第6話「雨降り放課後にはお菓子の本を」


 佐藤さんのアピール作戦は、翌日から始まった。

 放課後の図書室。外はやはり今日も雨が降っている。

 窓に当たる僅かな雨音が、図書室をより静寂にさせているようだ。


 この前と全く同じ席で、天野くんは今日も赤本を広げている。

 それを少し離れた隣の机から覗き見ている俺がいた。

 もちろん、バレたらまずいので今日も適当な本を読むフリをしながらの様子見である。

 チラチラと細かく本から顔を上げている俺に正面から小さく鋭い声が飛んでくる。


「やるなら、もっと上手くやりなさいよ」


 そちらを見ると、俺と同じように本で顔を隠している霧島の姿があった。


「うるせぇな……」


 ぽつりと抗議の声を漏らすと、ギッと鋭い視線で貫かれる。

 こいつに睨まれるとつい、身がすくんでしまう。

 俺は天野君から視線をそらし、本棚の角から顔を出した佐藤さんと目を合わせ一つ頷いた。




 俺たちの作戦は、こうだ。


 ひたすら彼の近くにいること。


 小細工なし、単純明快、シンプルな作戦。

 ……いや、流石にその作戦は、俺もどうかと思わなくもなかったが。

 本日会うなり、佐藤さんが俺たちに飛びつきそうな勢いで話しかけてきたのだ。


「あの、私色々考えてみたんですけど……!」


 彼女は一つ息を吸うと、意を決したように俺らに言った。


「図書室で勉強する天野さんに近づきましょう」


 彼女は奥手な女の子なのだろう、と思っていた俺の第一印象は間違っていたようで。

 そう言い切った佐藤さんの目は熱く燃えていた。

 だから、俺も霧島も、それ以上彼女に何か言うことは出来なかったのだ。

 結局、天野君へ恋をしているのは佐藤さんなのだから。




 図書室。件の佐藤さんは本棚の角から顔を出し、こちらにゆっくりと歩いてきている。

 しかし、その動きは実にぎこちなく、一目で緊張しているのだと分かるほどだった。

 まるでロボットのような動きのまま、佐藤さんは天野くんの正面の席に座り、持って来ていたカバンの中から教科書を取り出した。

 きっと、勉強をするつもりなのだろう。

 だが、緊張しているせいかその教科書を一生懸命に手に持ったまま読んでおり、しかもその教科書の向きが上下さかさまなのだ。

 分かりやすくテンパっている。


「ごほん! あー、ごほん!」


 このままだと不自然なので、気づかせるために俺がわざとらしく咳ばらいをしてみせると、彼女はハッとした表情を浮かべて慌てて教科書を持ち直した。

 三人でそっと天野君の方を覗うと、彼は勉強に集中していて気付いていないようだ。

 ホッと胸をなでおろした。

 しばらくアタフタと勉強の準備を行った佐藤さんも、ようやく落ち着けたようだ。

 ノートと教科書、それと可愛らしい筆箱を机の上に広げて手を動かし始める。

 時折、それとなく天野君の方を覗っている様子が、なんだか微笑ましい。

 しばらく手を動かし続ける佐藤さんと、天野くん。

 二人を取り巻く空気はただただ静かだった。それを見守る俺と霧島の方が少しそわそわしていたくらいだ。


「……このまま、ただ傍で勉強をしているだけでいいのかしら」


 正面の霧島が俺に向かって顔を寄せ、コソコソと話しかけてくる。

 それは俺も気なってはいた。近くに居るがこのままの状態で近づけるのだろうか……。

 だが、


「もう少し、様子を見よう」


 不安にはなるが、もう少し彼女自身の行動を応援したい。

 そわそわと様子を見ている俺らを差し置いて、佐藤さんは勉強を続けていた。

 天野くんの方を何度かチラ見しているが、そのたびに視線を巡らせ、再びノートに視線を戻す。


 きっと、どうしていいのか彼女にも分からないのだろう。

 しばらくそんな事を繰り返すと、佐藤さんはフルフルと頭を横に振って顔を両手で押さえると、席から立ち上がった。

 いったい何をするつもりなんだろう……と俺らが彼女の後姿を目で追うと、佐藤さんは料理本が置いてあるコーナーで足を止めた。

 そしてそこから、ホールのショートケーキの写真が表紙になっている、お菓子づくりに関する本を取り出すと、天野君の正面の席に戻りそれを広げた。

 そして、それを眺め嬉しそうに微笑んだ。

 その状態のままパラパラとページをめくりだした佐藤さんは結局、天野君が図書室を去るまで、彼に話しかけることは出来なかった。




「すみません……」


 天野くんがいなくなった図書室で、佐藤さんは俺らのもとに近づいてくると、申し訳なさそうに頭を下げた。


「まぁ、初日だししょうがないだろ」


 俺は佐藤さんを元気づけるように声をかけた。


「最初からそう上手くいくわけないからな」


 それを聞いて佐藤さんはホッとしたように笑った。


「ありがとうございます……」


 その様子を見ていた霧島が、大きくため息を吐く。


「別にいいけれど。貴女はなんでお菓子の本なんて眺めていたのかしら」


 自分が理解できないものを見るような目で霧島が佐藤さんに問いかける。

 いや、正直それは俺も思っていたし、非常に謎なんだけども。

 佐藤さんは「あ、その……」と手の指を絡めている。


「なんか、どうしたらいいか分からなくなっちゃって……。緊張しすぎて頭が真っ白になっちゃったので、その……」


 とても説明しづらそうな佐藤さん。

 まぁ、そりゃ緊張はするよな。気になる話したこともない先輩に話しかける、って俺には想像もつかないし。

 きっとその緊張を紛らわすために、趣味のお菓子の本を見て落ち着こうとした……という事なのだろう。

 霧島の言葉で彼女が委縮してしまっているようなので、俺はフォローを入れることにした。


「まぁ、大きな失敗がなくてよかったじゃないか」


 そういうと、霧島も肩をすくめる。


「確かに、そうね。……少し言い方がきつかったわ、ごめんなさい」


 言って奴は佐藤さんに軽く頭を下げる。

 頭を下げられ慌てて彼女も手を振り返した。


「あぁ、いえ……! 私が不甲斐なかったのは事実です。お二人に手伝ってもらっているのにすみません……」


 八の字に眉を寄せた佐藤さん。

 俺はパンと手を叩き、二人の視線を集めた。


「まぁ、まだ始まったばかりだし。また明日がんばろうぜ」


 佐藤さんはホッとしたように笑ったが、取り仕切るような俺の態度が気に食わないのか霧島はぼそりと「青海のくせに」と呟いた。

 とりあえず、今日の活動はここまでが限界という事で、俺たちは解散をすることにした。

 窓の外の雨は、まだ当分止みそうになかった。


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