からそのつもりだったので、不思議そうな潮里と不満そうな夕雨に顔を向けた。


「まあ、簡単に言うと……あれだ」

「だから、あれとは何のことじゃ」

「――正刻せいこくを射る」


 煙羽は、はっきりとした口調でそう言った。夕雨と潮里は目を見開いた。


「影食いが現世に出ると弱まるように、俺たちも現出するためには条件がある。死んだ時刻の前後二時間、現出時間でないといけない。それも死んだ時刻から離れるほど力は弱くなる。でも逆に考えれば死んだ時刻――正刻なら、俺たちは現世で一番強い力を発揮できる。だったよな?」


 煙羽は、足を前に踏み出した。


「だから、影食いが弱まった状態で正刻に攻撃を加えれば――正刻を射れば、倒せるはずだ。最大の攻撃なんだからな」

「うーむ」


 夕雨は短刀を消すと、腕を組んだ。


「……言いたいことはわかったが、そうなると、本当に一人だけで戦うことになる。それに時間を考えると……煙羽、お前がやることになるぞ」

「そのつもりで言ってる。あのまま放っておいても地面から出てこない。手っ取り早く、地面から引っ張りだして倒すにはこの方法が一番だろ」

「じゃが」


 なおも言葉を続けようとする夕雨に対し、煙羽は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「……心配か? 俺の力が弱いから」

「それは……」

「だからこそ、させてほしい」


 煙羽は笑みを消すと、真剣な表情になった。


「俺が俺自身の存在を肯定するために。俺という存在に自信を持つために。ほんの小さなことでもやり遂げたら、前に進める気がするんだ」

「煙羽さん……」


 潮里は心配そうに傘を握りしめた。それは、はじめて聞いた煙羽の本音のような気がした。


「明日でも私はいいと思うんです。影食いが、すぐに影の世界に穴をあけることはまずありませんから。そんなに急がなくてもいいのでは?」

「ここまで来たんだ。今日で蹴りをつけたい。せっかくあそこまでダメージを与えたんだ。回復されたら、無駄になっちまうだろ」

「ですが」

「俺は消えないからよ。やらせてくれ。頼む」


 煙羽はそう言うと、頭を下げた。

 潮里と夕雨は驚いた顔で、そんな彼を見つめた。

 

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