これからの話
「……ごめんなさい、こんな話をして」
小さく息を吐く。久しぶりに長く話したから、少し疲れた。シントさんは相変わらず前を向いたままでその表情は分からない。元々何かを言って欲しかった訳ではないけど、こうも押し黙られると少し不安になってくる。
どういう訳か僕が盗んだという証拠までが残っているから、信じてもらえないことは分かっている。だけど一度話してみると、少しは心が軽くなった気がした。シントさんなら頭ごなしに怒鳴りつけたりはしないだろう、多分。
「フィア・リベット」
彼は振り向いて僕を見据える。兄さんと同じ、紺色の瞳だ。先ほどと変わらない低く落ち着いた声に、少なくとも感動したり激怒したりはしていないらしいことに安堵する。
「はい」
「その話は事実なのか」
「え?」
「事実なのか、と聞いている」
その眼差しは真剣で、彼の表情を見た僕は自分が間違っていたことを悟った。彼は僕の話なんか信じないと思っていた。死刑囚の悪あがきだと、下らない虚言だと聞き流してくれると思っていたのに。
「事実ならば、お前は死刑に処されるべきではないだろう」
「違うんです、僕はそんなつもりじゃなくて……」
何か言わなければ。今さら僕の無実を証明することなんてできっこない。彼が兄さんに気付かれれば、何をされるかなんて分からない。金で済まされれば良い方だけれど、この様子ではそれで納得するかも分からない。
「本当にいいんです。ただ誰かに聞いて欲しくて、それで」
「お前は死にたいと思っているのか?」
「そういう訳じゃありませんけど、でも無理です、今さら」
「そんなのはやってみなければ分からないだろう」
「でも……」
何か言わなければいけないのに、何も思いつかずに顔を伏せてしまう。
「フィア」
彼には精一杯だろう優しい声で、僕の名を呼ぶ。
「お前もどこかで、無実を証明したいと思っているはずだ」
返事ができなかった。否、と言い切る自信はない。確かに僕だって死にたくないという気持ちはある。だけど僕のせいで母さんが死んで、兄さんに陥れられて。消えてしまう寸前の母さんの顔が、残酷に笑う兄さんの声がどうしても頭から離れなくて。
僕は、全てを話せばシントさんが信じてくれると、期待していたのだろうか?
「でも、兄さんに勝つことなんて、できません」
昔から、僕にとって兄さんは絶対だ。英雄となってからは国中の人にとって絶対の存在なのだろう。なのにシントさんは、何でもないことのように言ってのけた。
「お前が勝てなくとも、俺が勝てばいいのだろう?」
思わず顔を上げ彼を見る。今まで一度も見たことのない、不敵な笑みを浮かべていた。何故かじわりと涙が滲む。
「何、言って、だって兄さん、は」
溢れた涙が頬を伝う。彼を止めればいいのか、期待していればいいのか、僕自身にもよく分からなくなってきた。
「もし勝てなかったら、その時は俺を恨みながら死んでくれ」
「う、ひどい、です……」
ずず、と鼻をすするとシントさんは大きく溜め息をついた。その表情はとっくにいつもの仏頂面へと戻っている。
「見回りが来るまでにはその泣き顔を何とかしておけよ」
僕は何度も頷いて、タオルで乱暴に涙を拭き取る。シントさんはそれを見届けてから前に向き直った。ほんの少し前までは威圧感のあったその背中が、今は僕が一人じゃないことを教えてくれる。
「シントさん」
「何だ」
「ありがとうございます」
紺色の瞳と、不思議と説得力のある、安心できる声。滅多に笑わないけど、シントさんは兄さんに似ている。確かに兄さんは僕を陥れたけれど、それまでの兄さんはとても優しくて、いつだって僕を助けてくれた。それがずっと嘘だったなんて、思いたくはない。
*
報道に携わる幾人かの友人に聞いただけで、簡単にエフリウス・リベットの情報は集まってきた。どうやら情報自体は掴んでいても、世論のせいで調査も報道もしづらいため表には出ていないらしい。その中で気になったのが、エフリウス・リベットは隣のナスリア国と通じている、というものだ。
「秘術を盗んだのもナスリア国に持ち込むためだった可能性がある」
「ナスリアに……?」
最低限に抑えた声で、前を向いたまま言葉を交わす。
「だって、ナスリアにあんな術を持ち込んだらいつ攻撃されるか分かりませんよ」
「だから攻撃するために持ち込むのだろう」
「でもそんなことしたら、僕達の街だって危ないじゃないですか!」
「大声を出すな」
諫めると奴一度は口を閉じ、またすぐに小声で話し始める。
「兄さんは、この国をどうするつもりなんでしょう」
「さあな」
「本当に兄さんは、ナスリアと手を組んでいるんですか?」
「残念ながら、な。証拠となる書類も入手するめどが立った」
「そう……ですか」
小さく返事をして、奴は口をつぐむ。一度はめられているのにまだ自分の兄が英雄だと思っているのだろうか。
「あの」
黙ったと思えばまたすぐに話し出す。
「シントさんは大丈夫ですか?」
「俺が?」
振り向くと奴は何度か頷いた。
「兄さんを調べてることが知られたら危ないんじゃないですか?」
こいつは本当に自分の無実を証明する気があるのだろうか。それとも無実を証明するために危険が伴うはずがないと思い込んでいるのか。
「危険だが問題ない。準備もしてある」
「……本当ですか?」
「嘘をついてどうする」
「でも」
納得いかない表情で鉄格子を掴む。
「シントさんに危ない目にあって欲しくありません」
「お前が死ぬよりはましだろう」
「え?」
奴は突然顔を上げ、驚いた表情で俺を見る。その頬が何故か赤いところを見ると、どうやら「俺はお前が死なないなら危ない目にあってもいい」という意味にとられたらしい。
「お前にとって、だ」
訂正してやると、奴は手を振ったり頭を振ったりとせわしく動く。
「え、あ、そ、そうですよね。僕はシントさんが危ない目にあうより自分が死ぬ方が嫌ですよね。あ、でもやっぱり危ないのは困ります」
「死にはしない」
「そう、ですか?」
まだ頬に赤みの残ったままで奴が俺の目を見つめるので、思わず目を逸らす。何が楽しくてこんな小恥ずかしい会話を男としなければならないのだ。
「とにかく、だ。俺は明日からしばらくここには来ない」
「じゃあ、ルーリエさんが来るんですか?」
「ああ」
奴は俯いて何か考えているようだった。ルーリエはこいつを必要以上に怖がっているから、そのことだろう。
「明後日に一度戻ってくる。刑が執行されるのは一週間後の予定だったな」
「はい。二十五日です」
「二日か三日前には書類を手に入れてくる。死ぬなよ」
「ご飯はちゃんと食べます」
顔を見合わせて、互いに少し笑う。後は俺が上手くやるだけだ。
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