後編

「セフィさん!」

 服を掴まれて、ハイアと共に地面に伏せる。爆音が響き、地面が揺れた。それが収まってから、ゆっくりと顔を上げる。リシルは上空に腕を伸ばし、真っ直ぐに立っていた。その視線の先を見て、俺の隣でハイアが息を飲んだ。

「防がれたか。わざわざこっちまで来るとはご苦労なこった」

 銀色の髪を持ち、黒衣に身を包んだ男は口端を吊り上げて笑った。その背からは蝙蝠に似た翼が生えている。

「魔王じゃ……ない?」

 思わず呟いた俺の言葉にリシルが答える。

「最上級悪魔の一人、ワースレイです。どうしてここに……」

 唇を噛み、リシルは悪魔を睨み付けた。

「何だ、俺に会いたかったんじゃないのか? これが欲しいんだろ?」

 喉を鳴らして笑い、悪魔は首にかけた宝石をかざす。ハイアが俺の服を引いた。

「セフィさん、あれです。あれが、ご主人の魂です」

「あれが、魂……?」

 悪魔の手中にある宝石は青く輝いている。リシルは翼を羽ばたかせると、木々を避けながら宙へ舞い上がった。

「それを返しなさい」

「だーれが返すかよ」

 舌を出すと、悪魔はリシルを攻撃するための詠唱を始める。

「リシル!」

「大丈夫です。セフィ様、ハイア様、下がっていて下さい」

 俺だって魔法くらい使える。悪魔と互角に渡り合えなくたって、リシルの助けくらいはできる。前に出ようとする俺の腕をハイアが掴んだ。

「セフィさん、下がってましょう」

「何でだよ! 俺だって後衛くらいは……」

「天使さんなら大丈夫です、すごく強いですよ。ハイア達がいた方が邪魔です」

「でも、」

 また爆風が起こった。リシルは結界を張って悪魔の攻撃を防いでいる。後ろに俺達がいるから、本気で戦えないんだ。

「くそ……っ」

 ハイアに引かれるままに後退して、魔法の余波が届かないように茂みへ入る。リシルがそれを横目で確認して、攻撃のための詠唱を始めた。詠唱を聞くだけでも、相当な魔力が必要なものだってことが分かる。俺じゃ何の役にも立てない。分かってるけど、それでも。

「力が欲しいか、人間」

 唇を噛む俺の後ろで、影が囁いた。

「ならば私と契約しろ」


 *


 向かってくる膨大な魔力を結界で無効化する。弾くことも、避けることも許されない。そうすれば私の契約主に当たるようにこの悪魔は計算しているのだ。

「どうしたどうした、守ってばっかじゃ勝てねえぞ?」

「……口の減らない悪魔ですね」

「説教好きな天使に言われたくねえな」

 間を置かず飛んでくる攻撃に魔力をぶつけ相殺する。爆風の起こった隙にこの場を離れようとするが、向こうもこちらの狙いが分かっているのか回り込んでくる。

「逃げんじゃねえって!」

 魔力によって作られた無数の矢が風を切って飛んでくる。それは私の張った結界に食い込み、破ろうと魔力を送り込んでくる。

「く……っ!」

 結界ごと矢を消滅させれば、破片が皮膚を裂いていく。手傷を負った私を見て、ワースレイは高く口笛を吹いた。

「なんだ、天使も大したことねえなあ?」

 挑発には答えない。セフィ様が引いたのを確認して、攻撃のための詠唱を始める。悪魔は楽しそうに笑って、同じく詠唱を始めた。

 互いの魔力がぶつかり合う。最上級悪魔とは魔力の絶対量が違う。競り合いは私の勝ちのはずなのに、ワースレイは口端を持ち上げて笑った。

「前ばっか見てていいのか?」

 目前でぶつかるのとは違う魔力。それを感じ取り、奴の言葉を理解するより早く、私は降下を始めていた。決して強くはない悪魔の攻撃。だけどそれは、人間を一人殺すには十分過ぎる力だ。

