第12話『夜の校舎で手を繋いで』
電灯はついているが、外は真っ暗闇の夜なので、校舎の中はほんのりと暗い。
私はそんなにこういう雰囲気が嫌いじゃないので、怖くは無いのだが、怖がる人の気持ちも分からなくはない。
「魚川くん、大丈夫でしょうか……」
走り去ってしまった彼に想いを馳せて、廊下の曲がり角を曲がろうとした瞬間、激しい足音共に飛び出してくる人物がいた。
――ドン。
よけきれずぶつかってしまい、私は思いっきり床にしりもちをついてしまった。
「痛っ」
こけてしまった私を見た相手は、慌てた様子で声を掛けてきた。
「真倉さん! 大丈夫?」
そちらを見ると、心配の色で顔を真っ青にしている魚川くんが、眉を八の字にしてこちらを見ていた。
「俺のせいで……! 本当にごめん、立てる?」
と言って、私に手を差し伸べてくれる。
「大丈夫ですよ」
その手を取ってゆっくりと立ち上がった私に対して、魚川くんは「ごめん……」と申し訳なさそうにしていた。
そんな魚川君へ追い打ちをかけるかのように、窓に風が叩きつけられ大きな音が鳴った。
「――っ!」
身体を震わせる魚川くんだったが、私の視線に気付いて背筋をピンと伸ばす。
しかし、その肩は小刻みに震えており、彼がこの状況を怖がっているんだと感じる。
大丈夫ですか、と聞いてしまいそうになるが、それをしてしまうと彼の尊厳を傷つけてしまう様な気もした。
だから、何と言おうかしばらく言葉に詰まっていたが、かれの肘を見てそこまで考えていたことが全て吹き飛んでしまった。
「魚川君、それどうしたんですか!?」
私が彼の肘に滲む血をみつめてそう言うと、魚川くんは慌てた様子で肘を隠した。
「いや、ちょっと転んじゃって……」
走って行ってしまった時に怪我をしてしまったのでしょう。
怪我をした過程が恥ずかしいのか、一生懸命に腕を背で隠しています。
私は、そんな彼の手をわざわざ背中まで手を回して掴むと目の前に持ってくる。
その傷口は擦りむいた程度ではあったが、とても痛そうだった。
「大丈夫ですか、痛くはありませんか?」
そう尋ねる私に彼は「大丈夫、大丈夫。慣れてるから」と手を振った。
その姿に、私はいつかの保健室での出来事を思い出します。
私と魚川くんが知り合ったきっかけの日。
「……魚川くんは、いつもそうやって笑ってくれますね」
私の突拍子もない言葉に、彼は「え?」と不思議そうに顔をかしげました。
「魚川君が体育で怪我をして、保健室に来た日もそうでした」
私がそう言うと、彼は「あぁ……あの日ね」と恥ずかしそうに頭をかきました。
「あの日、保健室で休んでる時に魚川くんがお話してる声が良く聞こえてきました」
「あー……俺、声でかいってよく言われる」
気まずそうに彼は目を逸らします。でも
「私は、その声が好きです」
「へ?」
私の言葉に、不意をつかれたように彼は声を漏らしました。
「魚川くんの楽しそうに笑う声が好きです」
口を開き、彼への気持ちを伝えだしたとたん、気持ちが抑えきれなくなってしまった。
「魚川くんは、いつも色んな人の中心にいて、そんな姿がとても眩しかったんです」
クラスでみんなに囲まれながら楽しそうに笑う顔が脳裏をよぎる。
私はそんな彼の姿が大好きで、同時にとても寂しかった。
私と全く違う彼が……大好きで、羨ましかった。
「だから、あの日私と話してくれてとても嬉しかったです」
保健室に来て、あまり話したことも無い私に対しても優しく沢山話を振ってくれて、楽しませようと努力してくれた。
だから、この人はみんなに好かれてるんだなって、納得をしたのだ。
「私と魚川くんは釣り合わないかも、って何度も思いました。でも、あなたと過ごす時間は楽しくって」
