魔法使いの本

 扉を開けると、壁一面の本が目に入った。

「わあ……」

 思わず溜め息を漏らすと、隣でライアさんがくすりと笑った。

「ここのはほとんど植物の本だよ。動物の本も読みたかったら奥にあるから」

「すごい……全部、ライアさんが集めたんですか?」

 目の前の一冊を手に取りながら尋ねると、彼は声を上げて笑った。

「集めたのは俺の父親だよ。十年かそこらでこんなに集められるわけないって」

「あ、そうですよね。すみません、私」

「謝んなくてもいいよ。それより、薬草の香りって好き?」

「え? あ、はい」

 振り返ると、ライアさんが湯気の上がるカップを二つ持っていた。私がここに来てからまだそんなに経っていないはずなのに。

「いつの間に淹れたんですか?」

「さっき。葉っぱが細かく刻んであるからすぐに出るんだよ。結構便利」

「え、でも、お湯わかしました?」

 うろたえる私を、むしろ彼は楽しんでいるようだった。私にカップを渡すと、そばの机に腰掛ける。

「これでも魔法使いだからね」

 お茶に口を付けてみると、薬草の香りが口に広がる。すごいなあと、素直に思った。

「……私でも、こういうことできますか?」

 しまった、と気付いたのは思いつきを口にしてしまってからだ。ライアさんは目を丸くして私を凝視している。

「クレス、本当に教会の人なの?」

「いえ、あの」

 慌てて首を振りながら訂正しようとして、だけど彼に対しては取り繕う必要も無いと後から気付いた。

「実はあんまり、信仰心とか無いんです。私、親が亡くなったから教会で暮らすことになったので」

 ライアさんは何も言わない。私は彼を見ずに、手の中のカップに視線を落とした。話してもいいのかな、と思いながらも口が勝手に続きを語り出す。

「教会で暮らしているから、習慣として礼拝に参加したり、毎晩祈りを捧げたりしますけど、神の存在とか、どんなに説かれてもどこか違和感があって」

 一度言葉を切って、小さく息を吐く。

「私の父は、植物の研究をやっていて……父の見ていた物を私も見たい、って思ったのがきっかけで、興味を持ったんです」

 心に浮かんだことを吐きだししまうと、代わりに後悔が押し寄せてきた。会ったばかりの人なのに、こんな話をしてよかったのだろうか。横目で彼の表情をうかがうと、顎に手を当てて何か考え込んでいた。

「ご、ごめんなさい、こんな変な話して」

「……いや」

 手を顎から離し、少し首を傾げてライアさんは微笑んだ。

「話してくれてありがとう」

 優しいその表情に混ざる感情がなんなのか分からなくて、私は言葉を失った。悲しいのか、それとも全く別の感情だろうか。だけどそれは少しの間のことで、彼はすぐに子供っぽい表情に戻ると、立ち上がり芝居がかった仕草で腕を広げた。

「俺で良ければ協力するよ。この通り図書館に寄付できるくらい本はあるし」

 彼に合わせて、私も明るい声を出す。

「図書館の人、受け取ってくれるでしょうか」

「そこだよなあ。この街は神様大好きな奴ばっかで嫌になっちゃうよ」

 わざとらしく溜め息をつく様子につい笑いがこみ上げてきて、口元を手で覆う。

「私も神様が大好きな人に分類されるんでしょうか」

「それは今後の努力次第かな」

 二人でくすくす笑い合う。それから、ライアさんは本棚から二、三冊本を抜き出した。

「これなら結構分かりやすいと思うよ。分かんなかったら……外で植物採集かな」

「それも楽しそうです」

 カップを机に置き本を受け取ると、彼は肩をすくめてみせた。

「ま、二人でやれば結構楽しいかもね」

「はい」

 ライアさんはお茶に口を付けると窓の外を見やる。私もつられて外に視線を移すと、いつの間にか日が傾き始めていた。

「あ、私、そろそろ戻らないと」

「もう?」

 寂しげな表情でライアさんは首を傾げる。

「ごめんなさい、礼拝があるので」

「そっか……」

 彼はやっぱり寂しそうに、けれど微笑を浮かべてみせた。

「久し振りにこんなに話をして楽しかったよ。ありがとう」

「そんな、私の方こそありがとうございます。話も聞いてくれて、本まで貸してもらって」

 玄関まで二人で歩いて、私だけ一歩外に出てから振り返る。

「いいって、ほんと楽しかったし。それに、クレスとはちょっと境遇が似てる気がする」

「え?」

「俺も、親が魔法使いだったから」

 少しだけ寂しそうに、ライアさんは微笑んだ。

「ほら、早く帰らないと。礼拝があるんでしょ」

「あ、はい」

 一歩だけ下がって、何となく名残惜しくて立ち去れずにいると、彼は片手を挙げて小さく振った。

「じゃあ、またね」

「はい、また」

 また、という言葉が嬉しくて、自然と笑顔が浮かぶ。私も手を振って、踵を返して歩き出した。途中で一度だけ振り返って、まだ玄関に立っていたライアさんに大きく手を振った。


  *


 礼拝が始まるぎりぎりの時間に聖堂に入り、席に着く。聖堂は静まりかえっているけれど、まだ司長様は来ていない。安堵の息を吐くと、ノモが肘で私をつついた。

「クレス、本は見つかった?」

 囁き声での問いに、私は首を横に振って答える。それから「もう一回よく探してみる」と付け足しておいた。

「大変だねー。手伝おっか?」

「いいよ。次で見つからなかったら諦めて図書館に謝りに行く」

「そっか」

 ノモはさらに何か言おうとして、けれど司長様が聖堂に入ってきたことで口を閉じる。皆が聖典を広げ、司長様が祈りの言葉を読み上げ始める。私ももちろん聖典を広げて文字を目で追っていたけれど、内容は全く頭に入ってこない。代わりにライアさんに借りた本への期待ばかりが募っていた。どんな内容だろう。きっと、私の知らないことがたくさん書いてある。初恋か何かのように本のことばかり考えて、あっという間に時間は過ぎていく。

 上の空のまま礼拝と夕食を終えて、私はすぐにベッドに潜り込んだ。童話を読んでもらう子供のように胸を高鳴らせながら、借りた本の一つを手に取る。目を閉じて、大きく息を吸って、吐く。それからようやく本を開いた。

 彼に借りた本の全てを読み終わるまで、消灯の後も、私が寝台の明かりを消すことはなかった。

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