とある魔物の献身
時雨ハル
前編
イストミンスター家の当主である私、リリアーヌ・ド・イストミンスターの朝は、中庭で部下達に食事を与えることから始まる。
「お前達、ちゃんと残さず食べなさいよ。腐ったらすごい臭いなんだから」
あーとかうーとか呻きを返しながら部下であるグール達は生肉を貪っている。見た目が少々あれなのはどうしようもないのだけれど、もう少し知性のある振る舞いはできないものか。明日からの訓練に行儀作法の勉強も……無理か。脳みそが腐ってるのもいそうだし。
古くは神話の時代から続いているとも言われるイストミンスター家は、由緒正しい不死魔族の家系である。不死魔族といっても不死なのは当主ではなく、その眷属である。不死者を作りだし、操り、人間共を食らっていくその様は同じ魔族からも恐れられるほど――だったらしい。物心ついてからこのかた、人間が魔界へ侵入してきたのは数えるほど。イストミンスター家の領地が戦場になったことは皆無。不死の門番などと呼ばれているにも関わらず、だ。
「こいつら、本当に強いのかしら」
独り言のつもりで呟いたら、下の方から「にゃにをおっしゃいますか!」と甲高い声が上がった。視線だけ向けると、二足歩行の猫が腕を振り回していた。
「今はにゃきダンニャ様が残してくださった軍が弱い訳がありません!」
「キリ、うるさい」
とっくに聞き飽きた言葉だったので、耳をつねると奇声を上げて逃げ出した。父様に助けられた恩義を云々とかよく言っているけれど、いまいち頼りにならない。そもそも父様の代に人間と戦ったことはないはずだ。おじいさまから受け継いだ軍を、今の私のような気分で世話していたのだろうか。そろそろこいつらも平和ボケしていそうだ。かといって、人間の街まで攻めに行くのは禁止されているし。
来客を出迎えたらしいキリの声が、とりとめのない思考を現実に引き戻す。屋敷の、正面玄関がある北館に目を向けると見覚えのある女が姿を現した。
「あら、魔王様のお気に入りじゃない」
嫌味たっぷりに呼んでやると、彼女は人間の騎士のように頭を下げた。
「お久しぶりです、リリアーヌ嬢」
「何の用? 別にやましいことはしていないわよ」
「調査に来たわけではありませんよ。魔王様はあなたを信頼していらっしゃいますから」
「へー」
「お忙しい方なので直接こちらに、という訳にはいきませんが」
「へえぇー」
転移魔法でも使えばあっという間だろうに。イストミンスター家の当主となった時にお会いしたのが最初で最後だ。まぁ、一魔族が頻繁にお会いしたいだなんて過ぎた願いだろうが。
「あんたは毎日魔王様のおそばにいられるっていうのに」
「それが仕事ですから」
納得いかない。特別優れた容姿でもないし、会話してるとゴーレムでも相手にしているような気分になるし、血筋だってしっかりしていないし、多分雑種だし。ものすごく有能とか、もしくは涙を誘うような生い立ちだとか、そんな理由でもあるのかしら。
「で、何の用なの?」
「強いて言えば視察でしょうか。このところ平和すぎて連絡も取っていなかったので、様子を見てこいとのことです」
魔王様の優しさって少し方向性がずれてる気がするわ。もっとこう、違う方向の優しさを……いやいや、何を考えているのリリアーヌ。
「見るものなんて特にないわよ。グール達は相変わらずうーうー言ってるし、生肉ばっかり食べるし」
「そうですか」
「あとは……そういえば、キリの毛がそろそろ生え替わるみたい。自分の抜け毛を自分で必死に掃除してるわ」
「ブラッシングするといいらしいですよ」
「してるわよ。暇だし」
「……暇すぎるのも考え物ですね」
「何か仕事とかないのかしら」
「最近は魔界全体が平和ですからね。勇者もしばらく来ていませんし」
「ふーん。人間共もいい加減諦めたのかしら」
「いえ、また新しく勇者を送り込むらしいという情報は入ってきています」
「そうなの?」
「あなたにも戦ってもらうことになるかもしれませんよ」
「望むところだわ」
