水溶性
笹乃秋亜
水溶性
小雨が降っている。
ずっと。
雨音が聴こえている。
晴れであろうと、曇りであろうと、雨であろうと、僕が何処で何をしていようとも。
いつからは思い出せない。
しかし、不快では無い。
寧ろ、非常に心地好い。
屹度、これは、此世で一番綺麗な音に違いないのだ。
憂いを帯びた、結晶だ。誰も知らない、究極の安寧だ。其れが粉々に砕け散った欠片が、きらきらと弾ける、
———音。
小雨は僕の鼓膜を俄に濡らし、がらんどうの僕の内に、ぽつぽつと、水滴を落としていく。其の一滴、一滴が、枯渇した僕の血肉にじんわりと滲んで、
冷たい様な、あったかい様な、奇妙な感覚。
其れが、不思議と馴染んで、心地好い。
目を閉じて。
僕は、じっと小雨を聴く。
昏がりに、水溜。
何処までも、限りなく透明で、しかし、底を見る事は出来ない。果て無く続く深淵だった。底に、吸い込まれる様に小雨が沈んでいく。
其の、波紋の曲線美が描く時の流れを、暫く眺めていると、奥にぼんやりと、黒い影。
嗚呼、僕だ。
形のぼやけた、ぐねぐね歪んだ、黒い影。
————————————僕?
ただの黒い影じゃないか。
いや、そもそも何の影だ?
見つめれば見つめるほど、その影は僕のようであり、僕じゃない別の何かのようであり、不気味な儘、黙している。
僕の中に得体の知れない何かが居る様で、
そして、其れは紛れもない、僕自身だというのか。
曖昧な、僕の存在。
形のない、掴みどころのない、
——————水。 の様な。
嗚呼、
水だ。
根拠は無いけれど、確信した。
僕は水だ。
此の小雨は、僕の姿だ。
そして、小雨が水溜に帰る様に、僕も還る。
かぐや姫が月が恋しさに涙した様に、
僕が小雨が愛しさに満ちている様に、
僕は水に還るのだ。
————小雨が降っている。
雨粒が、肌に沁みる。
浸透して、細胞液に溶けて、血液を流れる。
躰を、心を、全身を雨が巡る。
脳髄が溶け出して、空の頭蓋骨の中で揺れている。生白い、貧弱な僕の肢体に、雨水が溢れて、爪のさきから零れて落ちて行く、
その、深淵なる水溜へ—————————
静寂に、
小雨が降っている。
水溶性 笹乃秋亜 @4k1a
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