私の未来

「クレス、遅い!」

 教会に帰って来るなり、待ち構えていたノモに怒られてしまった。わざとらしく頬を膨らませているところを見ると、本気で怒っているわけではないらしい。

「ごめんね、ちょっと遠くまで行っちゃって。でもほら、見つかったよ」

 抱えていた本を見せると、ノモは目を丸くした。

「見つかったんだ。どこにあったの?」

「橋のね、柵の上に置いてあったの。多分誰かが見つけて、置いておいてくれたんじゃないかな」

 口から出任せを言ってみると、ノモは「よかったねえ」と微笑んでくれた。少しの罪悪感は隠して、私も笑顔を返す。

「じゃ、早く本置いて礼拝に行こ。一番前の席になっちゃうよ」

「そうだね」

 踵を返したノモの隣に並び、少し早足で歩く。既に聖堂へ向かったのか、廊下にはほとんど人の姿が無い。

「もしかして私達、一番最後かなあ」

「ごめんねノモ。私のせいで」

「いいのいいの! 私が勝手に待ってたんだから」

 ノモは元気よく手を振って、けれどふと視線を私から前方へ移す。

「あ、司長様だ」

 軽く手を挙げて挨拶した司長様に、私達は会釈を返した。

「クレス、こんな所にいましたか」

 私を探していたらしい言葉。隣のノモが不思議そうな顔で私を見た。

「何か御用でしたか?」

「ええ。ちょっと話があって」

 一旦言葉を切って、司教様はちらりとノモを見た。

「ここで話すのも何だから……クレス、夕食の後に私の部屋へ来てくれるかしら」

「……分かりました」

 わざわざ部屋で話すと言うことは、他の人に聞かれては困る話だろうか。私の返事を受けて、司長様は「待っているわね」と微笑んだ。

「では二人とも、早く聖堂へいらっしゃい。もうすぐ礼拝が始まるわ」

「はい」

「すぐに行きます」

 それぞれ返事をすると、司長様は礼拝の準備をするために立ち去ってしまう。残された私達は思わず顔を見合わせた。

「クレス、何かしたの?」

「さあ……なんだろうね」

 心当たりなんて一つしかないのに、私は素知らぬ振りで肩をすくめてみせた。


  *


 クレスがここへ来てから、俺は何となく浮ついている気がする。何をするのも面倒で意味もなく本をめくってみたり、かと思えば変にこった料理を作ってみたりする。クレスのことを考えてみたり、そんなことを考えてる自分が恥ずかしかったり。どうしようもない俺の家に再び客が来たのは、クレスが俺の家を訪ねた三日後のことだ。

「よう、ライア。元気かー?」

 ノックも無しに家に上がった男を、俺は不機嫌な顔で迎えてやる。

「何しに来たんだよ、トイル。この間来たばっかだろ」

「酷いな、せっかく親友が来たって言うのに」

「お前と親友になった覚えはない」

「じゃあ家族になろうか」

「絶対やだ」

 軽口を叩きながら薬草茶を淹れる。カップに入れて渡してやると、トイルは「どうも」と軽い礼と共に受け取った。

「そもそも親戚なんだから、家族と大して変わんないだろ」

「そりゃそうだ」

 いとこよりは遠い関係だったはずだけど、確か曾祖父が同じだっただろうか。顔も結構似てるし、髪の毛も、色はもちろんくせっ毛な所まで一緒だから、多分兄弟にも見えるだろう。ただ、俺の目は変に薄い茶色だけど、トイルの目は森のような深緑で、ちょっとうらやましかったりする。まあ、クレスの水底みたいな青い目の方が断然綺麗だけど。

