魔法使いとのお茶会
本と小さなカゴを抱え、目の前の扉を叩く。ややあって、家の中で何かが落ちるような音がし、扉が開いた。
「クレス!」
「こんにちは」
満面の笑みで出迎えてくれたライアさんに、私も微笑みを返す。
「こんにちは。こんなに早く来てくれるとは思わなかったよ」
「本を探しに行くって言って出てきてしまいました」
「なるほど。まあ間違っちゃいないね」
にやりと笑ってから、「とりあえず上がってよ」と彼は家の奥に消えてしまう。私はひとまず家の中に入って、机の上に荷物を置いた。二日前に来たときと同じように壁の代わりに本が並んでいるけれど、今日は何故かそれに加えて、机や床の上に本が落ちていた。首をひねりながらも床の本を拾っていると、ライアさんがお盆を持って現れた。
「お待たせー」
お盆には湯気の上がるカップが二つと、焼き菓子の盛られた皿が乗っている。
「あ、散らかっててごめんね」
ライアさんはお盆を机に置くと、私が拾った本を棚に戻していく。
「一回読み始めちゃうと本棚に戻すのが面倒でさ」
「あ、少しわかります。早く次の本が読みたくなりますよね」
「そうそう。でも出しっぱなしにしてたせいでさっきつまずいちゃってさー」
「つまずいて、って……大丈夫ですか?」
どうやら出迎えてくれたときに物音がしたのは彼が転んだためらしい。「平気平気」と笑って、ライアさんは机に腰かけた。その時になって初めて私の荷物に気付いたらしく、借りていた本を手に取る。
「もう読み終わったの? 急がなくて良かったのに」
「急いだわけでは……その、夢中になって読んじゃって」
少し恥ずかしくなって、俯きながら告げる。ライアさんは「そっかそっか」と嬉しそうに私の頭を撫でた。年齢は同じはずなのに、何故子供扱いされているんだろう。すぐに頭から離れた手が机の上に置かれる。
「こっちは何?」
「あ、それは……」
ライアさんは私が持ってきたカゴを持ち上げて首を傾げた。私が答えられずにいると、不思議そうな顔のままカゴにかけられている布をめくる。布の下にあるのは、皿に盛られた物とそっくりな焼き菓子だ。
「お菓子だ」
彼は目を丸くして、私が持ってきた焼き菓子と彼が用意した焼き菓子を交互に見ている。小さな声で私は説明を付け加えた。
「昨日、教会で焼くことになって、それを少し取り分けておいたんです。その、ライアさんも用意してくれているとは思わなくて……」
「こんなに似てるのを持って来ちゃうなんてねえ」
あきれると言うよりは感心した口調で言って、ライアさんは私が持ってきた焼き菓子を口に放り込んだ。
「ん、美味い。こっちの方がいいかも」
「そんなに違いますか?」
「クレスも食べ比べてみなよ」
皿とカゴを押しやられて、私は「いただきます」と言ってから手を伸ばした。一応よく味わいながら食べてみる。あまり違うとは思えないけれど、強いて言えば私が持ってきたものの方が生地はやわらかめかもしれない。
「どっちも同じのような気がします」
「そうかな。俺はクレスのが好きだけど」
好きだって言われたのかと、ほんの一瞬だけ勘違いした。
「……そうですか」
動揺してしまった心に気付かれないように、何とか笑顔で返事をする。私が持ってきた菓子をまた口に入れて、ライアさんは首を傾げる。
「そういえば……クレスが探してた本見つけたよ」
「え?」
「湖に落ちてた」
何のことか一瞬分からず、曖昧な笑みを浮かべてしまう。そういえばそもそも魔法使いに会おうと思ったのは、図書館で借りた本をなくしてしまったからだ。今さら思い出して、慌てて礼を述べる。
「あ、ありがとうございます。わざわざ探してくださって」
「うん」
頷いて、彼はまた菓子を手に取る。それを口に入れて、さりげなさを装いながら私から目を逸らした。何故か気まずそうな顔で沈黙して、本を取りに行く様子もない。
「ライアさん……どうしたんですか?」
