種
見晴らしの良い平原に仮設された粗末な天幕の内外を、侍従たちが食事の準備の為に忙しなく歩き回る。当初、彼らの表情の大半を占めていた王族に同行する緊張は薄らぎ、かわりに濃い疲労が覆っていた。
そんな辛気臭い雰囲気をヴィシルダは嫌い、ワインを片手に天幕を抜け出す。裏手に隆起していた小高い丘の頂上に陣取り、胡座をかいて瓶に口を付けた。
王都を発ったヴィシルダ一行は、二日間の強行軍でファート東端に位置する港までの道程を、半ば消化していた。曲り
何とも懐かしい気分が溢れ出て、ヴィシルダを満たす。これは、生家ヘネットの家で幼き折、乳母に教わった知識。
彼女は今、何をしているのだろうか、息災だろうか。
王城に移り住んでから生家には寄り付かず、実父との会話も彼が登城した時に限った。生家は王都、それも王城近くにあるにも関わらず。
ここに至るまでの道中、当然、王都の生家はとうの昔に過ぎ去った後である。帰路の道程に生家を組み込んでも良いだろう、ヴィシルダはそう考えた。
星を見飽きたヴィシルダは草原を転がり、
これで全員……否。
「……はて、司祭は
この光景に唯一欠ける人物の姿を思い浮かべながら、ヴィシルダは起き上がる。気付けば残り僅かになっていた瓶底のワインを舐め、小高い丘を滑る様に降りた。途中、空瓶は投げ捨てた。
衣服から草を落としつつ、ヴィシルダは眼の前の侍従を呼び止める。
「おい、司祭は?」
「ニヴァーリ様は……先程『木の実を拾う』と言って、あちらの木々へ」
「小水か」
「護衛の申し出は“奇縁”を理由に断られたと聞き及んでおります」
ヴィシルダが嬉しそうな怪訝顔で頷くと、侍従は一礼を残して準備の輪へ加わった。「あちら」と指された木々を眺めていると、ヴィシルダの足は自然にそちらに向けて歩み出していた。ニヴァーリが彼の“縁者”であるから小便姿を覗きたくなった、という訳ではない。だが、何やら引っ掛かるものをヴィシルダは覚えたのだ。
忌憚なき歩が木々の間に踏み入った瞬間、周囲を緩やかに駆けていた風が止んだ。枝葉のざわめきが収まり、その結果、普段は耳に入る事なく消えてゆく筈の小音が、澄んだ空気を震わせる。
「……くっ、ふ……んっ」
聞き耳をたてるヴィシルダは、微かな衣摺れの音さえ立てぬ様、忍び歩きで音の発生源に向かった。
宛ら、民家に盗み入る賊の気分で高揚したが、すぐにそれが無駄である事に気付いてしまった。しかし、態々大きな音を立てて近付くのも、また滑稽である。ヴィシルダは普段そうする様に、ゆっくりと大股で歩いた。
「ふんっ、 ふっ、 ……ん! アレス様……」
幹の細い針葉樹の向こう側で、ニヴァーリはヴィシルダの方角に背を向け、腰を動かしていた。下は裸である。場違いな程に太い緑葉樹にしがみつき、根っこの辺りで“がさごそ”とやっているのだ。抱き付いている木には獣の爪痕が残り、彼方此方がささくれ立ちを見せている。
縁の動きで彼は察している筈である、情事の背中に立つ人物を。それでも、腰の動きは衰えを見せない。
「……うっ……」
幾許か続いた膠着の後、白濁した生命が地面と根っこに撒き散らされる。木の表皮と地に垂れた種は染み入り、何れ、花を咲かす事だろう。ニヴァーリは未来に広がる
強く擦り付け過ぎた所為で
「興味深い催しであった」
「見世物じゃねっスよ」
「フフ、然し、豪胆な……」
「小便、つったトコに来たのは王子っしょ。ヘンタイに気ぃ使う必要ないス」
「ククク……」
可笑しくて仕方がない、と言った様子で笑むヴィシルダは、顎で天幕の方角を指し、たったいま歩いた道を戻りだした。ニヴァーリは股間が痛むのか、何処か不自然な動きでそれに続く。
「ニヴァーリよ、あの大木はアレスか?」
「違うっスよ」
「では、アレスは
「知らねっス」
「フフフ……ハハハハハ!」
高笑いで木々の間から登場したヴィシルダを、侍従と兵の一同は気狂いを見る目で見た。
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