第2話『保健室の真倉さん』

 桃香に連れられて、空き教室に入ると、そこには既に三人の先客がいた。

 蒸すような暑い空気の漂う部屋の中で、窓辺に立つ柊は風を浴びながら更に手で必死に顏をあおいでいた。


「あっついなぁ」


 その前髪は確かに汗で顔に張り付いていて、確かに暑そうだ。

 少しでも自分の中の熱を逃すことに一生懸命な柊へ、椅子に反対向きでまたぐように座っていた紅はのんきに笑いかけた。


「柚子は暑がりだよねー」

「ほんま、こない暑いなんて、かなんわぁ」


 目を見開き、大袈裟に肩をすくめてみせた柊に、紅の正面で静かに本を読んでいた霧島はパタン、と音を立てて本を閉じる。

 そしてすくっと椅子から立ち上がると、入り口付近までやってきて、そこに置いてあった扇風機を持った。

 それを手にしたまま、窓辺の柊の元まで行くと正面にこれ見よがしに置いてみせる。


「暑いならどうぞこちらを独り占めしてください」


 最大限に毒気を含んだ言い方で、言い放つ。

 いい終わるなり、席に戻ると読書を再開する。

 対する柊は「堪忍なぁ」と、大して気にしていない様子でコンセントを指しさっさと扇風機を回し始めた。

 首は回さず、自分にだけ向けて。

 あまりに剣呑な様子に、入り口で凍りついていた俺は部屋の中に入ると紅の隣に座りコソッと耳打ちした。


「……なんだ、霧島と柊って仲悪いのか?」


 それに紅は片手を添えつつ俺に耳打ちで返す。


「あんまり仲良くはなさそうだよ」


 こいつ、よくこんなバチバチな幼馴染たちに挟まれて平気でいられるな…。

 俺は心中で感心しながらも、話題を変えるべく桃香に声をかけた。


「そういえば、その扇風機って使っていいのかよ? 学校のだろ?」


 白い首の根本には『駿華しゅんか大附属 秀桐しゅうとう高校 備品』と書かれていた。

 同好会として認められるとは言っていたが、それは二学期からじゃないのか? 大丈夫か……?

 生徒会長は、本当に怖かった。威圧感というのだろうか。有無を言わせないような貫禄がすごかった。

 まるで、姉ちゃんを見ているかのようだった……。

 俺は自分の姉の剣幕を思い出して、つい身がすくんでしまう。


「大丈夫だよ! 今日の使用許可と一緒にちゃんと申請して借りてきたから」


 桃香は胸を張って答える。

 それはまた、用意周到なことで。

 桃香も手芸部にお料理クラブにと、他にかけ持ちをいくつもしているのに、そこまで精力的に動いてくれていて……桃香にとってもこの活動は意味のあるものなのかもしれないな。

 と、そこで俺はこの場に見知った顔しか居ないことに気付いてしまう。


「あれ、ところで今回の依頼人はまだ来てないのか?」


 尋ねると桃香は「あっ、そうだった」と手を叩いた。


「そうだよ! ちょっと連絡してみるねー」


 言うなり、カバンからスマホを取り出すと、手慣れた手つきでメッセージを打ち込んでいく。


「桃香お前、本当に文字入力早いよなぁ」

「まぁね! 慣れてますから~」


 話しかけている俺に言葉を返しながらでも、そのスピードは落ちることなく、軽快なリズムで画面上を踊る。

 しばらく見ていると、どうやらやり取りを追えたらしい桃香がこちらを振り返った。


「なんかね。依頼者の女の子、今保健室にいるみたいなんだよね~」

「保健室? また珍しい場所にいるな」


 普段の学校生活では中々耳にしない……いや、することもあるが、心配もセットになることが多い場所だ。


「うん、なんかね。身体が少し弱いみたいなんだよ」

「そうなのか」


 今まで生きてきて、学校の保健室なんて片手で数えるほどしかお世話になったことのない俺からしたら、保健室によらなければいけない状況というのが上手く想像できない。


「しかし、身体が弱いってのは心配だなぁ。今年は暑いしな……」


 呟く俺を見て、桃香がぷっと吹き出す。


「ほんと、りょーくんって優しいよね。クラスの子たちも、そういう一面知ったら驚くだろうなぁ」

「失礼な奴だな」


 自分の顔が強面で、その上仏頂面だからクラスの奴らに上手く溶け込めていない自覚はある。

 あるだけにその話題は、結構傷つく。


青海セイカイさんは面白い顔してますものね」


 そこに更に我関せずの姿勢を貫き、読書を続けていた霧島から鋭い一撃が飛んできて、思わず心臓の辺りを抑える。


「あんだぁ、“面白い顔”ってのは、嫌味かぁ?」

「あら、その辺りはそちらの捉え方次第だと思いますけれど?」


 こいつがこのタイミングで、わざわざ口を開いて会話に入ってくるという事は、絶対に嫌味を言いたかったのだと、最近の付き合いで分かっている。

 溜息を一つ吐いて、会話をわざと切って桃香に向き直る。


「まぁなんだ。その人が、保健室にいるなら、迎えに行くか?」

「それでもいいかもね! ん、じゃあ連絡しておくよー」


 言って、再び凄い速さでスマホ操作をしていく桃香。

 それほど時間を置かず、「来てもらえるなら待ってます、だってー」と桃香経由で返事をもらう。


「分かったよ」


 返事をして立ち上がると部屋を出ていこうとする。

 そんな俺を「待って待って」と桃香が呼び止めた。


「私も一緒に行くよぉ」


 とてとてと、慌ててこちらに駆けよってくる桃香。


「いや、俺1人でも行けるよ」

「いやいや〜。りょーくんは良くても相手女の子だからね。ビックリしちゃうかなって」


 言われて、確かに見ず知らずの男、しかも自分で言うのもなんだが、結構威圧感のある男がやって来たとなると、怖がらせてしまう可能性が高い。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 桃香の気遣いに心の中で感謝しながら、肩を並べて保健室に向かうことにした。


