第6話 血に染まる彼女は――
先輩と別れた後、どうにもそのまま家に帰る気分になれなくて、六は近くの喫茶店に入っていた。
普段はお金がないため、普段こういう場所に縁のない六は、心ここにあらずというような面持ちでテーブルに座っていた。
……もちろん、六がそうなっている原因は、それだけではなかったけれど。
――近衛継莉には、これ以上近づかない方がいい
また、あの言葉がフラッシュバックする。
そして、それを頭をかいて隅へと押しやる。
……。
私は、どうすればいい?
どうすれば、彼女のことを知ることができる?
……。
…………。
わからない。
……何も、わからない。
こういう時だけ、学校で学んだ勉学は、何の示唆も六に与えてはくれなかった。
ザーーーーーーーー。
雨が、また一段と強くなったような気がする。
外はもう、漆黒の中だ。
店員も、高校生がいつまでいるつもりだろうかとみているような気がする。
「もう、帰ろ……」
六は、ズッと紅茶を飲み干して、席を立った。
—————————
喫茶店を出てから、もうだいぶん歩いてきたなと思ってあたりを見回す。
カバンは傘からはみ出ている部分が黒く染まり、いつの間にか足元の靴の中もジメッと湿り、気持ち悪い。
そんな状態だったけれど、相変わらず六はまっすぐに家に帰る気にはなれず、ダラダラと家路を歩いていた。
なぜ、喫茶店からもまた歩いて帰ろうと思ったのかはわからない。電車に乗って、どこかでまた雨宿りしていてもよかったと思う。
だから、きっとそれはただの気分だったけれど、後から思えば、運命が、六にそうさせたのかもしれない。
——それを、六に見せるために……。
鴨川沿いを歩いていた道は、京阪と同様に気づけば鴨川から逸れている。あたりには住宅街が広がっていて、もはや喧騒とは遠い世界にやってきていた。
そして。
視線の先の、高架の下に、誰かがいた。
……誰かがいると、わかった。
——ドクンッ!
嫌な、予感がした。
JRの高架だ。
そこに、潜む、何か——。
きっと、見てはいけない。
……私は、ここから先を見るべきではない。
直感が、そう告げていた。
……幸い、雨の暗がりに沈むその先は、まだ見えない。
引き返そう。
そう、思った。
……だというのに。
足は、一歩、また一歩と、前に進み始める。
……私は、覚えがあった。
この、引き返さないといけないというのに、吸い寄せられる、この感覚に。
——ドクンッ!
また、心臓が、大きく跳ねる。
そうだ。
これは、4日前の、夜。
——忘れもしない、あの夜と同じだ。
ヒタ……、ピチャッ……、ヒタ……。
雨に濡れたアスファルトの道を、六の足が確かに進む。その度に、水滴が少し跳ねる。
その、暗く沈む空間は、もう、目の前。
50メートルと、ないだろうか。
……確かに、人がいる。
トツトツと、雨粒が傘に跳ねる音が、嫌という程大きく聞こえる。
その時、向こうもこちらを向いた。
高架の影に沈んで顔は見えなかったけれど、はっきりとそれはわかった。
……別に、大したことはない。
ただ、歩いていて、視線があっただけ。
……そうだ。
ただ、それだけじゃないか。
——ドクンッ!!!
……じゃあ、どうしてこんなに、心臓が、疼くの?
早鐘と化した心臓を、服の上からギュッと握って。
これ以上進むべきなのか。
それを、考えようとする。
……けれど、その時間は、六には訪れなかった。
——パアアア!
赤い京阪電車の特急が、六と、その人影の脇を、駆け抜けようとやってきて。
パッと、目の前が照らし出された。
「’あ……」
そこにいたのは、一人の少女だった。
……そして、六は、彼女のことを知っていた。
今日の彼女は、初めて会ったときよりも、ずっと、もっと、赤くて…………、紅かった。
「近衛……継莉……さ、ん……」
口から、その名前がついて出た。
そして、背中越しにこちらを向く彼女と、目が合う。
……相変わらず、澄んだ瞳だと、そう思った。
けれど、それは本当に一瞬で。
通過する電車の明かりに照らされる彼女の赤に、またすぐに意識は戻る。
ガタン、ゴトン! ガタン、ゴトン!
電車の車輪がレールのつなぎ目を通過する。その音だけが、二人を包む。
……そうだ。
明らかに、目の前の彼女は、雨に濡れているわけではない。
——血だ。
これは、血の赤だ。
彼女の印象的な金色の髪を、無遠慮に染める赤も。
制服のように見える紺のセーラー服を、さらに赤黒く染めるものも。
柔らかな足の素肌にこびりつく、その紅も——。
すべて、血の赤だ。
気づいてしまったその事実に、思わず体が硬直する。
……なぜ?
どうして?
何が?
疑問詞が次々と頭に浮かんでは、答えなど出ることなく、溜まっていく。
そして、そこで六は気付いた。
……いや、気付いて、しまった。
彼女の足元に、何かが、転がっていることに。
——そして、それが何なのかに。
「そ、れ……」
ゴロリ。
近衛継莉の足元にある、ボーリング大の球体が、不意に、転がる。
そして、その球体と、視線が合った。
……合って、しまった。
なぜなら、その球体には、目があったから。
こちらを、見つめる瞳が。
「……ぁ……」
そして、それは、見知った顔だった。
……よく知っているわけでは、決してない。
けれど、確かにはっきり覚えている。
だって、六は数時間前に、彼と会ったばかりなのだから。
先輩であるその人物。……一條。
その彼が死んでいることなど、誰が見ても明らかだった。
何かが、クチャリ、とねばついた音を立てた。
——近衛継莉は、血も涙もない存在だから。
また、その言葉が、頭の中をよぎった。
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