誕生日の贈り物

 カオフマン家の屋敷には応接間が三つある。どの部屋も高価な家具が置かれ、計算され尽くした内装が客を迎える。しかしそれらの部屋の内の一つは、突然やってくるアイゲンズィン家の令嬢のための部屋となりつつあった。

 いつの間に作っていたのか彼女の好きそうなケーキを使用人から受け取ったジルは、音を立てずに皿を机に置きフィアスの正面に座った。彼女はカップを唇に当てたまま、この上ないほど顔をしかめている。

「今年最初のベリーです。お好きでしたよね」

 当たり障りのない話題でひとまずケーキを勧めると、フィアスは仏頂面のままフォークを手に取った。いささか乱暴な手つきで切り分け、味を問うのがためらわれるような表情で咀嚼する。

 この調子では何を言っても彼女の機嫌が良くなることは無さそうだ。心中で溜め息をついて、ジルは口を開いた。

「ヴェステン公爵との縁談は無しになったそうですね」

 フォークと皿がぶつかり、甲高い音を立てた。

 彼の言葉が聞こえなかったかのように、フィアスは次の一口を口に運ぶ。それを飲み込んでしまった後にも返事が返ってくる気配はない。

「……フィアス」

「私は悪くないわ」

 名前を呼ぶと、ようやく反応があった。ケーキを消費しながら、感情を抑えた声で言葉を続ける。

「ちゃんと礼儀正しくしたのよ。馴れ馴れしくもされたけれど、ちゃんと我慢して嫌な素振りも見せなかったもの。それなのに、それなのに……私の荷物に何が入っていたと思う?」

 フォークを置いた彼女の手は微かに震えている。深緑の瞳がジルを睨み付けた。

「何が入っていたんですか?」

「下着よ。……しかも、娼婦が着るような!」

 細い腕がソファの肘掛けに叩き付けられる。

「私はあんなもの持っていなかったのに、向こうの侍女に見られたのよ! もう、最低! 誰があんなもの入れたのよ!」

 感情を爆発させながら、繰り返しソファを殴る。フィアスの細腕では布が破れて中身が出ることはないが、あまり叩き続ければ中の羽毛が潰れてしまうかも知れない。仕立て直すことになるだろうかとジルが考え始めた頃、ようやくフィアスは動きを止めた。肩で息をして、背もたれに身を預ける。

「これじゃ、何のために西部まで行ったのか分からないわよ……」

 ぽつりと呟いて、顔を伏せる。

「その程度で婚約を取りやめるような方と婚約しなくてよかったのではないでしょうか」

 平坦な声で慰めると、フィアスは顔は上げずに非難めいた視線をジルに送った。

「それに、ヴェステン公爵には少々特殊な性癖があるという噂ですし」

「特殊な性癖?」

「同じ年頃の女性よりも年下の少女が好きだとか」

「何か問題なの?」

 首を傾げて尋ねる少女に、ジルは一瞬言葉を無くした。しかしすぐに思い直して説明を付け足す。

「もしそんな人と結婚すれば、あなたが大人になったときには別の少女の所へ行かれてしまいますよ」

「それは困るわ」

 ひとまず理解はしてくれたらしい。冷めてしまった紅茶を淹れ直そうと、ジルは立ち上がってワゴンの上のポットに手をかける。

「どうしたらいいのかしら」

 誰にともなく呟きが漏れる。ジルは無言のまま茶葉の缶を開けた。

「変な噂が広まったらもう結婚できないわ」

「その心配はないかと」

 フィアスは不審そうに眉をひそめ、首を傾げる。訝しむ視線を苦笑で受け止めながら、茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。

「もう忘れてしまいましたか? ほんの十日ほど前のことでしょう」

「十日前?」

 思い出そうと顎に手を当てたフィアスは、すぐに思い当たったのか「あ」と声を上げた。

「やっと思い出していただけましたか」

「冗談だと思っていたわ。だって、ジルと婚約、なんて」

 フィアスはばつの悪そうな顔で沈黙した。ポットを机に置き、逆さにした砂時計をその隣に置く。砂の落ちる音だけが微かに響いた。

 砂が落ちきるまで待って、ジルは口を開く。

「僕は本気ですよ」

「分かっているわ」

 カオフマン家の長男として、フィアスとの婚姻は願ってもない良縁だろう。彼女の言わんとしていることを感じ取って、ジルは再び苦笑を浮かべた。手を伸ばしてフィアスのカップを取り、紅茶を注ぐ。

「あなたが伯爵令嬢だからということもありますが、一番の理由は他にありますよ」

「他に理由なんてあるの? 私がフィアス・ファウ・アイゲンズィンだからって理由の他に」

「そんなものはただのおまけですよ」

 手品の種を探すような視線がジルに向けられる。紅茶のカップを差し出し、ソファに座ってからゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あなたが好きだからです」

 何の装飾もされていない言葉。フィアスの大きな瞳が見開かれる。何か言いたげに開かれた唇は、結局無言のまま閉じられた。

「一生あなたの隣にいたい。カオフマン家の人間としてではなく、一人の男として」

「……な」

 空気を求める魚のように、小さな唇がぱくぱくと開閉される。ジルはその様子にも笑み一つ浮かべず、無言で彼女の返事を待った。

「冗談でしょ、だって、ジルは……」

「本当ですよ」

 即座に返すと、フィアスは顔を赤くして俯いてしまう。ジルは立ち上がり、彼女の手を取った。弾かれたように上げた顔が、掴まれた手をじっと見つめる。

「フィアス、僕と結婚してください」

 静寂に満ちた部屋に、その言葉だけが響いた。

 泣きそうな表情で見上げる少女の瞳を見つめ返す。彼女はまた顔を伏せ、かろうじて聞き取れる声で呟いた。

「そこまで言うなら、婚約してあげてもいいわよ」

 こんな場面でも相変わらずの言い様に、ジルは思わず微笑を浮かべる。

「ありがとうございます」

「婚約はしてあげるけど、私はジルが好きじゃないから。知らなかったもの、そんなの、ジルが考えてたなんて……」

 掴んでいる手が頼りなく握り返される。混乱しているのか意地を張っているのか、彼女の言葉は要領を得ない。それでも大体の意味を理解して、ジルは白い手の甲に口付けを落とした。

「好きになってもらえるよう努力しますよ」

 慣れたはずの行為にフィアスは耳まで赤く染めて、「精々頑張りなさい」と呟いた。

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