***


 依頼者の女子生徒が待っているという保健室に向かった俺達。

だが、いかんせん高校生になってから保健室に行く機会なんて健康診断の時くらいなものだったので、歩いている最中も道があっているか不安になってしまう。


「しかし、その女の子は本当に身体が弱いんだな」


 道中、隣を歩く桃香に話しかける。


「そうだよ~。改まってどうしたの?」


 最初に聞いたことを再度掘り返す形になってしまったので、桃香も不思議そうな顔をしている。


「いや、保健室で待ってるって事は、やっぱりそうなんだなぁって」


 言って、保健室のあの独特な雰囲気を思い出す。

 嗅ぎなれない薬品のにおい、白すぎるシーツやカーテン、窓から見える校庭の眩しさに反比例して静かで穏やかな、しかし少し寂しい気持ちになる空間。

 昔、何かの機会で行った事があるが、その時に感じた疎外感と言うか、非日常的な雰囲気が忘れられない。


 そんな空間で待っている、というその少女は待ち合わせ場所にするくらいだから、保健室という空間に違和感を覚えないほど、彼女にとってはそこが日常になっているのだろう。

 保健室が日常に溶け込んでいる生活、というのはどういう気持ちなのだろうか。


「んー」


 俺のその言葉に、桃香は考えるような仕草をみせた。


「でも、その子も私たちと何も変わらないと思うけどなぁ」


 何でもない風に、さも当たり前のように。

 そう言った桃香の言葉は、いつもの間延びした声だったが、やけに俺の胸に響いた。


「そうか、そうだよな」


 頷くと軽く頭を振って、前を向く。

 気付くともう目的地は見えるくらいの距離に来ていた。

 保健室、と部屋の名前が書かれたプレートを見上げて、その扉に手をかける。


 中を覗き込むと、入ってすぐ左手側、壁に向かって置かれた机。それに向かう形で椅子に腰かけていた白衣姿の女性が、こちらに視線を向ける。

 彼女が、この学校の養護教諭である。

 俺も何度か顔を見たことはあったので、それくらいは分かった。


「あら、どうしたのかしら?」


 顔なじみのない夏休み中の来客に、不思議そうな表情を一瞬浮かべた養護教諭だったが、すぐに「あぁ」と何か納得したように頷いた。


「あなた達が、真倉さんのお友達ね」


 その「真倉さん」というのが依頼人の女生徒か、俺には分からなかったので、隣の桃香に目をやる。


「そうです~。真倉さんを迎えに来ました」


 頷く桃香に、養護教諭は「うんうん」と何度か頷いて、保健室のベッドの置かれている方に声をかける。


「真倉さんー? 話してたお友達来たわよー」


 養護教諭が呼びかけると、ベッドを隠すように引かれていたカーテンが揺れて、そこから女生徒が顔を覗かせた。


「あ……こんにちは」


 こちらを伺うように頭を下げた彼女の声は、か細く、今にも消えてしまいそうな声だった。

 同年代では少し珍しく思えるほど、長く伸ばした黒髪を顔の右側でゆるく一つにまとめている。

 白いワンピースの上に薄いカーディガンを羽織った彼女は、顔をあげると桃香の方に向き直った。


「わざわざ来てもらってすみません……場所がよく分からなかったので、休ませてもらっていました」


 確かに俺らの空き教室は少し分かりにくい場所にあるし、この暑い中探し回るのは少し大変だっただろう。


「気にしなくていいよ」


 申し訳なさそうな顔をしている彼女に声をかける。そこで彼女はようやく桃香の隣に立つ俺の顔を見た。

 視線が合って一瞬彼女の顔が強張るが、それもほんの一瞬ですぐに頭を下げてきた。


「お気遣いありがとうございます」


 いつも自分の顔を見られるたびに怖がられるのには慣れていたのだが、その後すぐに普通の対応に戻されたのは珍しい対応だった。

 ……某、霧島という女は俺の顔面を見ることなく、仁王立ちでこちらに話しかけてきたわけだが。

 あんなのはレア中のレアケースなので、気にしない方がいいだろう。

 きっと、この真倉さんという少女は芯が強い少女なのかもしれないな、と俺は目の前にいる病的なまでに色の白い彼女を見て思った。


「じゃあ、みんなが待ってる教室に行こっかー!」


 桃香は、真倉さんの白くて細い手を取ると、保健室の扉を開けた。


「みんな熱中症には気を付けるのよ~」


 二人に続いて外に出ると、開いた扉の向こうから養護教諭が手を振っていた。

 俺はペコリと頭を下げると、静かに保健室の扉を閉めた。

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