ものわすれ

枯れ井戸

たった一人に

 夏休みも終わりを意識し始める8月の半ば。叔父が亡くなった。

 物書きとして生計を立ててた叔父に、私は相当に懐いていたと思う。毎年、夏休みが来る度に彼の家へと電車で二時間かけて行き、机に向かう彼の背中を見ながら部屋に散らかった本を読んでいた。

 だけど今年は遺品整理という名目で来るなんて思ってもいなかった。


「それは僕じゃなくて僕の家にあった本に懐いているんじゃないかな?」

「……そうかも。ごめんねおじさん」

「まぁどっちだって構わないさ。こうして最期に会いに来てくれるだけで嬉しいものだよ」


 本当の目的はめぼしい本を持って帰って、この夏の退屈を紛らわすためなんだけど。

 ついさっき、叔父の住むマンションについた時の話。部屋の扉を開けると、そこにはいるはずのない叔父がいた。正確に言うと高校の制服を着た若い頃の叔父が。

 そんなことなら本だけ拝借して帰るのもなんだから、少し話をしていかないかって。

 

「それでさ、おじさんはなんで化けて出てきたの? 成仏しなよ」

「化けて出てきたって……まぁ間違いはないんだけど」

「この世に未練があったんだ?」

「まぁあった。僕の死因は聞いてる?」

「お母さんから聞いた。崩れた本棚の下敷きになったって」

「大正解。じゃあなんで本棚の下敷きになったと思う?」

「なんでって……本を取ろうとしたんじゃないの」

「そうなんだけどさ、あの時なんとなく思い出した一節があったから本棚をガサゴソしてたんだ。……だけどなんて本かは思い出せなくてね」


 あぁそういうことか。叔父は喉につっかえた魚の骨くらいにどうでもいい、だけど気になって仕方ない。そんなことのために化けて出てきたらしい。

 そんなものそこに置いてあるパソコンで調べればすぐだろうに、私の横で叔父は熱心にページを繰っている。


「どんなの? 私知ってるかも」

「そうか、キミもここの本は随分読んでるもんね。えーとね確か……――」


 叔父が口にした一節は、それはそれは有名な作家の有名な小説の有名な一節で、思わず少し吹き出してしまうくらいだった。


「なんだ、知ってるのかい? 知ってるなら早く教えてくれないか」

「ごめんおじさん、ちょっとわからない」


 私は叔父さんに初めて嘘をついた。

 きっと私の言葉一つで、今年の夏は終わってしまうんだろうから、その答えは、私のこころが満足するまで教えないことにした。

 


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ものわすれ 枯れ井戸 @kareido

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