ミロワールの謎

それは夏休みもあとわずかという日だった。

五年ゼロ組の健君の夏休みの宿題を一生懸命にこなして、健君の陸上の大会を応援しに行って、健君がなかなかの記録を残したのを見届けた。健君だらけの日々を終わらせたあとの話だ。


八月の終わり。リーチ君から電話があった。ひとり朝食の後片付けをしていた私は水に濡れた手をふいてから携帯電話をとる。ほぼ持ち歩かない携帯だから、どうとればいいのか思い出すのに少し時間がかかった。


『あっ、小夜子?オレオレ〜』

「オレオレなんていう知り合いはいません」

『リーチだよ。六年ゼロ組のリーダーのヒーロー、理一郎君だ』

「はいはい」


久しぶりのせいか、電話のせいか、リーチ君はいつも以上に浮かれているように思う。そういえば夏休みの陸上大会以来かもしれない。

それにしても、リーチ君から電話なんて珍しい。私は携帯を持っているけどあまり持ち歩かない。学校に持っていってはいけないからだ。その事をわかっているのでリーチ君も普段電話はしてこない。

校則では携帯電話の使用・持ち込みは禁止。ただし子供用ケータイを登下校に使うだけならオッケー、という不思議なルールがある。

多分大人用の携帯はゲームする子がいるから。そして遠くから通学する子の防犯のため連絡手段がいるから。だからキッズケータイのみ可能なんて決まりが生まれたのだと思う。

リーチ君は軽快な様子で続ける。


『お前さ、俺とちょっと社会見学に行ってみない?』

「社会、見学?」


もちろんその言葉を知らないわけではない。ただ、それは学校が言い出すものというイメージがあって、リーチ君が言い出すのにはへんなかんじがあった。


『夏休み宿題の一行日記、俺、書ける気がしないんだよ。だからネタ探しに社会見学』

「日記? 書けないの?」


一行日記。それは夏休み中の天気と一緒に一行だけ日記を書いておくというものだ。その日の目標でもいいし、予定だけでもいい。でも作文の苦手なリーチ君はそれでも苦労しているらしい。だからその一行を埋めるために自ら社会見学を企画するという。相変わらずすごい行動力だ。


「リーチ君ならお家の人にどこにでも連れてってもらえそうなのに。ていうかすでにどこか行ってなかったっけ?」

『ああ、沖縄と北海道に行っちゃったんだよ。冬にはハワイ行く予定だし。もう遊びに行くの、ねだれねーんだ』


セレブめ。私は口には出さず携帯を握りしめた。そんな北と南のいいところに旅行しておいて、ネタがないとは何事だ。

私の一行日記なんて、『今日はお母さんと揚げ物に挑戦した』とか『家中の鍋の焦げを落とした』とかそんなことばかりだというのに。


「まぁいいけど。それで社会見学ってどこに行くの?」

『ミロワールのアトリエ兼事務所』

「えっ?!」


リーチ君の口からなんでそんな名前が出たのか。ミロワールは私がモデルした女性向けのブランドだ。


『前に俺、内海さんと連絡先交換しただろ。それで話してたら社会見学に来たらどうかって』

「内海さんが言ったんだ……?」

『そう。ついでに小夜子も仕事関係なく遊びで連れてきてほしいってさ』

「仕事、関係なく?」

『なんかさ、加々美さんがスランプらしいぜ。で、ブランドイメージ近い小夜子見たらデザインできる気がするってさ。できたら志水先生も呼んでほしそうだったけど、先生は予定合わないんだって』


加々美さんはミロワールのデザイナーだ。王子様みたいなイケメン。その人は私の容姿を気に入っている。デザイナーにとってそういう人はデザインの源だから、できれば会いたいのだろう。

そして、加々美さんにとって志水先生は初恋の人らしい。内海さんはまどろっこしい思いをして二人を見守っているけれど、あまり進展はない。





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