第7話「雨と心臓のリズム」
佐藤さんが、天野くんに近づくために図書館に通うようになってから数日が経った。
俺と霧島が近くで見守りながら、あーだこーだと言いながら様子を見ていたが、今のところ進展は無し。
そろそろ、何か別の作戦を考えた方がいいかもしれないと思っていた。
そんなある日のこと。
今日はどうしたもんか、と考え事をしながら一階の廊下を歩いていると、最近すっかり見慣れた天野くんを見つけた。
いつもの行動パターンからすると、そろそろ図書室にいる時間だが……。不審に思われないように様子をそっと見守っていると、彼は下駄箱に向かい靴を履き替えた。
どうやら今日は珍しく、帰ってしまうようだ。
(まだ帰るつもりはないけど……)
佐藤さんのためだ、と俺も靴を履き替えてそっとその様子を覗う。
すると天野君は外に出ると、先ほどからいきなり土砂降りになった空を見上げてため息をついた。
カバンを開けてその中を漁ってみるが、あきらめて再び小さくため息を吐く。
察するに傘を忘れてしまったのだろう。この雨の中、傘なしで帰るのは中々に勇気がいるはずだ。
(でも、もしかしたらこれはチャンスじゃないか?)
俺はスマホを取り出し、操作をしてメッセージアプリを起動すると、少し前に交換しておいた霧島の連絡先を呼び出す。
まだ挨拶すら送りあっていない霧島とのトークルームに、一言だけメッセージを送った。
『佐藤さんを連れて正面玄関口に来てくれ』
連絡を送ってから、霧島はすぐにやってきた。もちろん後ろには佐藤さんも連れてきている。
しかし、到着するなり霧島は俺に向かって鋭く冷たい言葉を投げつけてきた。
「青海、あなたね。理由も言わずに指示だけするのはどうかと思いますよ。それにこれから図書室に行こうと思っていたのに――」
「あれを見てみろよ」
突拍子もなかった俺の行動へ、苦言を呈する霧島の言葉を遮り、俺は外でたたずむ天野君に視線を向けた。
それを見て、霧島もようやく事情を察したようだ。
「なるほど、そういう事ね」
そして、奴は後ろにいる佐藤さんを呼び寄せる。
「今なら自然に話しかけるチャンスよ」
言われた佐藤さんは「えっ」と驚いたような声を出したが、何度か天野君と俺たちを繰り返し見た後、意を決したように頷いた。
「はい……! 頑張って、みます」
その言葉は自信なさげだが、彼女なりに覚悟を決めたようだった。
佐藤さんは右手に黒い傘を握りしめ、上履きを靴に履き替える。
そして彼女は、靴箱の影から佐藤さんを送り出した俺たちを一度だけ振り返ると頷いて天野君の後ろに立った。
俺と霧島はその背中を見送る。こいつとはそりが合わないが、この時思っていた気持ちはきっと一緒だろう。
『佐藤さん、頑張れ――!』
***
「あの……っ! ど、どうしたんですか?」
天野智紀さん、私の気になる彼の後ろ。
後姿をしばらく眺めた後、意を決してかけた言葉は、思いっきりどもってしまった。恥ずかしい。
いきなり声をかけられた彼は、振り返り少し驚いたような顔をしたが、再び雨が降る空を見上げて言った。
「雨が止むのを待っているんだ」
そう言った後で、こちらを振り返ると恥ずかしそうに「傘を忘れたのに、帰るのが間に合わなくて」と笑う。
玄関口を出てすぐの校庭には勢いよく雨が降り注いでいて、敷かれた土がぬかるんでいくつも水たまりができている。
彼と初めて会話を交わせた事実に感動して言葉を失っていた私だったが、右手に持っていた傘が自分の膝をかすめたことでハッと我に返る。
「あっ、あの!」
言って黒い傘を差しだす。天野さんに出会ってから、いつか返せるようにと肌身離さず持ち歩いていた、彼の傘だ。
「お借りしていた傘です……!長く借りていてすみません」
一心に手元の傘を見つめて言う。少し早口になってしまったかもしれない。けれど、彼の顔色を伺うなんて怖くてできない。
そうしてしばらく顔を見れずに手を差し出していると、かれは「あぁ!」と声を上げた。
「君、あの雨の日の女の子だね! 結局雨に濡れずに帰れた?」
話を返しながら、天野さんは傘を受け取ってくれた。
顔をそっと上げると彼はニコニコと微笑んでいて、その笑顔にホッとすると同時に頬が熱くなる。
「あ、その、あの日は本当に助かりました……。ずっとこの傘を返してお礼を言いたくて」
今私は、天野さんと話している。名前も知らなかった彼と、普通に。
意識すると上手く話せなくて、彼の顔も上手く見れないのがもどかしい。
それでも天野さんは柔らかな笑顔を崩さずにいてくれた。
「そうなんだ! 律儀にありがとうね」
ぺこりと頭を下げてから、彼は一瞬の間をおいて続けた。
「僕は、3年A組の
「わ、私は2年E組の
慌てて答えると、天野さんは「佐藤さんかぁ」と私の名前を繰り返した。
「たまに図書室で勉強してるよね。僕もよく受験勉強しに行ってるから、顔を見かけたことあるなぁって思ってたんだ」
まさか、私の事を気づいていたなんて思わなくて、心臓が口から出そうだった。気持ち悪いと思われてないだろうか。
不安に思っていたが、彼は手に持った傘の留め具を外すと、バッと傘を広げた。
「よかったら途中まで一緒に帰らない? 今日は傘持って来てるんでしょ?」
そう言って彼は雨の中、校庭に足を踏み入れた。
そこから動かず、こちらを振り向いて私の様子を覗う天野さん。
「は、はい! 持って来てます!」
私はカバンに入れていた折り畳み傘を慌てて広げて、彼の後に続く。
傘にポツポツと雨が当たる音がする。
その雨音は私の心臓のリズムのように心地よく跳ねているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます