水見の慰み

 カルーニアの静かな海面に、流木の釣り浮きが揺れていた。その様を、ウォーフは手元の釣り竿を頻りに握り直しながら、見るともなく見ていた。

 とにかく釣れない、という事は聞いていたのだが、実際にやるまでこれ程までに侘しい物だとは、ウォーフは思いもよらなかった。既に、何度も此処へ来ている。だが、ただの一度も釣れたためしがない。

 退屈。そんな風に欠伸を噛み締める背中に、ゆっくりと歩み寄る者がいた。


「釣れますか?」


 訛りのキツイ公用語だった。シー、シー、と歯の隙間から空気を漏らすような発声。これはリザードマン特有の訛りである。

 ウォーフは振り向く必要性を感じなかった。


「別に、何時も通りだよ」

「ほほほ、そうですか」


 リザードマンの老人はウォーフの隣に座り、彼も釣り糸を垂らした。何もかもが乏しい地であるカルーニアでは、“釣り”が娯楽としてとても高い地位を得ていた。道行く人に「カルーニアの華は?」と問えば「女、釣り、薬」と言った具合で、釣果が乏しくとも楽し、あれば嬉し。休日に海岸へ出掛ける者は多く居た。

 カルーニアに来て間もない事、物は試し、とウォーフも釣りに出掛けたのだが、良く釣れるとされる人気の釣り場(釣れない)は途轍も無く込み入っており、それを嫌いほうぼう彷徨った挙げ句、辿り着いたのがこの場所だった。閑散として人気の無い場所。どうせ、どこでも釣れないだろう、とウォーフが糸を垂らした時、後方から先の老人が現れたのだ。聞けば同様の理由でここに辿り着いたと言う。老人とウォーフはそれ以来の付き合いだった。


 ウォーフは何の気なしに釣り糸を回収し、針先に付けた名も知らぬ虫を眺めた。毒を持つ故、食用には適さぬ、釣り餌が精々の虫である。その虫から元気が無くなったのを見て、ウォーフは海に投げ捨てた。別の虫にかえてみる。今度は少し遠くを狙って、釣り竿を振るった。

 右腕に竿を抱えて、仰向けに寝転がるウォーフ。見上げた空は白雲と青空が半々で、曇とも晴とも判別し難い。

 そのまま暫く眺めていたウォーフだったが、不意に老人を見遣った。


「爺さん、餌ぐらい付けたらどうだ?」

「大して、変わりませんよ」

「そうだな。……ん? お?」


 竿を抱えた右腕に確かな抵抗を感じる。唐突に到来した千載一遇の好機。ウォーフは立ち上がり、竿を思い切り撓らせた。老人の目が、僅かに見開かれる。


「ほーお、いてますな」


 骨製の釣り針には二の腕程もある痩せた魚が跳ねていた。口元から針を外し、初めて役立った魚籠びくに魚を放り込む。ファートでは見たこともない、けばけばしい色合いの魚だった。

 ウォーフは魚籠びくを覗き込み、中を跳ね回る魚を楽しげに見詰める。


「これ、食えるか?」

「食べられますとも!」


 興奮した老人の様子に気を良くしたウォーフは、針に新たな虫を付けて遠くに放った。別に根拠はないが、今日はもっと釣れそうな気がしてならなかった。





「あれ、水がもう無いや」


 ガロアは自らの胸元ほどまである大きなもたいを覗き込んで、そう言った。この水量であれば、あと四、五日の内に水汲みに行かなければならない。ガロアは残り少ない水を桶で掬い上げ、コーミュの表面についた土を洗い落としながら、ぼんやりとそう考えた。

 土を洗った水は捨てずに残しておく。どうしようもない汚さになるまで使い倒し、その後、畑に撒いたり、家畜の飲料水として利用するのだ。

 これは、右隣に住むゴブリンの奥さんの入れ知恵であった。彼女の名は“ゲ・ディブル”。ゴブリン族の命名規則は【故郷の名・性別・名】だが、この国で産まれた者は大概が“カルーニア”、或いは“三号地ガッオウル”となる為、省略して名乗るのが一般的となっていた。稀に付けて名乗る場合でも、両親の故郷の名を用いる事が多い。