それまですがるように魚川くんを見つめていた視線を、そっと下に逸らしてしまう。
「……独り占めしたいと、思ってしまったんです」
あぁ、言うつもりなかったことまで言ってしまった。
でもこれで、もう後戻りはできない。
「私、魚川くんが好きなんです。付き合って欲しいんです」
彼の瞳を再びじっと見つめ、言う。彼は驚いたように私の目を見つめ返し、そして「嘘だろ」と呟くように言った。
「嘘じゃないです」
私はそう重ねた。
もしかしたら、彼に嫌われてしまったのでは、と思って口を開こうとしたその瞬間、魚川くんの口から信じられない言葉が聞こえた。
「俺も、真倉さんが好きだ」
今度は私が呆けたように彼を見つめる番でした。
「嘘です……」
「嘘じゃないよ」
言って、彼はまだ信じられない、という表情を浮かべたまま続ける。
「俺は、保健室に行くより前から、真倉さんの事を気になってたんだ」
それこそ、嘘みたいな話だ。しかし、言葉を挟めない程私は驚いていた。
「俺、真倉さんに憧れてたんだ」
「なんで、ですか……」
私が苦手意識されど、憧れられるような要素なんて無い。
けれど、彼は話を続ける。
「俺、中学の時、不登校だったんだ」
彼の口から到底出てくると思えない言葉。
いつもの魚川くんらしからぬ、遠くを見つめるような瞳で彼は続けた。
「三年の冬に、風邪で学校を長めに休んじゃったんだ。そしたらさ、途端に学校への行き方を忘れちゃったみたいに、怖くなっちゃって」
無言で話を聞いている私に、彼は続ける。
「学校に久しぶりに行って、周りに変な風に思われないかとかさ、ズル休みって思われてたらどうしようとか、勉強ついていけるかなとか。色んな事考えてたら、家から出れなくなったんだ。だから不登校にさ」
なっちゃって。と、括った言葉はほとんど聞こえない程小さかった。
「高校入ったら、頑張ろうと思ってさ。一生懸命イメトレしてさ、頑張って高校デビューしたんだ」
話しているうちに気が楽になってきたのか、声色が明るくなっていた。「結構がんばったでしょ」と笑う元気が出てくるほどには。
けれど、それほど辛い思いをした魚川くんが、クラスの中心であんなに楽しそうに笑えるようになったのは、相当な努力が必要だっただろう。
「やっぱり魚川くんは凄いですね」
「真倉さんの方が凄いよ」
私の言葉に、魚川くんは間髪入れずに返した。
「俺は1週間とか休んだだけで、家から出る事すら出来なくなっちゃったんだ。でも、真倉さんは毎日学校に来て授業受けてさ、凄いよ」
そう言う、魚川くんの言葉は強い感情がこもっているのを感じる。
「本当にさ、凄いんだよ、真倉さんは。いつも背筋伸ばして堂々としてて、かっこよくて……綺麗だ」
突然、魚川くんの口から私を褒める言葉が出てきて、ドキッとする。
「え、っとあの」
自分の容姿を褒められたことなんてないので、戸惑ってしまう。
こちらをじっと見つめる魚川くんの顔を見れない程、恥ずかしい。
けれど、こんなに真剣に想いを伝えてくれる人から目を逸らすなんて、失礼だ。
「俺、真倉さんが好きだよ」
彼はそう言った。
それは見つめ合う視線よりもずっと熱く感じる言葉だった。
「怖がりで、いくじがなくて、大好きな女の子に先に告白させちゃうような男だけど。……俺と付き合ってください」
彼がそう言い切って、私に手を差し出してくる。
私はその手の平に自分の手を重ねた。
「はい」
重ねた瞬間、彼の手がゆっくりと私の手を握りしめ、その温かさに胸がぎゅっと締め付けられた。
廊下の窓が先ほどよりも大きく揺れたが、もう彼が大きな声を出すことは無かった。
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