半人前の召喚術士

時雨ハル

前編

 森に囲まれた空き地の中で、俺は大きく深呼吸した。地面にはさっき描き終えたばかりの魔法陣がある。

「ユーディリス師匠、準備完了しました」

「よし」

 今から生涯のパートナーとなる召喚獣を呼び出して契約を交わし、ようやく俺は召喚術士として一人前になる。

「では始めよう。セフィ、くれぐれもおかしなものを呼び出すんじゃないぞ」

「大丈夫ですよ」

 師匠の冗談に返事をしてから魔法陣へ足を踏み入れる。生まれ付いての魔力が多いせいかたまに変なものを召喚しそうになるんだけど、まあ多分大丈夫。何たって今日は本気だし。

「どうだか。お前のことだから悪魔でも召喚するんじゃないか?」

 魔法陣の外にいる師匠は笑いながら俺を脅しにかかる。師匠の召喚獣であるハイアまでくすくすと笑い、猫のような耳をぴこぴこ揺らしている。いくら何でも悪魔は呼ばないだろ。うっかり召喚したら魂抜かれちゃうとか聞いたことはあるけど、それも百年前とかだし。

「しませんよ。全く、もう始めますよ?」

「ああ。頑張って」

 師匠が頷くのを確認して魔法陣の中心に立った。嫌でも緊張が高まってくる。両手に持った杖を掲げ、詠唱を始めた。

「我が名はセフィリス=ユナーク。異界の者よ、我が声に応え姿を現せ!」

 魔力が波打ち、渦を巻く。渦の中心となった空間がひずみ、異世界への門が作られる。

「……よし」

 小さく呟いて杖を握りしめる。あとは門から何が出てくるか、だ。不安と期待をない交ぜにしながら待っていると、不意に魔力の渦が歪んだ。俺のものではない魔力が門から流れ出し、凝集し始める。

「うわ、わ」

 持ち主不明の魔力はどんどん密度を増し、俺の視界を塞いだ。魔法陣の外で師匠が俺を呼んだ気がしたけど、それすらもよく聞こえない。思わず一歩下がると目前の空間が大きく歪み――黒髪の少女が現れた。

 どう見ても少女だ。艶やかな黒髪は腰まで届き、金色の瞳は長いまつげにふち取られている。あと三年くらいしたらすごい美人になりそうだけど、その身体には膨大な魔力があるのが見て取れた。可愛くて魔力もあるって、召喚獣として完璧じゃないだろうか。魔力の量が尋常じゃない気もするけど、その分強いってことだろうし。

 少女がちらりとこちらを見た。よし、契約しちゃうぞ。

「あの、俺と」

「悪いが、今はお前に構っている暇は無い」

「え?」

「すまんな」

 一言謝ると、短く詠唱して少女は姿を消した。凝集していた魔力は少女と共にかき消え、ようやく視界が晴れる。何だったんだ、今の。

「……もしかして俺、半人前のまま?」

 ぽつりと呟いてみる。契約できなかったんだから当然か。何とはなしに辺りを見回すと、視界に倒れ伏した師匠が映った。

「師匠!」

 駆け寄って抱き起こし、とりあえず脈を確認する。どうやら脈はあるみたいだ。ほっと胸を撫で下ろして、あることに気付く。

 息を、していない。

「師匠……、ユーディリス師匠!」

 揺すっても、名前を呼んでも師匠は目を覚まさない。怪我をしているわけでもないのに、どうして。さっきまで師匠の隣にいたはずのハイアもどこかへ消えてしまっている。

 混乱したまま師匠の身体を揺すり続ける俺の背後で、空間が歪んだ。とっさに攻撃魔法を準備しながら振り返る。

「ま、待って下さい!」

 空間の歪みから現れたのは、また少女。今度は金髪で顔も可愛いけど、何で少女なんだ。しかもよく見れば真っ白な翼が生えている。少女は口をあんぐり開けている俺を見て、呼吸の止まっている師匠を見た。表情が厳しいものへと変わる。

「その方は、あなたのお知り合いですか?」

「え、あ、はい。召喚術の師匠です」

 丁寧な口調で尋ねられて、思わずこちらも丁寧に答えてしまう。彼女は何かを探すように視線を周囲へ走らせた。

「あなたの師匠は魂を抜かれています。犯人はおそらく、魔王ディシスです」

 突然に告げられた言葉が理解できず、「は?」と情けない声を出してしまう。それでも少女は厳しい表情を崩さなかった。

「魔王って……なんでだよ、どうして師匠が……」

「この世界への門が開かれた時に無理矢理入ってきたのでしょう。そして、偶然近くにいた人間の魂を抜き取ったのだと思います」

「門って……俺が開いた、のか?」

 ためらいがちに少女は頷く。

「魔王は人間の少女のような姿を取っています。門を開いた時に見ませんでしたか?」

「少女のような……って、まさか」

 さっきの黒髪少女が魔王で、俺が召喚したってことか? そのせいで師匠が魂を抜かれたっていうのかよ。

「……そんな」

 自然と言葉がこぼれる。俯いた視線の端で、少女が地面に膝をついた。

「まだ手はあります」

 静かに響いた言葉に、弾かれたように顔を上げる。空色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。

「私の名はリシル。魔王を止めるためにこちらの世界へやってきた天使です。しかし、私一人の力では魔王を止められません」

 彼女は右手にはめていた手袋をするりと外した。

「私と契約して下さい。必ず、あなたの師匠を助けます」

 小さな右手が、俺に差し伸べられる。その言葉が理解できるまでの数秒、俺は茫然とその手を見つめていた。

「……俺、は」

 ごくりと唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。師匠をそっと地面に横たえ、立ち上がる。差し出された右手に自分の手を重ねると、彼女は静かに目を閉じた。