「セフィ様!」

 叫んで、伸ばした手は届かない。けれど顔を上げた彼は黒かったはずの金色の目を細めて――笑ったのだ。

「うるさい悪魔だ」

 何の前触れもなく、彼を攻撃しようとしていた力が消え去った。隣にいた獣人の少女は目を瞬かせている。

「せ、セフィさん、ですよね?」

 彼は問いには答えず、私を見て、それから上空の悪魔を見る。その独特の魔力には覚えがあった。

「まさか、魔王……ディシス」

 私の言葉に、彼は喉を鳴らして一度だけ笑った。

「貴様、随分と弱いのだな?」

「なっ……!」

「面倒なことばかり考えているからだ」

 彼は手を伸ばし、悪魔へ向ける。詠唱も無しに、強大すぎる攻撃魔法が形作られた。悪魔が上空で舌打ちする。

「てめえ、天使の味方なんざする気かよ」

「いいや?」

 魔王は冷たい微笑を見せる。

「貴様を殺したいだけだ、安心しろ」

 再び舌打ちして、悪魔は防御魔法を展開する。私ならまず破壊できないだろう障壁。けれど魔法は細く鋭く凝集され、いとも容易く悪魔の身体を貫いた。

「ぐあ……っ」

 体勢を崩したワースレイは地へと落ち始める。その胸を、魔王の攻撃がまた貫いた。私の服を掴み、耳を寝かせて少女が俯く。

「天使さん……」

 たとえ精神を魔王に明け渡していても、契約主の弟子が敵をいたぶる様は見ていて辛いのだろう。

「何だ、もう死ぬのか?」

「だ、れが……っ」

 歩み寄るセフィ様に攻撃しようと、ワースレイは途切れ途切れに詠唱を始める。けれど魔力を集合させようとした右手は靴によって踏み潰される。悪魔はくぐもった悲鳴を上げた。

「面倒なことをするな。少しでも長く生きたいだろ?」

 悪魔の首に下がっていた首飾りが引き千切られる。

「おい、天使」

 いきなり魔王が私を呼ぶ。私の袖を掴む手がびくりと跳ねた。

「この悪魔はどうする」

 思わず眉をひそめる。もしかしたら睨み付けていたかもしれない。私の視線を受け、魔王は楽しそうに笑った。

「天使は殺しを好まないのだろ? だがこれを放っておけば人間の魂を食うかもしれない。貴様はどうする?」

 からかうような口調で魔王は私を試そうとする。

「あなたが私の言葉通りに行動するとは思えませんが」

「そう言うな。同じ人間と契約した仲だろう?」

 いちいち人を苛つかせようとする言葉。私はゆっくりと息を吸って、静かに吐きだした。

「……ならば、ひとますは拘束を。魂を戻した後、セフィ様かその師匠が可能ならば元の世界へ。不可能か、もしくはしつこく抵抗を続けるのならば殺しましょう」

「面倒な奴め」

 魔王は言葉とは逆に楽しげな表情を浮かべた。魔力によって網を作り上げる。

「という訳だ。抵抗しなければ死なずに済むらしいぞ?」

 その言葉が聞こえたのか聞こえないのか、ワースレイは傷を押さえ荒い息を吐いている。魔王はつまらなそうに鼻を鳴らし、魔力で悪魔を拘束した。ついでのように魂を投げてよこす。

「さっさとその魂の主の所に行くぞ」

「……ありがとうございます」

「天使に礼などされたくない」

 吐き捨てるように言うと、魔王は転移の詠唱を始めた。


 *


 気付いたら、師匠と目が合った。

 何が起こったのかよく分からないけど、師匠は嬉しそうに笑っている。

「お、セフィ?」

「……ユーディリス師匠、何やってんですか」

 何故か師匠は魔法陣の真ん中にいる。

「今ちょうど悪魔を送り返した所だよ」

「悪魔?」

 首を傾げてみる。ああ、そういえば悪魔と戦った気がする。確かリシルが戦って、誰かに声をかけられて……あれ?

