番外編「雨の季節が終わったとしても」
朝、学校の下駄箱で靴を脱ぎ変えていると、ある女の子の後姿が見えた。
「雫ちゃん!」
私は彼女の背中を追いかけ、その肩を叩く。
彼女――佐藤雫ちゃんは、振り向き私の顔を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「桃香ちゃん!」
雫ちゃんは笑顔を浮かべたまま、足を止めその場で「おはよう」と私に挨拶をする。
「うん、おはよー! 今日は一人なのー?」
尋ねると彼女は一気に顔を赤くして、何度も頭を縦に振った。
「う、うんっ。今日は天野さん、日直らしくって」
彼女が出した名前に微笑ましい気持ちになる。
天野さん、というのは先日雫ちゃんが付き合うことになった恋人の名前だ。
雨の降る放課後に一目ぼれをした相手である、天野さんに告白をし、見事恋人同士になることが出来た雫ちゃん。
そして、その恋のキューピッドをしたのは私の幼馴染である涼くんと、友達の吹雪ちゃんなのだ。
大切な友達である雫ちゃんの幸せそうな姿にも、微笑ましい気持ちになるが、それが私の幼馴染が手助けしたのだと思うと、二倍微笑ましくなる。
初めて雫ちゃんが天野さんに会った日、いつもは真面目な雫ちゃんが放課後のお菓子クラブの活動中に砂糖と塩を間違えるというアクシデントを起こした事を思い出して、つい笑ってしまう。
「桃香ちゃん……? なんで笑ってるの?」
隣の雫ちゃんが不思議そうな顔をするので、「ううん、何でもないよー」と雫ちゃんの背中を押した。
「教室まで一緒に行こー」
言うと、雫ちゃんも「そうだね」と頷いて、私たちは歩き出した。
梅雨が明けたらしいよとか、もうすぐ夏休みだねーとか、そんな普通の会話をしていると教室の前まであっという間に着いてしまい、私たちはお互いに手を振った。
「あ、桃香ちゃん。今日はお菓子クラブに来る?」
教室に入る前に、ふと思い出したように雫ちゃんが私に聞いてくる。
「えっ、どうしようかなーって迷ってるところだよ。なんでー?」
お菓子クラブと裁縫クラブを兼部している私は、ちょうど今日はどうしようか考えあぐねていた。
「ううん、忙しいならいいんだけど……今日、桃香ちゃんに一緒にお菓子を作って欲しいなって思ったから」
雫ちゃんはそう言って手を振ると「忙しかったらいいからね」と、念を押した。
こういう遠慮しがちな所は雫ちゃんの良いところだなぁ、と私は思っているけれど、もっとワガママを言ってもいいのになぁ、と思う時もある。
私がワガママすぎるのかな?