 ……どうしてこう、何でもかんでもクレスに結びつけちゃうかな。

「そういえば、クレスって子はまた来たのか?」

「へっ?」

 考えてたことが口に出てたのかと思ったら、そうじゃないらしい。

「ほら、教会の子が来たって言ってたじゃん」

「ああ、あの子ね……来たよ」

「ふうん?」

 何故かトイルはにやにやと笑い始めた。

「な、何だよ」

「いや、満更でもない顔してるなーって」

「トイルには関係ないだろ」

「それが、関係あるかもしれないんだな」

「は? 何で?」

 トイルは薬草茶を一口飲んでから、続きを話し始めた。

「お前、言ってたよな。クレスって子は教会の人間なのに植物とか進化とかに興味があるって」

「言ったけど」

「てことは、機会さえあれば教会から出てくかもしれないよな」

「……どうだろう」

 いつか、クレスは遠くへ行ってしまうのだろうか。沈みかけた思考は、トイルがカップを机に置いた音で引き戻される。

「ライア、お前が彼女を連れ出してやればいいと思わないか?」


  *


 司長室の扉を叩くと、すぐに「入りなさい」と返事があった。

「失礼します」

 部屋の中に入り、扉を閉める。書類仕事をしていた司長様は顔を上げ微笑んだ。

「いきなり呼び出してごめんなさいね、クレス」

「いえ……それで、お話とは何でしょう?」

 突然市長室に呼ばれた理由。どう考えても私が魔法使いに会っていたことしか思い当たらない。どうして知られてしまったのだろう。焼き菓子を取り分けておいたから? それとも、本を探すと言って二度も出かけたからだろうか。

 私の問いには答えずに、司長様は「その前に座ったら?」とソファを指し示した。素直に指示に従うと、司長様は向かい側のソファに腰掛ける。

 緊張する私に向かって司長様が口にしたのは、全く予想していない言葉だった。

「あのね、クレス。あなたを引き取りたいという方が現れたの」

 魔法使いとはほど遠い話題にとっさには返事ができず、何度か目を瞬かせる。司長様はくすりと笑って、続きを口にした。

「驚くのも無理ないわね。急な話だもの」

「は、はい。あの、私に……ですか?」

「もちろん」

 もったいぶるように少しの間を空けて、司長様は言葉を続ける。

「ここから半日ほどかかる所にカイスという街があるの。そこの教会を管理していらっしゃるご夫婦がね、後継ぎである息子さんの妻にあなたを、とおっしゃっているのよ」

「妻……ですか」

「ええ。もちろん、本人に会ってみて、お互いの価値観が合わなければお断りすることもできるけど」

 とりあえずはお会いしてみたらどうかしら、と微笑む司長様に、どちらの返事であれすぐには返せなかった。

 こんな話が来るのは、とても幸運なことかもしれない。私のように親を亡くして教会で暮らす人の中で、成人する頃から教会で働き始める人は多いと聞いたことがある。教会で働くこと自体は簡単だけど、司長様のような管理職に就くには何年も何十年もかかるし、確実になれる訳じゃない。けれど、このお話を受ければそういった地位を継ぐことができる。お金には困らないだろうし、愛すべき伴侶だっているのだろう。

 でも、多分それは、私の望むものじゃない。

「私……どうして、私なんでしょう」

 苦し紛れの質問に、司長様は楽しそうに答えて下さる。

「あなたはよく図書館に行っていたでしょう? そこの司書の方が教会のご夫婦と知り合いでね、あなたのことを勉強熱心な子だと話してくださったそうなの」

 確かに、私は他の子に比べて学ぶことが好きかもしれない。けれど私が学びたいのは神のことでも、神の教えのことでもない。それを知っていれば、相手方もこんな話は持ちかけないだろう。私の沈黙を違う意味にとったのか、司長様は優しい声で語りかける。

「よく考えた方がいいかもしれないわね。まだ十六歳なのに結婚なんて想像しづらいだろうし、何より一生を左右することだもの」

 その優しさを居心地悪く感じてしまうのは、私がキスト国教の教えに反することを学びたいと思っているからだろうか。

「でもね、クレス。こんな良いお話はそうそうないわ。このままここにいても、きっと教会で働くことになると思うのよ」

 諭すようにゆっくりと、司長様は言葉を紡いでいく。空色の瞳が真っ直ぐに私を見つめた。

「恋をして結婚した人も、大学に行った人だっているけど――それはほんの一握りだもの」

 目を合わせられず俯いていた私の耳に、久しく聞いていなかった単語が飛び込んできた。

「大学……?」

 思わず顔を上げ、その単語を繰り返す。司長様は私の反応に驚いたような顔をして、だけどすぐに悲しげな笑みを浮かべた。

「ああ、あなたのお父様は大学の先生だったわね」

 そういえば、幼い頃に父から大学の話を聞いた記憶がある。

「この教会から大学に行った子は少し変わった子でね。教会で働くよりも聖典をとことん研究したいって言って、城都にある大学に行っちゃったのよ」

 大学について尋ねたとき、父は「自分のやりたいことをずっとやれるところだよ」と答えてくれたはずだ。

「ちょうどあなたと入れ替わりで大学へ行っちゃったのよ。勉強が好きな者同士気が合ったかもしれないわね」

「そう、かもしれませんね」

 今回の話を受けることと、断って数年後に教会で働くこと。それともう一つ、私の望む勉強をすることを、選択肢に入れてもいいのだろうか。

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