第3話 見入り魅入られ


 木暮優馬が彼を見つけたのは、偶然だった。


 珍しく休みの合った日曜、優馬は恋人の神崎栞と久々のデートを楽しんでいた。

 昼食のあと話題の映画を見て、感想など語り合いながら大きな公園を散歩している時だった。


 数人の若い女性達が、何やらキャッキャと騒いでいるのでふとそちらを見やると、そこに彼がいた。


 池の側の芝生にレジャーシートを敷き簡素なアウトドア用の折り畳み椅子に座った彼が、絵を描いていたのだ。

 今日は頭にタオルこそ巻いていなかったが、後頭部で一つに括ったヘアスタイルは見紛いようもなかった。



 彼の正面には、同じく折り畳み椅子に腰掛けた若い女性がふたり。友人同士だろうか、椅子をぴったりと寄せあって座り、時おりクスクス笑いながら絵のモデルとなっている。


 レジャーシートの上には数枚の絵が並べられ、「絵 1点1000円」「似顔絵 1点1500円(2名まで)」との表示がある。カップルやベビーカーを押した夫婦等が通りすがりにしばし足を止め、それらを眺めていた。


 彼は真剣な眼差しでモデル達を見つめ、せっせと筆を動かしている。が、その表情は、以前見かけた時よりもずっと柔らかなものだった。



「なあ、アレちょっと見て行かない?」

「あら、似顔絵屋さん?この公園では初めて見たわ」


 ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで池の方へ向かう栞の後ろ姿を見て、木暮優馬は頬を緩めた。

 看護師という仕事柄か、普段はクールでテキパキとした女性という印象が強い彼女だが、実は好奇心旺盛で、面白そうなものを見つけると、いつもああやってすっ飛んで行ってしまう女性なのだ。


 早くも他の客の背後から背伸びして絵を覗き込んでいる。比較的長身なうえにヒールを履いているので、あの位置からでも見えるらしい。片足ずつ重心をずらして覗き込む度に、ストレートの黒髪が背中で揺れる。



「優馬!こっちこっち!」


 振り返った顔は、お気に入りを見つけた時のいつもの表情だ。嬉し気にパッと輝き、瞳をキラキラさせている。

 非常にわかり易い。わかり易すぎて、優馬はいつも吹き出すのを堪えることになる。



「こっちこっち、って‥‥オレが見つけたんですけどぉ」


 弱々しい抗議など一顧だにせずヒラヒラと手招きしていた手が、こちらへ伸びて来た。応えて右手を差し出すと、栞はその手を掴み引き寄せる。

 優馬に見せたいものがある時、栞はいつもこうするのだ。


「ほら、すごく素敵な絵だよ」


「うん。知ってる」



 優馬達のその遣り取りに、彼は顔を上げた。


「あ」

「‥‥?」


 目が合った際の彼の表情を一瞬不思議に思ったが、栞の声で引き戻された。


「優馬、知ってるの?」


「あー、うん。ねえ君、工場のシャッターに夜桜の絵を描いてた人だよね?」

「あ、はい」



 目顔で訊ねる栞に、優馬は例の絵のことを簡潔に話した。


「すごく綺麗な絵でさ、でも綺麗なだけじゃなくて、何ていうか‥‥ちょっと怖いような……凄い絵なんだ。初めて見た時、絵の前から文字通り動けなくなって、しばらく眺めてた」


 後半は絵描きの彼に向けた言葉だった。あの時の感動を直接作者に伝えられることが、素直に嬉しかった。



「あの……知ってます」


「へ?」

「……俺、見てました。カーテンに隠れて、倉庫の2階の窓から」


「え・・・・」


 優馬は思わず、自由になる左手で額を擦った。


「それは、恥ずかしい………俺、相当アホ面してたよね?」



 栞が吹き出した。両手で口元を覆い、クスクス笑っている。


 客の女の子達も、肩を震わせ笑いを堪えている。


 笑われて、優馬はさらに赤面した。


「ヤバい。恥ずかし過ぎる。俺は逃げる」


「邪魔してごめんね」

 彼と客らにそう言い残すと、優馬は両手で顔を隠しながら足早にその場を離れた。



「ちょっと優馬ぁ‥‥お嬢さん方も、お邪魔しちゃってごめんなさいね」


 優馬は栞の声に立ち止まると、顔を隠したまま半ば振り返り、開いた指の隙間から片目で向こうの様子を窺った。


 その様子を見て客の女性達は、声を上げて笑い手を叩いて喜んでいる。こちらへ駆けてくる栞も苦笑気味だ。


 辿り着くなり、腕を軽く叩かれた。


「もう。私、絵を買いたかったのに」

「ごめんごめん、動揺しちゃってさ。後でまた行ってみよう。ね?」



 頬を膨らませる栞を宥め、池の向こうにあるソフトクリーム屋に注意を向かせる。


「ほら、アイスあるよ。アイス食べようか」

「……すぐそうやって、はぐらかそうとするんだから」


 言葉とは裏腹に、栞の歩調が速くなった。

 優馬を睨むふりをするが、目尻には笑いが滲んでいるし口元は既にほころんでいる。この作戦は、いつだって成功するのだ。



「早く早く、こっちこっち」


 今度は優馬がそう急かし、ふたりはほとんど小走りでソフトクリーム屋を目指した。



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