グール達は生肉を食べ終えたらしい。訓練を始めるよう指示を出してから、隣の鉄面皮に向き直る。
「お茶でも飲んでいく? どうせ暇なんでしょう」
「珍しいですね。以前は帰れ帰れと言っていたのに」
「とびきりのお茶とケーキをご馳走してあげるわ。代わりに『親切なリリアーヌ様に目一杯もてなしていただきました』って報告しなさいよ」
「そういうことですか」
キリを読んでお茶の準備を言いつけ、二人で応接間に向かう。魔王様の情報をたんまり得るまでは帰す気はない。ひっそりと笑みを浮かべたら、しっかり見られていた上にかわいそうなものを見る目をされた。
*
勇者が魔界に侵入するとの情報を受け取ったのは、魔王様の側近が訪ねてきた一ヶ月ほどあとのことだった。珍しく魔法での伝達を受け取って、さらに希少なことに相手が魔王様だったので、慌てて見えもしないのに姿勢を正して回線を開いた。
「はい、リリアーヌ・イストミンスターです!」
『私だ。急にすまないな、リリアーヌ。だが緊急事態なんだ』
「は、はい! なんなりと!」
まさか魔王様と直接お話できる日が来ようとは。緊張で声が上ずる。頭だけはしっかりと動かさなければ。
『間もなく勇者が魔界に侵入するとの報告があった。君の領地かその近くを通るはずだ』
「勇者が……」
『目前に来られるまで気付けなかったのは私の油断のせいだ。すまない』
あまりにも簡単に謝罪の言葉が出てきたことに息を呑む。仮にも王である方が。
「どうか、そのようなことを仰らないでください」
魔王様に謝らせてはいけない。それはつまり、私が庇護される存在になってしまうということだから。
「勇者といってもただの人間です。人間ごときを倒すのに、大した準備は要りません。イストミンスターの軍は常に万全の状態です」
少し誇張が入っていたのは否めない。でも私にだって見栄を張りたい時くらいある。初めての戦いに高揚していたというのもあるけれど。
『昔会ったときはまだ子供だったが、たくましくなったものだね』
「これでも由緒正しいイストミンスター家の当主ですから」
微かな笑い声が届く。そのことにひっそりと安堵した。
『では勇者の迎撃は君に任せよう。援軍は送るが期待しないでくれ』
「かしこまりました」
転移魔法を使える者はそう多くはない。今すぐ援軍を送ったとしても、ここに着くのは戦いが終わった後だろう。
「このリリアーヌ・イストミンスター、命に代えても勇者を討ち取ります」
『命まで賭けなくていいよ』
そう苦笑する。まったくこの方は優しいというか甘いというか。その優しさが別の方向に向いてくれればいいのに。いやいや、何を不遜なことを考えているんだ、私は。
『まあ、あまり無理はしないように。言っても無駄かもしれないが』
「ここで無理をせずにいつするのでしょう?」
また笑いが漏れる。準備を始めるので、と挨拶とともに通信を切る。強く、拳を握りしめた。
初めての戦だ。戦術は教わっていても、本物の空気は知らない。それが致命的な状況を招くこともあると知っている。それでも、この高揚を抑えることはできない。
たった数人の人間を相手に魔王様の手を煩わせるまでもない。私が片付けてみせる。
「キリ! 準備するわよ、手伝いなさい!」
まずは使い魔でも作って領地と周辺を巡回させて、グール達には武装させて。私もそれなりの装備は身に付けなければ。部下達に比べれば頼りないかもしれないが、一通りのことは仕込まれたし、魔法に関しては自信がある。
負けはしない。ここは不死の門番が守る地なのだから。
キリは引っ込んでいろと命令したら拗ねられた。二足歩行して喋れるだけの猫なのに、どうやって戦うつもりだったんだろう。
*
魔界と人間界を隔てるのは深い森だ。そこを抜ければ、不毛の地が広がっているという。
「ここが、魔界……」
俺たちが見た魔界は、言い伝えから想像していたのとは随分違う世界だった。草一つ生えないと言われた地にはそれなりに植物が生えていて、遠くには森のようなものも見える。建物もぽつぽつとだけど建っている。人が暮らす地に比べれば荒んでいるけど、不毛の地、と言うほどじゃない。