「師匠、なんで生きてるんですか」

「何てこというんですか!」

 師匠の代わりにハイアが叫んだ。あれ、だって魔王に魂を抜かれて、でも悪魔が持ってて、なんだかいまいち記憶がはっきりしない。

「セフィ様、大丈夫ですか?」

「あ、大丈夫」

 顔を覗き込んでくるリシルに条件反射で答を返す。それでも心配そうなリシルに、ついでに質問を投げかけてみた。

「えーっと、何があったんだっけ?」

「悪魔が私を殺したいとか寝言を吐いたから、貴様の身体を使って痛めつけてやった」

 俺の質問に答えたのは、リシルじゃなくて黒髪の少女だった。というか、魔王……だよな。

「え、じゃあ師匠の魂を取り戻してくれたのって魔王さんなんだ」

「まあな。存分に感謝しろ、セフィリス」

「うん。ありがとう」

 素直に謝ると、魔王は舌打ちして「つまらん」と吐き捨てた。どうしろっていうんだろう。

「つまり、俺が召喚しちゃった悪魔が師匠の魂を取って、それを魔王が追いかけて、さらにリシルが追いかけたってこと?」

 リシルがこくりと頷いた。うーん、複雑。

「……まあ、師匠が無事ならいいか」

「セフィ、嬉しいこと言ってくれるね」

 歩み寄ってきた師匠に頭を撫でられた。子供扱いすんな。

「あ、でも……用が済んだから、二人とも元の世界に戻るのか?」

 確か互いの同意があれば契約は解けるはずだし、少し寂しいけど元々俺にはもったいないくらいの魔力だし。一応しんみりしていたんだけど、魔王は興味が無さそうにあくびをした。

「どちらでもいい。向こうに戻ったところで脆い悪魔くらいしかおらんしな」

 魔王の言葉に苦笑してから、リシルは真っ直ぐ俺に向き直る。

「私は、セフィ様が望んでくださるのならこのまま契約を続けたく思います」

 すぐにでも契約を解消することになるのかと思っていたけど、二人とも意外な答えを返してきた。でも、いいのかな。契約したのもやむを得ない事情があっただけだし。どう答えるべきか分からなくて口をつぐむと、師匠が肩を叩いた。

「いいじゃないか、二人とも強いみたいだし」

「そうですけど……俺なんかでいいんでしょうか」

 ぼそりと呟いてみる。今回の件で何の役にも立たなかったし、むしろ原因だった気もするし。その時は必死で考えてなかったけど、かなり駄目な奴だった気がする。

「セフィ様、そのようなことをおっしゃらないでください」

 リシルの手が俺の手を取る。

「あなたがいなければ、私もディシスも本来の力が出せませんでした。あなたのおかげで魂を取り戻せたのです」

 小さな手は、しっかりと俺の手を握っている。そこから伝わる体温が何となく恥ずかしくて、リシルから少し視線を外した。変わりに魔王のにやにや笑いが視界に入る。

「貴様の身体はなかなか使い心地がよかったぞ?」

「あ、ありがとう?」

 俺に自信を持たせようとして言っているのか、からかいたいだけなのか。限りなく後者に近い気がする言葉にとりあえず礼を述べてみる。

「や、でも……本当にいいの?」

「もちろんです」

 リシルは微笑を浮かべた。暖かな手を握り返してみる。ほんの子供のような、だけど俺よりずっと強い手だ。照れくさいけど、何とか笑顔を浮かべてみる。

「じゃあ、未熟者だけど……よろしくな、リシル、ディシス」

 今は助けられるばかりだけど、きっといつかは、手助けくらいはできるようになってみせるから。

「さっさと私の役に立てよ、セフィリス」

「こちらこそよろしくお願いします、セフィ様」

 その時にはきっと、自分こそが二人の契約主にふさわしいと、堂々と言えるだろう。

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半人前の召喚術士 時雨ハル @sigurehal

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