私たちの誓い
夜中に扉が叩かれたとき、物盗りかと思った。物盗りにしてはやけに控えめに扉が叩かれていたから、訝しみながらも扉を開けた。そこにクレスがいたときは、幻だと思った。
「ライア、さん」
走ってきたのか、途切れ途切れに俺の名前を呼ぶ。
「えっと、クレス、だよな?」
我ながら間抜けな質問をすると、クレスは少し眉をしかめた。普段はそんな顔しないと思うんだけど、疲れているせいで余裕が無いのかもしれない。
「あの、私、話がしたくて」
まだ息が整わない内から話し始めようとする。今日のことを謝りに来たのだろうか。そんなに気に病む必要も無いのに。
「とりあえず、少し休んだ方がいいよ」
上がって、と笑顔で言ってみると、クレスは素直に頷いた。部屋に通して、とりあえずお茶でも淹れようと奥の部屋へ足を向ける。
「疲れてるでしょ。お茶でも飲む?」
「いえ、大丈夫です。あの、私、聞いて欲しいんです」
いつもはすらすらと話すのに、今日はやけにたどたどしい。その表情がやけに思い詰めているような気がして、ひとまず机に身体を預けた。
「それはもちろん、構わないけど」
どうぞ、と言ってみても、クレスはすぐには話し始めなかった。言葉を探すように視線を泳がせて、ややあってから顔を上げる。
「私、今日、ライアさんに一緒に暮らそうって言ってもらえて、すごく嬉しかったです。ライアさんについていったらきっと幸せだって、思いました。一緒にいたいって、思いました」
クレスは子供のように言葉を並べて、頬を赤く染めていく。よく見なくても分かるくらい赤くなった顔を伏せた。可愛いな、なんて今言ったら怒られるだろうか。
「ずっと傍にいたいって、思いました。私も、ライアさんのことが好き、だから。でも」
伏せた顔をまた上げて、クレスは言葉を紡いでいく。
「私、もっともっと、勉強したいです」
顔は赤いけど、ちょっと泣きそうな顔だけど、その表情に迷いはない。
「ライアさんが貸してくれた本はすごく面白くて、だけど、これだけじゃ足りないって、思いました。本だけじゃなくて、実際にこの目で見て、もっと最先端のことも学びたいって」
頬の赤みは少しずつ消えて、確かな光が瞳に宿っている。さっきまでとは違う、理性的な響きを孕んだ声で、クレスは自分の心を語る。
「ライアさんと一緒にリウの街へ行っても、ある程度のことは知れると思います。だけどそれじゃ、足りないから」
何かを耐えるように、眉がしかめられる。
「大学に行こうと、思っています。教会の人には反対されると分かっています。でも、譲りたくありません」
ごめんなさい、とクレスの唇が動いたように見えた。
「城都の大学に行けば、ライアさんには頻繁に会うことはできないけど、それでも」
静かで、深い青色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。
「待っていて、いただけますか。私が大学を卒業するまで」
その表情に迷いが滲んだ。
大学に入って、一年や二年では十分に学ぶことはできない。四年か五年、あるいはそれ以上。まだ十六歳の人間の心が変わるには十分すぎる時間だと、彼女は考えているんだろう。
まったく、もう少し信頼して欲しいもんだ。
*
「もちろん。何年でも待つよ」
ライアさんはこともなげに宣言した。あまりあっけなくて、私は多分、変な顔をしていたと思う。
「全然会えなくなるわけじゃないし。それにどうせ、俺も仕事に慣れるには何年かかかるし」
「え、え、でも……」
戸惑う私に、彼はにやりと笑ってみせる。
「そう言うクレスこそ、俺一筋でいられるのかな?」
「あ、当たり前です!」
「なら俺も大丈夫だよ」
そう言われてしまうと反論のしようがない。仕方なく押し黙ると、ライアさんは私に近寄り、両の手を握った。
「そんなに心配なら、約束しよっか」
「約束?」
ライアさんは頷いて、いたずら好きな子供の笑みを浮かべた。
「知ってる? 約束するときは、キスするんだって」
「それ、結婚ですよ……」
思わず言い返すと、ライアさんは「一緒一緒」と笑った。一緒にしちゃいけない気もするのだけど。
「えーっと、どうやるんだっけ? クレス、こういうの詳しいでしょ」
「一応……でも、ちゃんとは分かりませんけど」
「じゃあどうぞ」
恥ずかしいけれど、にっこりと笑顔を向けられたら断ることもできない。握った手に少し力を込めて、私は口を開いた。
「ライア、さんは」
「ライアでいいんじゃないかな」
すかさず訂正されて、仕方なく言い直す。
「ライア、は、えっと……私をずっと待っていることを、誓いますか?」
「誓います」
優しい声で言われて、勝手に頬が熱くなる。気付かれないように顔を伏せて、「どうぞ」と次を促した。
「んー、そうだな。じゃあクレスは、俺の所に来てくれるまで、クレスが決めたことを諦めないって、誓いますか?」
「そ、そんなことでいいんですか?」
浮気はしない、とか言われると思ったのに、ライアさんは当然のように頷いた。
「ほら、クレス」
「ち、誓います」
もとより諦める気なんてないけれど、でも、ライアさんが応援してくれている気がして、少し嬉しい。
「じゃあ、誓いのキスを」
こんなに恥ずかしいのに、ライアさんはいつも通りの声で話す。遅すぎるくらいゆっくりと顔を上げると、真っ赤になったライアさんの顔が目に入った。
「……何」
思わずまじまじと見ると、不機嫌そうな顔をされしまった。
「あ、すみません、そんなに照れてると思わなくて」
「照れるに決まってるでしょ。ほら、早く目閉じる」
真っ赤な顔で不機嫌そうに言うライアさんがおかしくて、つい笑みが浮かんでしまう。
「ライアさんも目、閉じてください」
不満そうな顔のまま、ライアさんは目を閉じた。握っていた手が離れて肩に乗せられる。その温度を感じながら、私も目を閉じる。
最後のほんの少しの距離は、背伸びした私が縮めた。
正しい魔法の使い方 時雨ハル @sigurehal
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