「意外と普通ね」
いつでも詠唱できるよう杖を構えていたエレナが拍子抜けした様子で呟く。もっとこう、魔界に入った途端に魔物の大軍が襲ってくるような恐ろしい所を想像していたんだけど。
「気を抜くなよ。いつ魔物の群れが襲ってくるか分からんぞ」
「ここはまだ視界が悪いし、気を付けないと」
フォグとミーナの言葉に頷きを返す。不意を突かれれば、数で負ける俺たちはあっという間に殺されてしまう。まずは見通しのいいところに出ないと。
「せいぜい気を付けていきましょうか、勇者様?」
「やめろよ……」
エレナにからかわれながら、俺たちは再び歩き出した。木々の間を抜けて、できるだけ建物の無い方向を目指す。百年以上前に書かれたという地図は役に立たなさそうだ。
「待て」
ようやく見晴らしのいいところに出そうだという時に、フォグが鋭い声をかけた。
「何かいるぞ」
フォグの視線の先を追うと、そこの地面が少し盛り上がっているように見える。いや、地面じゃなくて何かが集まっているみたいだ。あれは、魔物?
「グール……」
ミーナが吐き出すように呟く。人や魔物の死体が不死の魔法をかけられて生まれるというグール。あんなところに集まって一体何をしているんだろうか。
「あの数は相手にしたくないわね」
「面倒だが迂回していくか。戦闘してすぐに休める保証も無い」
エレナとフォグが潜めた声で言葉を交わす。
「俺も早く離れた方がいいと思う。見つからないうちに」
あのグールたちが勇者である俺を探している可能性は大いにある。進路を変えて進もうとした時に、今度はミーナが声を上げる。
「待って、近くに何かいる!」
一斉に武器を抜いて戦闘態勢に入る。ミーナが素早く詠唱して俺たちの周りに結界を張った。
やけに長く感じた数秒のあと、女性の声が響く。
「ようこそ、『勇者様』」
グールの群れと俺たちのちょうど間あたりに、一人の女性が立っていた。金色の髪と藍色のマントを風になびかせている。遠くて顔はよく見えないけれど、声の感じでは俺より年上、二十代前半くらいだろうか。魔族だろうから本当はもっと年上かもしれないけど。
「さっさとそこから出てきたらどうかしら? それとも木ごと焼き払った方がいい?」
彼女の周りに魔法陣らしいものが浮かび上がる。
「エレナ、あれ防げる?」
「ええ。向こうも本気じゃないみたいね」
魔法は結界で防いでここで戦うべきか、それとも出て行くべきか。武器を使わないグールと戦うならある程度開けた場所がいいだろうけど、数が違いすぎる。
「どうする?」
「行こう」
ミーナの問いに短く答えて、聖剣を握り直す。結界は張ったままゆっくりを森から出ると、待ちかまえていた女性が笑顔のまま首をかしげた。
「あら、出てきたのね。逃げたら後ろから魔法の一つでも打ち込んでやろうと思ったのに」
まあいいわ、と呟いて彼女は空中に浮かび上がる。マントの端をつまんで、貴族のように礼をした。
「私の名はリリアーヌ・イストミンスター。不死の軍を統べる者。初めまして、勇者様方」
リリアーヌと名乗った魔族が腕を上げると、グールたちが一斉に戦闘態勢へと入る。
「そして、さようなら。お前達を魔王様の元へは行かせないわ」
笑顔のまま、そう告げる。エレナが詠唱を始める。俺は空中に浮かんだままのリリアーヌを真っ直ぐに睨んだ。
相手が大群だったとしても、始まる前から気持ちで負けていては意味がない。
「俺たちは負けない。――負けるわけにはいかない」
魔族の笑顔がわずかにゆがんだ。腕が振り下ろされる。グールたちが動き始める瞬間に、エレナの作り出した火球が撃ち込まれる。同時にリリアーヌを打ち落とそうとした魔法弾は、簡単に打ち消された。
「私だって、勝たなければならないのよ」
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