「俺は、セフィリス=ユナーク。天使リシル……君と契約する」

 それは契約の儀式と言うにはあまりにつたない言葉。それでも魔力が互いの身体に通い、確かな絆を作る。

契約の証である紋様がリシルの額に浮かび上がる。彼女はゆっくりと目を開き、微笑んだ。

「では、参りましょう」


 *


「そういえば、リシルはどうやってこっちに来たんだ?」

 師匠は家のベッドに寝かせて、俺とリシルは森の中を走っていた。リシルには魔王の魔力が感じ取れるらしく、時々方向を修正しながらほぼ一直線に魔王を目指している。リシルは困ったような笑顔で俺の質問に答えた。

「閉じかけていた門を無理矢理開いてきました。……他に方法が無かったので」

 それって魔王と同じやり方じゃないだろうか、と言いかけた口を閉じる。魂を取りに来たのとそれを止めに来たのじゃ全然違うもんな。うん。

「やっぱり、そっち側からこっちに来るのって、難しいんだ?」

 だんだん息が切れてきた。同じ距離だけ走っているのにリシルは涼しい顔をしている。

「そうですね。魔王であっても完全に独力でこちらに来るのは不可能だと思います」

「そっか……」

 一度は口をつぐむけど聞きたいことが多くて、疲れるのにまた口を開いてしまう。

「悪魔が魂を抜き取るのは、より大きな魔力を得るためって聞いたことあるんだけど」

 聞いたことがあるといってもおとぎ話のようなものだけど、リシルは頷いて肯定を返した。

「魔王もそのために、魂を取ったのか?」

「おそらくは、そうです」

 おそらく。今ひとつはっきりしない答えに首を傾げる。リシルは僅かに眉をしかめた。

「悪魔がこちらの世界へ侵入し人間の魂を抜き取ることは今までに幾度もありましたが、魔王がこちらへ来るのも、人間の魂を取るのも今回が初めてです」

「……そうなの?」

 魔王っていう位だからこっちの世界で人の魂を抜き取るだけでは飽き足らず、悪逆非道の限りを尽くしてるのかと思った。

「もしかしたら何か他の目的が――」

 言葉を途切れさせて、リシルは俺の腕を引きながら足を止めた。転びそうになりながら何とか立ち止まる。

「え、何だ?」

「この魔力は……」

「もしかして、魔王か?」

「いいえ。これは一体……」

 がさりと、木々の揺れる音がした。まるで俺達を脅かすかのようにゆっくりと音は近付いてくる。リシルが一歩前へ出た。

「下がっていてください、セフィ様」

 頷いて一歩後ろへ下がる。自分より年下に見える少女に守られるのは気が引けるけど、リシルの方が強いんだから仕方ない。音は目前の茂みへ移動する。俺は杖を握りしめた。リシルが魔法を使おうとするほんの一瞬前に、茂みから影が飛び出した。

「セフィさあああぁぁん!」

「うわぁっ!」

 絶叫と共に飛びつかれた。転んだ。

「会えてよかったです! 怖かったですよ、セフィさん」

「え、あ……ハイア?」

 猫のような耳がぴこぴこと動いて何度も頷く。怖かったのは分かるけど、そろそろ俺の上からどいて欲しい。ハイアは俺より身長も高いし、筋肉が付いてるから結構重い。ぐえ、腹が潰れる。

「セフィ様、その方は一体……?」

 リシルの声に、ハイアが顔を上げた。俺を潰していることに気付いてようやく飛びのく。その拍子に腹を踏まれた。

「ご、ごめんなさいセフィさん!」

「いや、平気……」

 杖を支えにしながらよろよろと立ち上がり、とりあえず二人に互いを紹介する。

「この子はハイア、師匠の召喚獣で獣人。それからこの子はリシル。色々あって俺と契約した天使」

「リシルと申します。よろしくお願いします、ハイア様」

 紹介されたリシルは恭しく頭を下げる。ハイアはあんぐりと口を開けていた。

「て、天使さん、ですか?」

「はい。魔王ディシスを止めるために参りました」

「まおう……」

 ハイアは目をぱちくりさせて、しばらく固まってからようやく声を上げた。

「そ、そうだ! 大変ですよセフィさん、ご主人が黒いのに襲われたんですよ!」

「黒いの?」

「そうです。黒くて怖くて、でも必死で追いかけたんですけど、見失っちゃって……」

 黒いの、とは多分魔王のことだろう。リシルに視線を移すと彼女はこくりと頷いた。

「ハイア、そいつは何か言ってなかった? 師匠を襲った目的とか」

 俺の質問にハイアは頭を抱えて考え込む。たっぷり十秒はうんうん呻って、ようやく顔を上げた。

「そういえば、これであいつを殺せる、とか言ってました」

 眉をしかめる俺の横で、リシルも似たような表情を浮かべる。

「魔王ならその気になれば殺せぬものなどいないとは思いますが……」

「でも急がないと。やっぱり師匠の魂を取り込むつもりみたいだ」

「そうですね、急ぎましょう」

「あ、あたしも行きます!」

 ハイアの言葉に頷いて、さっきまで目指していた方向へ向き直る。

「その必要は無い」

 突然の声。膨大な魔力が、空から降ってきた。

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