後編

 何故。どうして。不死であるはずのグール達が次々と倒されていく。勇者の持つ聖剣のせいか、癒しの力を持つ子供のせいか。先程から私が撃ち込んでいる魔法は尽く結界で弾かれ消える。たった四人の人間に、イストミンスターの軍が蹂躙されるなんて。勇者がまだ子供だからと油断していた? いや、ありえない。時間が少なかったとはいえ出来る限りでの万全の準備で望んだはずだ。それなのにこんな、こんなことが。

 最後の一人が聖剣によって斬り伏せられた。地面に倒れてぴくりとも動かない。勇者の瞳が私を見据えた。

「あとはお前だけだ」

 息は上がっているものの、目立った外傷は無い。あんな子供に、痛手の一つも与えられずに私の軍は壊滅したのか。

 長い睨み合いが続く。剣では宙に浮かぶ私を攻撃することはできない。魔法はお互いが結界で完全に防いでいる。向こうに魔法を使える人間は一人だけ。このまま魔法を打ち合うとすれば、潜在魔力の大きい魔族である私の方が有利だ。問題は、逃げるという選択肢がこいつらにはあって私には無いことか。

「降参する気はないか?」

 私を見上げていた勇者が至極真面目な顔で、とんでもない寝言を吐き出した。勇者の仲間達は呆れたような苦笑を浮かべる。私に一撃を加えた訳でもないのにこの言い草だ。いや、私にこいつらを殺す実力が無いことを見透かされているのだろうか。

「お優しい勇者様ね。可愛いグール達にもいくらかの情けをかけてくれればよかったのに」

「グールは、本来は死んでいるはずのものだろ」

「私が死体から生まれていれば今すぐに殺すのかしら? それとも、グールが言葉を話し人間のような姿なら殺さないのかしら?」

 死んでいるべき存在だったとしても、彼らは私の大切な部下だった。私と彼らの間に生死を分けるほどの違いは無い。グールが死ぬべき存在だというなら、その剣を私に向けるべきだ。

 自分にも分からない感情が波打つ。知らない激情によって、口は勝手に挑発の言葉を紡いでいた。

「人の姿を、人の思考を、人の言葉を持っていれば殺すべきではないと? 私の可愛い部下達が何を考えていたかなんて知らないのに」

 勇者の聖剣を握る手に力がこもる。怒りのためか、後悔のためか。

「中途半端な正義は身を滅ぼすわよ。人間なら助ける、魔物なら殺す。単純でいいじゃない」

 結界を前方に集中させる。魔法使いの詠唱が終わり、雷球が飛んでくる。それに同じ物をぶつけて相殺する。相殺した、はずだった。

 雷球のすぐ後に隠れていた魔力の塊が結界と浮遊魔法の陣を破壊する。しまった、と思う間もなく地面に落ちた、その隙を勇者は見逃さなかった。数歩で距離を詰め、詠唱を始めようとした口を手で塞ぎ、そのまま地面に押し倒される。首筋に聖剣が当てられた。

 こんなにも容易く敗北するなんて。間近にある勇者の顔が苦しげに歪められた。

「これ以上抵抗しないなら、命は奪わない」

 近付いてきた仲間達が今度こそ非難の声を上げた。それでも勇者は前言を撤回しようとはしない。

「間違っていると、甘いと言われても構わない。できることなら、殺したくないんだ」

 こいつは、どこまで幸せな頭をしているのだろう。鳶色の目は私を真っ直ぐに見据えている。

 無理はするなと、魔王様は仰っていた。それでも、臣下としてこいつらを大した傷もなく通らせてはいけない。殺せはしなくても、腕の一つくらいは取っておかなくては。不可能だと分かってしまったとしても。私が命を差し出しても何の役にも立たないのかもしれない。だから魔王様は、無理をするななどと仰ったのだろうか。

 なら私は、何のために戦ったんだろう。

「……分かってくれた?」

 腰の剣を抜こうとしていた手を離し、地面に投げ出す。勇者はあからさまに安堵の表情を浮かべた。

「魔法使われると困るから、口は塞がせてもらうけど。あ、あと手足も」

 聖剣を地面に刺し、空いた手で腰の鞄から布を取り出して手早く私の口を塞いだ。次は縄でも取り出すのか、また鞄を漁り始める。

 たとえ私が無力だとしても、ほんの僅かに、魔王様への脅威を減らすことが出来る可能性があるとしたら。

 袖に仕込んでいたナイフを握る。小さな刃では手や足を取ることは出来ない。なら目指すのは急所。がら空きになっている首だ。

 鳶色の瞳がナイフを捉えた。

勇者の仲間が悲鳴にも近い声で名前を叫ぶ。遅れて勇者が動き出す。私はただ全力で、腕を突き出した。


 *


 戦場だった場所にはグールだった土塊が散らばっている。そこに半ば埋まっていた目的の人物を見つけ、頭の近くに屈み込んだ。

「命を賭けるなと言われなかったんですか?」

 問いかけた相手からはかろうじて呼吸のようなものが聞こえる。どうせこちらの声など聞いていないと思っていたのに、綴じていた瞳が薄く開き、微かに口が動いた。

「……何ですか?」

 耳を近付けると、ようやく聞き取れる音量で従者の安否を問う声が届いた。

「キリさんは無事ですよ。勇者達に斬りかかったのを返り討ちにされて、少しは怪我をしたようですが」

 唇がかろうじて笑みのような形を取る。

「応急処置はしておきました。後は城に連れて行ってゆっくり療養させましょう」

 礼の言葉が囁かれる。自身は助からないことを遠回しに伝えたつもりだったが、それに対する反応は特に無しだ。彼女もとうに分かっているのかもしれない。

「他に、何か望みは?」

 返事は無い。しばらくして、ようやく唇が動いた。聞き漏らすまいと耳を近付ける。

 ――私が大活躍したと、魔王様に。

 普段を思い出させる物言いに、私は笑みのようなものを浮かべたと思う。不格好なものだったかもしれないが。

「しかと伝えておきます。……安心して下さい」

 別れの言葉は言えなかった。彼女はまた、唇に笑みのようなものを浮かべる。そしてゆっくりと、瞼を閉じた。

 感情のままに泣いてしまえる子供だったら、なんて考えたのは初めてだ。彼女もきっと、感情のままに行動できればこのようなことにはならなかった。命の危険となれば逃げ出してしまうだろうと思っていたのに。

 頭を振って余計な考えを追い出す。彼女の従者を丁重にもてなしてやらなければ。他にもやるべきことは山程ある。

 立ち上がる前に、一度だけ。彼女の髪をそっと撫でた。

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とある魔物の献身 時雨ハル @sigurehal

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