兄の話

 シントさんが出かけてからはルーリエさんという人が僕の見張りをしている。でもこの人、やけに僕を気にかけている気がする。何故かちらちらと僕を見て、目が合うと僕が笑いかけようとする前に視線を逸らす。話しかけると怒られるし、そのくせすぐどもるし、もしかしてルーリエさんって僕のことが好きなの? と考えるくらい暇をもてあましている。実際は僕が人を人とも思わない凶悪犯だと言われているからだろう。

 奉仕作業すらやらせてもらえない死刑囚は本来なら檻の中で死の恐怖に怯えるべきなんだろうけど、シントさんが頑張ってくれている以上それも申し訳ない気がする。かといってやることもなく、ルーリエさんの背中を見つめたり完璧なベッドのメイキングを目指したりで暇をつぶしている。シントさんがいなくなった初日からこれでは先が思いやられそうだ。

「おい、五四一号」

 シーツのシワを直していると珍しくルーリエさんが声をかけてくる。自分が番号で呼ばれることを認識したのはつい最近で、それまでは随分と看守さん達を無視していたらしい。

「何ですか?」

 返事をしてもルーリエさんは絶対に目を合わせようとしない。「面会だ。エフリウス・リベットが来ている」

ルーリエさんが冗談を言っているのかと思った。兄さんが僕に会う理由なんて今更無いはずなのに。

「お前は面会を拒否する権利がある」

 もし、兄さんが僕に話さなければならないことがあるとすれば。シントさんのことくらいしか心当たりは無い。

「面会します」

 できるだけしっかりと声を出す。ルーリエさんは鍵を取り出して、牢の錠を外す。

「来い」

 僕に手錠をかけてその鎖を引き、ルーリエさんは面会室へと向かう。

 面会室へ向かう数分はとても長くて、このまま兄さんの元へたどり着かなくて済むかとすら考えた。だけどそんなことを考えている間に面会室のドアが目前に現れる。

「入れ」

 萎縮しそうになる心を奮い立て、顔を上げて真っ直ぐ前を見る。兄さんはまだ面会室には来ていないようだった。椅子に座ると、後ろでルーリエさんが扉を閉じる。それから間もなく、兄さんがガラスの向こう側に現れた。

「久しぶりだな、フィア」

 僕はゆっくりと、一度だけ頷く。兄さんの表情は怒っても笑ってもいないようだった。ルーリエさんに向かって、兄さんは静かに笑ってみせる。

「フィアと二人で話したいのです。席を外してもいただいても良いですか?」

「は、いや、しかし……」

 ルーリエさんは言葉に詰まり、目線を泳がせる。

「いくら英雄殿の頼みといいましても……」

 慌てるルーリエさんに兄さんは涼しい顔で言葉を返す。

「問題が起こったときには私が責任をとります」

 ルーリエさんは僕を見て、兄さんを見て、諦めたようにうなだれた。

「何かあったときのために、扉の前で待機しています。面会時間が終わる頃にまた戻りますので」

 ありがとう、と囁くように言って兄さんはまた微笑んだ。丁寧すぎて、少し怖い。英雄をやっているとこんな話し方になってしまうものなのだろうか?

「では、くれぐれもお気を付けてください」

「ええ」

 最敬礼をして、ルーリエさんは面会室を出て行く。といっても扉のすぐ向こうで待機するのだろうけど。ルーリエさんが出て行くのを確認して、兄さんは笑みを消した。

「最近、俺の周りを調べまわってるみたいだな」

 やっぱり、シントさんのことだ。

「檻の中にいるのに、兄さんのことは調べられないよ」

「戯れ言は聞きたくない」

 怒りも笑いもしないまま、兄さんはずっと表情を変えない。

「調べているのはシント・ガルドリア、ここの看守だ。今日から休暇をとっている」

 駄目だ、と頭のどこかで声がした。兄さんは全て分かっている。誤魔化すことなんてできやしない。

「やめさせろ」

「あの人は僕に言われたくらいじゃやめないよ」

「フィア」

 兄さんは身を乗り出して、小さな声で僕を呼ぶ。つられて僕も近付くと、兄さんは目を伏せて囁いた。

「お前もあの看守も、死にたくはないだろう?」

 質問の意図が掴めないまま、首を縦に振る。

「ならやめさせろ」

「どういうこと?」

 話がまったく見えない。

「このまま調査を続けるならシント・ガルドリアを殺す。やめさせれば二人とも助けてやる」

「二人とも……?」

 兄さんは頷いて目を伏せる。

「本当ならお前には話さないはずだったが、そう言ってもいられないな」

 ぽつりと、兄さんは話し始める。


 十二月に国境侵略があってからずっと、ナスリアがこのエリレス国を狙っているのだと言われていたし、この国の誰もがそれを信じていた。だけど本当はその逆だった、なんて。魔法の技術も騎士の数もエリレスが勝っているから、それに対抗するためにナスリアは秘術を狙っているのだと、そう思っていた。

