儀式

 掘削の開始から十三と半日が経過し、大きな事故もなく祭壇は無事完成。レイテは繁殖させた虫を野に放ち、残りは衣服の下に這わせた。


 黒の蠢きが取り除かれた祭壇の入り口には、掘削途中で持ち込まれた扉が設置され、ダリやリッティアのそれと同じ偽装がなされている。中は道こそ平坦なものの、壁は曲がりくねり、腰から身の丈ほども有る岩の幾つかは、そのまま放置されていた。曰く、硬い部分は避けた方が早い、だそうだ。


 暫くすると、ジャンミー教徒が予定通りに人目を忍んで、祭壇に集い始める。彼らが怪しげな混ぜ物を作り出すのを見ながら、レイテはリベッリから成功報酬を受け取った。

 中身を確認して、レイテは頬を緩ませる。


「暫くは教皇区に居る。出る時は伝えるから」


 そう言い残し、颯々と扉に手を掛けた華奢な肩を、リベッリは掴む。作業するジャンミー教徒が声の届かない場所にいるのを確認し、リベッリはレイテに何事か囁いた。

 聞き届けたレイテは怪訝そうな表情ながらも頷く。


「ふぅん、わかった」


 今度は止められること無く、レイテは祭壇から去った。静かに閉じられた扉をぼんやりと眺めるリベッリに、ジャンミー教徒の一人が声をかける。


「タクサス! 報酬を渡したのなら、お前も手伝ってくれ!」

「分かりました」


 『タクサス』とはリベッリの洗礼名である。リベッリは素直に混ぜ物を制作する輪に加わった。


 彼らが必死に作り上げようと汗水垂らしている“混ぜ物”とは、儀式に入用いりような『幻視の軟膏アローフィ・ロ・スカィラ』の事だ。


 調合法は以下の通り。


幻視の軟膏アローフィ・ロ・スカィラ』の調合法


・ジザーニャ

 道端や荒れ地に生える一年草の雑草。

 幻覚、陶酔感や高揚、反対に抑うつ。乱用すると脳障害を起こし、精神病症状、自殺傾向が生ずる。


・エンカロータ

 エンは「輪っか・円形」の意、カロータは食用の二年草。

 神経毒性の成分を含有がんゆうし、中枢神経に働きかける。

 この成分は小さな匙一杯ほどで致死する猛毒。

 致死量を摂取した場合は初めに興奮作用が生じた後、抑制。その後、末端部位から麻痺する。


・ヘナバイン

 多年草。

 幻覚、瞳孔散大、情動不安。

 人によっては、痙攣や嘔吐、運動失調に陥る。


・ワードマロウリ

 野菜として食用されるマロウリの仲間。一年草。

 ワードは「別の・もう一つの」という意味。

 催眠、鎮痛等の穏やかな向精神作用がある。


・リェモール

 多年草の植物。美味。


・ルゥナの実

 鎮痛、陶酔といった作用があり、高用量の摂取では昏睡や呼吸抑制により死に至る。


 これらを同量ずつ混ぜ合わせ、混ぜた物1に対し油15を加える。

 出来上がった混合物24につき1のスカィラを入れて完成だ。

(これを皮膚の薄い場所へ塗ると、呼吸中枢が過剰に抑制され、昏睡のままに窒息する危険性がある為、皮膚の厚い場所に塗ることを御祖師様フィクシーマは推奨している)


 作業も一段落ついた所で、人族の男神子フラミーが立ち上がった。


「皆! 神子フラミー諸君! 聞いてくれ!」


 彼はこの場で唯一の大司祭クァロムであり、この儀式を仕切る立場にある。その彼が急に立ち上がって注目を集めたので、皆、手を止めて続きの言葉を待つ。


「今回の儀式の成功を語るのはまだ早いが……儀式の立役者が一人いる!」


 祭壇内の視線が一斉にリベッリ――タクサスの方を向いた。この祭壇の場所、準備、それらに対するリベッリの貢献は、皆が知る所である。

 ニヤリと笑った大司祭クァロムが、お決まりの台詞を述べた。


「タクサスの位は、今この時より“小司祭ヴィズロム”だ! 祝福を!」


 先んじて大司祭クァロムの男が割れんばかりに手を叩けば、周りの神子フラミーも後に続いて拍手を始める。「ティーリア」、「ティーリア!」彼らは口々にそう叫びだす。この語は、ジャンミー教内で『おめでとう』だとか『祝福』を意味する用語だ。