「しかし……もう無いのか……。もたいをもう一個……いや、結構高いしなぁ~……」


 ぼやきながらも小さなナイフを器用に操り、コーミュの皮を剥いていくガロア。コーミュの皮は微弱な毒を含む。厄介にもこれが下痢を引き起こすので、水の貴重なカルーニアでは食用しないのが一般的だ。下痢をすると、通常時の何十倍にもなる勢いで、身体中の水分が失われてしまうからだ。(胃腸の強い種族や物臭な者などは、そのままかじってしまうが)しかし、これもまだ利用価値はあるので、横に退けて取って置く。


 ガロアは故郷の田舎暮らしにおいても、井戸や川の水を生活用水に利用していた。その為、水を汲む行為自体には慣れているのだが、如何せん、カルーニアでは“距離”が問題なのである。

 カルーニアに河川の類はない。極短い雨季になると、僅かな水の流れが一時的に出現するが、それ以外の平時はうっすらと跡が伺えるだけであり、この国の人々は各地に点在する貴重な水源を利用して生きていた。

 それはカルーニアで最も海から離れた街、首都“墓場イェート”も例外ではない。イェートは地続きの大国たちに向けた“窓口”を目的として、計画的に開発された街だが、この街の中心地には大きな水源がある。

 ガロアたちもこれを利用しているが、とある理由から、現住居は首都の盛況から程遠い西郊外にあるのだ。水を汲むのも一苦労である。ウォーフやハンナの手を借りねば、甕を満たす事は困難だ。


 ガロアは程よい大きさに切ったコーミュを鉄鍋に投入してゆく。次いで市場で買い揃えたクズ野菜や高価な香辛料をちょっぴり入れる。肉も入れたかったが今日はなし。味付けはほどほどにしておく。海水で育つ所為か、コーミュ自体がかなり塩辛いのだ。

 夕餉の準備もそろそろ終わりに近付いた時、ガロアの背後の扉が、ガタガタ、と物々しい音を立てて開かれた。


「おーい、戻ったぞー」

「あ、ウォーフ。お帰り」


 肩から提げた魚籠びくを叩き、ウォーフは不敵に微笑む。


「ふふふ、見ろ! 今日とれたぜ」

「おお!」


 仕事の無い日のウォーフはよく釣りに出掛ける事がある。釣果を持ち帰ってくるなんて……珍しい事もあるものだ、とガロアはその幸運を素直に喜んだ。

 海岸に転がる流木を加工して作った不格好な箱魚籠びくの蓋が開かれると、そこにはピチピチと元気に跳ねる三匹の魚がいた。海岸からここまでにも結構な距離がある事を考えると実に逞しい生命力である。

 ガロアはそれらを指差して尋ねた。


「食べれるの?」

「ん~、多分な。一緒に釣ってたジジイは『食える』と言ってたがよ。そいつリザードマンだから、当てになんねぇ」

「ふ~ん」


 その内の一匹を掴み上げたガロアは、加熱中の鉄鍋のフチに魚の頭を叩き付け、鱗と臓腑を取り除き始める。

 手慣れており、見事な手付きである。これには、旅の道中での経験が生きていた。一行の中で家庭的な働きが出来たのは、田舎で自炊していたガロアだけだった。その為、自然と負担が集中し、その腕前は磨かれていったのだ。


「綿はハンナにでも食わせとけ。アイツはなんでも食う」

「食べるかなァ?」

「食うだろ!」


 あっと言う間に三匹の下処理を終えたガロアは、それらを串刺しにし、鉄鍋の横で共に加熱した。焦げ付かぬ様鉄鍋の中身を突っつき回しながら、二人はハンナとミネアの帰りを待つ。

 カルーニアに来てそう長くはないが、噂に聞くより悪くはない。住めば都だ、ガロアはそう思った。

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