「お前の裁判が行われている間に、偽の秘術がナスリアに渡った」

 秘術がナスリアに奪われたことを口実にナスリアを侵略する。その時になってナスリアが秘術を発動しようとしても、偽物が発動するはずもない。僕が秘術を発動させてしまったあの事件は、ナスリアに秘術が盗まれたことを分からせるためだけに起こしたという。

 驚くことに、国の政治には関与しないことを宣言している術者連盟の上層部がその計画に加担したいると兄さんは言う。

「俺は……連盟長補佐に、お前と俺のどちらを犯人にするか選べと言われて、我が身可愛さにお前を陥れた」

 苦しそうな兄さんの声。今まで僕に見せたことのない表情。

「連盟長補佐は、お前が助かるように根回しをすると言ったんだ。だけど何もしてくれなかった」

 強く言葉を吐き出して、兄さんは深く息を吐く。

「……悪い。言い訳にしかならないな」

 僕は首を横に振って、何とか笑顔を作る。

「本当のこと話してくれた方が嬉しいよ」

「ありがとうな」

 少し寂しそうな顔で兄さんも笑う。

「お前は俺が絶対に助けてやるから」

 それから急に笑みを消し、真面目な表情になる。

「シント・ガルドリアがそこらを調べまわっていることに気付かれたら彼がどうなるか分からない。止められるか?」

「分からないけど……明日は一度戻ってくるって言ってたから、その時に説得してみる」

「それでいい。あとは待ってろ、絶対に助けてやるから」

 僕は頷いて、疑問を小さく口にする。

「一体、どうするの……?」

 少しだけ笑って兄さんは答える。

「お前はただ待っていれば良いんだ」

 兄さんが僕を助ける方法。兄さんが犯人だと名乗り出る以外に、僕には思いつかない。

「兄さん、まさか、」

 僕の言葉を遮るように扉がノックされる。ルーリエさんが遠慮がちに入ってきた。

「そろそろ時間です」

 途端に兄さんは余所行きの笑顔を作る。

「無理を言ってすみませんでした」

「いえ、英雄殿の頼みですから」

 ルーリエさんに笑いかけて、兄さんは椅子から立ち上がる。

「じゃあな、フィア」

「待って、兄さん!」

 立ち去ろうとする兄さんの背に向かって叫ぶ。兄さんは一度だけ振り返って、軽く右手を挙げて、部屋を出て行ってしまう。またすぐ檻の中に閉じこめられる僕に何かができるはずもなかった。


 翌日の二月二十日、シントさんは言葉通り戻ってきた。

「エフリウス・リベットと面会したそうだな。何を話した?」

 やけに久しぶりに思える彼の声。兄さんと同じ紺色の瞳。シントさんが涙で滲んで見える。

「おい、どうした?」

「う、兄さん、が……」

 ぼろぼろと涙を流しながら昨日のことを話す。エリレスのこと、ナスリアのこと、秘術のこと、兄さんが助けてくれると言ったこと。

「だ、だから、シントさんは危ないこと、しなくていいんです」

 しゃくりあげながら何とか告げる。シントさんは表情を変えないまま「そうか」と呟いた。

「俺のしたことは余計だったみたいだな」

 僕は泣きながら首を振る。

「違います。シントさんが僕を信じてくれたから、兄さんと面会して、ご飯だって食べて、だから」

 涙を袖で拭って顔を上げる。

「一番の親友ができて、幸せです」

「親友、か」

 シントさんは微笑んで、僕にハンカチを差し出す。僕は檻ごしにそれを受け取って、まだ溢れようとする涙をそっと拭った。

「だが一つ、気になることがある」

「え?」

「ナスリアが戦争の準備を進めているらしい」

「ナスリアが?」

 ハンカチを返しながら聞き返す。

「昨日の話では、いつでも戦える状態にまでなっているらしい。最悪、今この時に攻め入ってくることも考えられる」

「秘術を手に入れたから、ですか?」

「かもしれんな。今は何を言っても憶測の域を出ないが」

 沈黙が落ちる。シントさんはハンカチをズボンのポケットにしまい、前へ向き直った。

「ガルドリア先輩!」

 遠くからルーリエさんの声がする。檻の中からは見えないけれど、どうやらシントさんからは見える位置にルーリエさんがいるようだ。

「緊急招集です。鍵を確かめて会議室へ!」

 僕達は互いに顔を見合わせる。

「良い知らせだといいんですけどね」

「望み薄だな」

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