見晴らしの良い平原に仮設された粗末な天幕の内外を、侍従たちが食事の準備の為に忙しなく歩き回る。当初、彼らの表情の大半を占めていた王族に同行する緊張は薄らぎ、かわりに濃い疲労が覆っていた。

 そんな辛気臭い雰囲気をヴィシルダは嫌い、ワインを片手に天幕を抜け出す。裏手に隆起していた小高い丘の頂上に陣取り、胡座をかいて瓶に口を付けた。


 王都を発ったヴィシルダ一行は、二日間の強行軍でファート東端に位置する港までの道程を、半ば消化していた。曲りなりにも王家の嫡男ちゃくなんが率いているのだ。余裕を持たせた行程を考えていた護衛兵と随伴する侍従たちだったが、カイマンが急かし、ヴィシルダがそれに同調した事でこの様な強行軍と相成っていた。


 ほろ酔いのヴィシルダは、草の寝床に背を預け、頭上に広がっていた満天の星空を眺めた。今は季節の移り目。吹き抜ける風は冷たさを纏い始める時節である。透き通る様な天高い夜空に、ヴィシルダは手を伸ばした。揺れる指先は、戯れに覚えた星座をなぞってゆく。

 何とも懐かしい気分が溢れ出て、ヴィシルダを満たす。これは、生家ヘネットの家で幼き折、乳母に教わった知識。

 彼女は今、何をしているのだろうか、息災だろうか。

 王城に移り住んでから生家には寄り付かず、実父との会話も彼が登城した時に限った。生家は王都、それも王城近くにあるにも関わらず。

 ここに至るまでの道中、当然、王都の生家はとうの昔に過ぎ去った後である。帰路の道程に生家を組み込んでも良いだろう、ヴィシルダはそう考えた。


 星を見飽きたヴィシルダは草原を転がり、丘下おかしたの同行者たちを眺めた。四方八方に散った護衛の兵が交代で見張り、休憩中である筈の兵も侍従らと共に食事の準備を静かに、且つ急いで進めている。馬の世話をしている者も見える。その中心近くにカイマンが偉ぶって椅子に座り込み、その前でコーミュが右往左往しながら侍従と話し込んでいた。

 これで全員……否。


「……はて、司祭は何処いづこか」


 この光景に唯一欠ける人物の姿を思い浮かべながら、ヴィシルダは起き上がる。気付けば残り僅かになっていた瓶底のワインを舐め、小高い丘を滑る様に降りた。途中、空瓶は投げ捨てた。

 衣服から草を落としつつ、ヴィシルダは眼の前の侍従を呼び止める。


「おい、司祭は?」

「ニヴァーリ様は……先程『木の実を拾う』と言って、あちらの木々へ」

「小水か」

「護衛の申し出は“奇縁”を理由に断られたと聞き及んでおります」


 ヴィシルダが嬉しそうな怪訝顔で頷くと、侍従は一礼を残して準備の輪へ加わった。「あちら」と指された木々を眺めていると、ヴィシルダの足は自然にそちらに向けて歩み出していた。ニヴァーリが彼の“縁者”であるから小便姿を覗きたくなった、という訳ではない。だが、何やら引っ掛かるものをヴィシルダは覚えたのだ。


 忌憚なき歩が木々の間に踏み入った瞬間、周囲を緩やかに駆けていた風が止んだ。枝葉のざわめきが収まり、その結果、普段は耳に入る事なく消えてゆく筈の小音が、澄んだ空気を震わせる。


「……くっ、ふ……んっ」


 聞き耳をたてるヴィシルダは、微かな衣摺れの音さえ立てぬ様、忍び歩きで音の発生源に向かった。

 宛ら、民家に盗み入る賊の気分で高揚したが、すぐにそれが無駄である事に気付いてしまった。しかし、態々大きな音を立てて近付くのも、また滑稽である。ヴィシルダは普段そうする様に、ゆっくりと大股で歩いた。


「ふんっ、 ふっ、 ……ん! アレス様……」


 幹の細い針葉樹の向こう側で、ニヴァーリはヴィシルダの方角に背を向け、腰を動かしていた。下は裸である。場違いな程に太い緑葉樹にしがみつき、根っこの辺りで“がさごそ”とやっているのだ。抱き付いている木には獣の爪痕が残り、彼方此方がささくれ立ちを見せている。

 縁の動きで彼は察している筈である、情事の背中に立つ人物を。それでも、腰の動きは衰えを見せない。


「……うっ……」


 幾許か続いた膠着の後、白濁した生命が地面と根っこに撒き散らされる。木の表皮と地に垂れた種は染み入り、何れ、花を咲かす事だろう。ニヴァーリは未来に広がる花畑はなばたに笑みを深めた。

 強く擦り付け過ぎた所為でにわかに鮮血の滴る逸物イチモツを、ニヴァーリは司祭服の内側に納める。そして大きく息を吐き出し、胡乱げに振り向くと、対するヴィシルダも又、笑みで迎えた。


「興味深い催しであった」

「見世物じゃねっスよ」

「フフ、然し、豪胆な……」

「小便、つったトコに来たのは王子っしょ。ヘンタイに気ぃ使う必要ないス」

「ククク……」


 可笑しくて仕方がない、と言った様子で笑むヴィシルダは、顎で天幕の方角を指し、たったいま歩いた道を戻りだした。ニヴァーリは股間が痛むのか、何処か不自然な動きでそれに続く。


「ニヴァーリよ、あの大木はアレスか?」

「違うっスよ」

「では、アレスは未通女オボコか?」

「知らねっス」

「フフフ……ハハハハハ!」


 高笑いで木々の間から登場したヴィシルダを、侍従と兵の一同は気狂いを見る目で見た。

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