第6話 清水恵流(しみずめぐる)


「清水さん、久しぶりだね。元気だった?」


 電話越しの大月くんの声を聞くまで、心臓がはち切れそうだった。

 ううん。今もまだ、心臓が口から飛び出しそう。私のこと、憶えててくれたんだ。


「うん。元気元気。今、少し電話大丈夫かな?」

「昼休みだし、大丈夫だよ。今、どこから?」


 少しハスキーな、空気を含んだみたいに柔らかで優しい声に、誠実そうな落ち着いた口調。変わってない。

 この感じだと、少なくとも迷惑がられてはいないみたい。たぶん。


「実家だよ。今年からね、こっちに戻って来たの。で、今週末、ホムセンのみんながお帰り会を開いてくれるって言うから、大月君もどうかなって……」




 電話を切った後、私は膝から崩れ落ちる様にベッドにもたれかかった。スマホを握ったまま、枕に顔を埋める。


 まだ手が震えている。アヤさんに報告メールをしなきゃいけないけど、落ち着くまでもう少し待たなきゃ、メールを打てそうも無い。


 無理もない。かれこれ4年越しの片思いだ。


 高校2年の春、美術の授業中に絵を描く大月陽の横顔にノックアウトされ、

彼の纏う、ミステリアスでストイックな雰囲気に呑まれてろくに話し掛けることも出来ずに夏を迎え、

高校の近くのホムセンというふざけた店名のホームセンターでアルバイトをしていると聞くやすぐに自分も潜り込み、

バイトの面接で手芸への付け焼き刃の情熱を熱く語り、彼の担当している画材売り場近くの手芸コーナーにまんまと配属してもらい……


 夏休みが終わる頃、ようやく少しだけ、話せるようになった。


 と思ったら、夏休み明けには彼が同じクラスの子と付き合いはじめたことが判明し、私は絶望のどん底に突き落とされた。


 その『彼女』というのは、私が大月陽に一目惚れした授業で彼のモデルになった子だった。席順でペアが決められ、お互いを描き合うという授業だったのだ。

 彼女の方からの猛烈なアタックで、付き合うことになったのだという。


 そりゃ、あんな真剣な眼差しで正面から見つめられ続けたら、惚れるのも無理は無いと思う。

 私なんて、横顔だけで惚れたのだ。

 あげく、美術部の彼が描き上げた作品は素晴らしく美しかった。元々わりと可愛らしい顔立ちの子だったけど、(これは僻みかもしれないが)3割増しくらい良く描かれていた。まあ、浮かれてぽーっとなるのも致し方ない。


 致し方ないとは思いつつも、すぐに諦められる筈も無く。引き絞られる様な胸の痛みを隠しつつ、バイト先で少し話せる時間だけを楽しみにしていた。


 年が明け、「なんかよくわかんないけど、振られた」と彼から聞いた時には、心の中で快哉を叫び花火を打ち上げたものだったが、その頃には妙に仲良くなっており、告白出来る雰囲気ではなかった。

 いや、自分にその勇気が無かったのだ。


「彼女に振られ傷心の彼を慰めつつ、自己アピールを」などと姑息なことを考えもしたが、実行には移せなかった。

 肝心の彼が、さほど傷ついている様には見えなかったからだ。


「女の人の頭の中は、わからん」

 彼は眉を寄せてそう呟くと、苦笑いした。

 その困った様な苦笑に、再度ノックアウトされたことは言うまでもない。



 3年に進級するとクラスが別れてしまったこともあり、バイト先では少し話せていたものの、少し距離が開いてしまった。

 受験を控えていたし、何より、彼は家で何かあったらしく、担任と連日遅くまで話をしたり、バイト先でも少し沈んで見えたりして、気軽に声をかけづらい状況が続いていたのだ。


 秋には、彼が就職コースを選んだことを知った。

 私はその頃には、単に大月陽に近づく為の手段でしかなかった筈の手工芸にすっかり嵌まってしまい、家政科のある大学を目指していた。


 思えば、彼に恋をしたことで、進路まで、いや、その後の人生設計まで決まったのだ。


 今年から、大学へは実家から通うことが出来る。幸い、彼の勤務先とは数駅しか離れていない。

 また、彼に近づけるだろうか。また、仲良く話せるだろうか。



 ホムセンのバイトの上司であるアヤさんには、高校時代から相談に乗ってもらっていた。というか、色々バレていて、勝手に世話を焼いてくれるのだ。


「あんたは行動力はあるくせに、度胸が無い」だの、「手先は器用なくせに、性格は不器用」だのと散々な言われ様だったが、いつも親切にしてくれる。

 今回の飲み会も、私のバイト復職記念として、アヤさんが主催してくれるのだ。全く、アヤさんには頭が上がらない。



 散々思いを巡らしたおかげか、恵流はようやく少し落ち着きを取り戻した。

ひとつ大きく深呼吸し、メールを打ち始める。

 とはいえ、心臓はまだバクバクしているし、まだ少し手が震えている……



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