声をかけてみると、彼は恐る恐るといった様子で私を見た。眉尻が下がって、泣きそうな顔にも見える。
「あのさ。こんなこと言うの、変かもしれないけどさ」
言葉を切って、俯いてしまう。何も言わずに待っていると、彼は俯いたまま再び口を開いた。
「本を返したら、クレスはもうここには来ないだろ? 返さなきゃ駄目だって分かってるのに、返したくないし、もっと、クレスに来て欲しいって思って」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
予想しなかった言葉を慌てて止めると、ライアさんは顔を上げて私を見た。その目には涙まで滲んでいる。
「え、あ、あの」
男の人の涙なんて初めて見た。そもそも同年代の男の人とこんなに仲良くなったのも初めてで、どうしたらいいか分かるはずもない。あの、とか、その、とか意味のない単語を繰り返していると、ライアさんは不器用に微笑んだ。
「ごめん。冗談だよ」
今にも涙がこぼれそうなくせに、口元だけで無理矢理微笑んで。
「本、水に濡れてたけど綺麗にしたから。取ってくる」
彼は机から降りて、奥の部屋へ向かおうとする。とにかくそれを止めないと、と思った。
「待って下さい!」
振り返ったライアさんが、目を丸くして私を見ている。混乱した頭で何を言うべきか考えて、それからようやく彼の手を握っていることに気付いた。慌てて振り払うように手を離す。
「ご、ごめんなさい!」
「いや……平気」
まだ驚いているのか、ライアさんは目を白黒させている。私は手を胸に当てて、何とか鼓動を落ち着かせてから口を開いた。
「あの、ですね。ライアさん」
驚いたせいか緊張のせいか、頭が上手く働かない。
「私は、これからもここに来て、ライアさんに会いたいです」
どうにか文章を組み立てて、言わなければいけないことを順に言葉にしていく。
「本を読みたいから、っていうのもあります。でもそれ以上に、ライアさんともっともっと、お話がしたいからです」
ただ会いたいから――なんて、とてもじゃないけど言えなかった。
「ほんと、に?」
子供のような声で、ライアさんが尋ねる。だから私は微笑んで、「もちろん」と頷いた。
「ほんと……う、ごめん、俺」
溢れそうになった涙を、ライアさんは袖で拭う。そのまま手で顔を隠し、何故か数歩後ろへ下がった。
「恥ずかしい……」
床に座り込んでしまった。私もかがんでみるけれど、顔は見せてくれそうにない。
「あの、ライアさん?」
「ほんとごめん……クレス。一人で、なんか突っ走ってた」
恥ずかしくて死にそう、と彼はぽつりと呟いた。しばらく次の言葉を待ってみたけれど、何も言わないから私が口を開く。
「ライアさん、私、嬉しいです」
返事の代わりに、彼の身体がぴくりと動く。
「もっと来て欲しいって言ってくれて、すごく嬉しいです」
顔を覆っていた手をゆっくり離して、ライアさんは私を見上げた。その顔は、今度は真っ赤に染まっている。
「もう会えないって思ったから言ったのに……」
「また来ますよ。ずっと、ずっと来ます。ライアさんに会いに」
少し恥ずかしいけど、笑顔で宣言してみる。ライアさんも、少し不格好だけど笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺も待ってるよ。ずっと、ずっと待ってる」
お互い少し照れながら向かい合う。少しの間は沈黙が続いて、だけど気恥ずかしさは我慢できなくて、どちらからともなく声を上げて笑い合った。次に来られるのはいつかなって頭の隅で考える。本当に「ずっと」はきっと無理だけど、それはもっと先の話だ。
永遠じゃない「ずっと」が保証されるくらい、私達の人生は平凡で平坦だと、その時の私は信じていた。
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