「えーっ、そういう事なら絶対行くよー! 楽しみにしてるねっ!」
絶対、の部分を強調して言うと、雫ちゃんはホッとしたように頷いた。
「ありがとう、桃香ちゃん」
そして再び手を振ると、今度こそ教室の扉を開けて中に入っていく。
雫ちゃんから私を誘ってくれることは珍しいので、私も心の中でスキップしながら自分の教室へ向かった。
***
放課後。授業も終わり、カバンに教科書などを入れて帰り支度を終えると、そのまま家庭科室へと向かった。
中に入ると、既にお菓子クラブの部員数人がそこには居て、その中に雫ちゃんの姿もあった。
彼女は私の姿をいち早く見つけて駆け寄ってきてくれた。
「桃香ちゃん、来てくれたんだね!」
やってきた雫ちゃんは既にエプロンをかけていて、その手にはボウルが抱えられていた。
「うん、遅くなってごめんねー! 今日は何を作るの?」
言って彼女の手の中のボウルを覗き込む。
そこには透明の液体が入っている。
「今日はね、ゼリーを作ろうと思って」
雫ちゃんは今朝と同じ、照れたような笑顔を見せる。
ここしばらく、ずっと雫ちゃんを見ていた私には、その笑顔は天野さん絡みの時に出てくる表情だと気付いていた。
「天野さんにプレゼントするのー?」
指摘すると、雫ちゃんは驚いたように目を見開く。
「な、なんで分かったの?」
「女友達の勘だよ」
言うなり、まだ驚いている雫ちゃんの手からボウルをとる。
「私は何を手伝えばいいのかなー?」
尋ねると、雫ちゃんはようやく我に返ったようだ。
「あ、うん。桃香ちゃんにはね――」
そして、雫ちゃんと一緒に机に向かい、私はゼリー作りを手伝うことにした。
「ねぇ、この青くしたゼラチンはどうするの?」
「あぁ、それはね。砕いてこの透明のゼリーに浮かべるの」
言って雫ちゃんは先ほどのボウルに入っていた透明の液体を指した。
それは、この後透明のゼリーにするための材料だったのだろう。
「ひぇー。なんだかすっごくオシャレなゼリーになりそうだね」
出来上がりをイメージして、感嘆の声を出す。
雫ちゃんはいつもの照れた笑顔を浮かべた。
「うん……。もう梅雨が終わっちゃったから、雨をイメージしたゼリーを作りたくて」
「雨をイメージしたゼリー?」
せっかく梅雨が終わったのに、なんで?
と、たずねようとして、彼女の恋人の存在に思い当たる。
「うん、天野さんと出会えた季節だから。記念に何か作りたいなって」
そういった彼女の顔はとても幸せそうで、見てるこっちも心がポカポカしてくる心地がした。
「雫ちゃんって、ロマンチストだよねぇ。分かった、この桜野桃香、そのゼリー作り手伝いましょう!」
言って胸をポンと叩くと、青くしたゼラチンを固めるための準備をする。
それからお菓子つくりを進めながら、私と雫ちゃんの会話は終始コイバナになった。
「雫ちゃんは天野さんの事、本当に好きなんだねー」
「えっ、うん……。好き、だよ……」
いつものように戸惑いながらも、確かな口調で雫ちゃんは返す。
「いいないいなぁ~。天野さんのどう言う所が好きー?」
「えっと、優しい所と、ちゃんと考えてから話してくれる所……かな」
「天野さんって、大人っぽいもんねー」
「うん……。桃香ちゃんは、どうなの?」
当然自分に向けられた話題につい驚いてしまう。
「えっ、どうって?」
「紅くんも優しいでしょ?」
尋ねられ、彼の顔を思い浮かべると私も自然と口元が緩む。
「え? うん! すっごく優しいよ! 大好き!」
「わー……。言い切れるの。すごいな。なんかいいね」
「そうかなぁ? えへへ、照れるなぁ……」
お互い照れてしまいニコニコが止まらない。
なんかこういうのって、いいなぁ。
いつもは私、コイバナを聞いている側が多かったけど、こうして共有できるのって、こんなに幸せなんだなぁ。
そうこうしている間にお菓子つくりも大詰めを迎えていて、目の前には透明のゼリー内に、雨を模した青いゼリーの浮かぶ可愛らしく綺麗なゼリーが完成していた。
「できたぁ!」
「すっごーい!」
二人で手を叩いてその完成を喜ぶ。
雫ちゃんはそれを大切そうにラッピングし始めた。
その手つきに、天野さんへの思いが全て詰め込まれているようだった。
「ねぇ、雫ちゃん」
そんな彼女に私は後ろから声をかける。
「なに?」
振り返った彼女に、今日一番の満面の笑みを浮かべて私は言った。
「お互い、幸せになろうねっ!」
雫ちゃんもそれに、笑顔で頷いて見せた。
「うんっ!」
雨の季節が終わっても、きっと彼女たちの恋は幸せが続くだろう。
そう確信できることが、何より私には幸せだった。
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