第二章 迷える影浪――煙羽――

第1話 影浪と死神

 座っている少年の横で、カラスが何度かはばたいた。

 駅前の大通りは、梅雨にしては珍しく晴れていて、通りに並ぶ店は強い日差しに照らされている。

 通りを歩く誰もが、暑そうな顔をしている。少し前から放課後を迎えたためか、中高生の姿が目立つようになっていた。


 そんな大通りを、細い路地の隅に座り込みながら少年は見つめていた。

 白いシャツに灰色の長ズボンを着ている。見たところ高校生ぐらいだろうか。なかなかに端正な顔立ちをしている。

 今、その顔はしかめられ明らかに暇そうだ。通りを笑顔で歩く学生が通るたびに、不快そうに彼らを睨み付ける。

 そんな少年に気づく者は誰もいない。路地にいるからではない。彼のことは、からだ。

 彼は、影浪かげろうだった。今は、影の世界にいてそこから現世を見ている。



「……気分転換に、現世でも歩かれては?」


 少年の足元のカラス――ワタリが静かに語り掛けた。見た目も声も全く同じだが、夕雨のワタリとは別のワタリだ。


「現出時間ならとっくに迎えておりますし」

「…………」


 少年は横目でワタリを見たが、何かを言うことはなかった。ただ、静かに息を吐いた。

 ワタリは、しばらく少年を見上げていたが、やがて諦めると地面に顔を向けた。

 少年は影の世界で調査を行いながら、影浪としての役目を果たしていた。

 今は休憩として、調査を中断している。


 影狼は魂だけの存在であるため、肉体的な疲れを感じることはない。だが、想いを具現化する能力を持つ彼らはその度に魂を消耗してしまう。

 魂を回復するには、こうして待機していることが一番だった。

 ワタリは影浪と違い、自由に現世と影の世界を渡れるので現出してもいいのだが、ワタリはこの場から離れることはできない。

 一人の影浪には、一羽のワタリが補佐として常に共にいなければならない。そういう決まりだった。


 ワタリと少年はあるものを探すために、影の世界を調査していた。

 このあたりで間違いないはずなのだが、探しているものは見つからない。少年も気配を感じないようだ。


 無理もないのかもしれない。

 少年は、影浪としてはまだ未熟だ。他の二人と比べれば力の使い方に慣れていない。魂の感知も、まだまだ甘いところがある。

 ワタリにはその理由がなんとなくわかってはいたが、それはワタリにはどうにもできない問題だ。影浪として存在することを選んだ以上、それは彼自身の問題だった。

 ワタリはそこまで考えてから、上に顔を向けた。


 影の世界から空を見ると、白い半透明の光が、現世の空と重なって存在しているのが見える。ゆらゆらと水面のように光は揺らめいている。

 その光の先にあるのが、死後の魂が向かう冥界めいかいだった。

 ワタリは何をするでもなくその冥界の光に、小さな光がいくつも向かっていく様を眺めた。



 そんな風にして数分が経過した頃。

 沈黙を破るように、トンっと足音のような音が、少年とワタリの後ろから聞こえた。


 ワタリの眼にはその音の正体が、視界の隅に映っていた。いきなり後ろに現れたことも捉えていた。

 気配は、何一つ感じさせない存在だった。幽魂ゆうこんでもなければ、影食かげくいでもない。それなのに、影の世界に存在できる――


「……何をしている」


 それは、妙に耳に残る響きを持った低い声だった。静かな水の流れのように、何の感情も感じさせない。


「…………」


 少年は振り返らなかった。

 何も答えないまま、静かに立ち上がる。その間ワタリはずっと、突如現れた人物を見つめていた。


「何をしている、といている」


 再度、人物は問いかけた。相変わらず平たんな調子だ。

 少年はめんどくさそうな顔をしながらも、ようやく振り返ってみせた。


「休憩中だけど、何か文句でもあるのかよ?」


 少年は投げやり気味に答えた。自分よりも、背の高い人物に鋭い目を向ける。


「死神さん」

「……そうか」


 死神、と呼ばれた男は静かにうなずいた。腰まで伸びた深い青色の髪が、わずかに揺れる。


「ならば、いい」


 そう答える男の表情は、少しも変化せず、何を考えているのか読み取れない。少年は、探るように死神を見つめた。

 黒いローブで覆われた長身。長く伸ばされた青い髪。静かな光をたたえた深緑の目。まるで静寂というものがそのまま人の形となったかのように、無機質な印象を与える。

 どれをとって見ても異質な男だ。そのように、あまりにも非現実的な姿だからこそ、少年は死神と名乗られた時、逆にひどく納得をしたものだ。

 あまりにも生きているということを感じさせないこの男に、その呼称以外に合うものはないだろう。


「何か御用ですか?」


 ワタリは死神から少し距離をとると、そう尋ねた。少年もそうだが、ワタリはあまりこの人物が得意ではない。

 死神は、ちらりとワタリに目をやった。それから答えを示すかのように、少年に目を向ける。


煙羽えんう


 呼ばれたのは少年の名だった。


「君が影浪となってから、そろそろ一年の時がたつはずだ」

「それが何か?」

「君の答えは、形となったか」


 その言葉を聞いて、煙羽は目を細めた。


「……んだよ、そんなこと訊きに来たのか、あんたは。死神は忙しいって聞いてたけど、案外暇なんだな」


 その声は毒づいてはいるが、どこか覇気がない。痛いところをついてくる、と内心で煙羽は焦っていた。

 死神は煙羽の言葉には取り合わずに、言葉を続ける。


「君たちは想いを紡ぐ。想いを口にすることで力に変えることができる。それは我ら死神にはない、特異な能力だ。……だが」


 死神は、ほんの少し声に力を込めた。


「だからこそ、君たちは想いに縛られていると言える。影浪としてり続けるという想いが弱ければ、存在がすぐに揺らいでしまう。想いがなければ、存在できない。それはよくわかっているはずだ」

「……」

「気づいているのだろう。なぜ、影浪としての君の力は弱いのか、その理由に」


 煙羽は何も答えず、両手を握りしめた。


(ダメだ、言えない)


 彼の中には答えがあったが、なぜかそれを口にすることははばかられた。

 死神は、そんな煙羽をじっと見つめた。その緑色の瞳には、何の感情も浮かんでいない。

 結局のところ、この死神にとって自分がどうなろうが興味はないのだろうと、煙羽は思っていた。

 この男は、煙羽が聞くところによれば、仕事として影浪の監視を行っている死神だという。

 監視。正直に言って、気持ちのいい言葉ではない。煙羽は、この人物のことを信用しないと決めていた。


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