 リベッリは平静と喜びを取り繕って、拍手に応えた。そこへ、大司祭クァロムがにこやかに尋ねる。


「今後の予定はどうなっているのかな? タクサス君」

「“餌”と“素体”は明日の昼頃までに到着する予定です」


 リベッリがそう伝えると、大司祭クァロムは大きく頷いた。餌、素体ともにアレス教の息が掛かった者を用意しており、内側からも攻める手筈。万事支障なく、滞りなく進んでいる。全ての決行は明日。


 その時、二人一組で当たらせていた見張りの片割れが、駆け足でやって来た。


「はぁ、はぁ……」


 彼女は息を荒げているが、それが疲労からくる物だけでは無い事は、喜色満面の表情を見ればわかった。


「はぁ、はぁ、……“ラィトリー”!」

「……ラィトリー?」


 “運命”。疑問符と共に復唱したリベッリだけでなく、その場の神子フラミー全員が意図を掴みかねていると、もう一人の見張りが一人の少女を連れてきた。騒がぬよう口に布切れを詰め込まれ、見張りの肩で藻掻く彼女の種族は『エルフ』であった。


 神子フラミーたちの口中に「ラィトリーだ!」「ラィトリー」「ラィトリー……」という譫言うわごとのような呟きが広がっていく。その面は怖気が走る程、燦々と輝いている。


 その中にあって、唯一、リベッリだけが焦燥感に苛まれていた。計画破綻の兆しである。ジャンミー教にアレス教の動きを悟られぬ様、神兵は突入の寸前まで普段通りの働きをさせているのだ。計画は明日の手筈。


 まかり間違って、儀式を決行されては全てが台無し、今はどうにかして儀式を引き伸ばすか、突入の合図をアレス教へ送らねばならない。リベッリは神性に浸る大司祭クァロムの説得にかかった。


大司祭クァロム様、餌がまだです。それに、生娘の生き血を確保できて――」


 その時、大司祭クァロムの目は狂気を帯びていた。


「この裏切り者を引っ捕らえろ!」

「な、なにをっ――!」


 その掛け声に従い、神子フラミーは一糸乱れぬ連携で、リベッリに掴みかかる。抵抗を見せたリベッリだが、数の暴力に打ちのめされ、即座に縛り上げられてしまった。膝をつくリベッリの髪を掴み上げ、大司祭クァロムは嘲るような笑みを浮かべる。


「気付かぬと思っていたのか? “リベッリ”……裏切り者め、アレス教の動きは全て筒抜けだ!」

「なんだと……!」

「貴様を処分し今夜中に運び込んだ餌と素体で儀式を、と計画していたが……。ラィトリー! 今すぐに敢行させてもらう」

「くっ……」


 地面を引き摺りながら奥へと連行されていったリベッリは、祭壇の最奥に広がる光景に目を見開いた。


「なっ……既に、儀式の陣が……」

「言ったであろう、今夜中に儀式を行う予定だったとな。おい、アレス教徒の御客人に儀式の見物をさせてやろうじゃないか」


 その言葉を受け、リベッリは餌を拘束する為に用意した器具に縛り付けられた。

 大方、餌にするつもりなのだろう、とリベッリは当たりをつけた。


 手首足首に伝わる器具の冷たさが、リベッリの心中に無力感を生み出していく。当て付けのように彼らを睨み付けるリベッリだったが、彼らは既に儀式の準備に取り掛かり、餌の方には目もくれない。その事が、更にリベッリの無力感を助長させた。


 儀式の準備は速やか、つ着実に進んでいく。


 祝福を施されまじないを掛けたつるぎ、同じく裁鋏、しもべの元となる素体、それらを取り囲む“聖碑”に記されていた儀式の陣、生娘の血……。


「んむ――! ん――!」


 陣の中心に配置された台の上で、少女は身動ぎをするが、がっちりと縛り固められた縄から抜け出すことは出来ない。


 やがて、バラバラになって準備を進めていた神子フラミーが陣の中に入っていく。彼らは幻視の軟膏アローフィ・ロ・スカィラを適量手に取り、首元に塗りたくった。


 儀式の幕開けは血腥い行程と共になされる。


 女性の神子フラミーが台に登り、少女の上に跨った。間髪入れずに大司祭クァロムが儀式剣を突き出し、彼女の胸から剣先が覗いた。


 恐らく処女だったのだろう彼女の、波々溢れる血潮が少女にかかり、台から滴り落ちた。その流血の勢いは、最奥に作られた空間の床全体を覆うかに思われたが、不思議な事に、血は陣の中心に描かれた小円の線上で視えない壁にぶつかり、留まる。


 事切れた女性の神子フラミーには目もくれず、神子フラミーたちは台を円形に囲んで“聖碑”に遺された古代文字の呪文を唱え始める。


csfyjzu, cpsp fmpijzn, fu ibyׂpnbzjn, wfu ippsfd

《神は永久とわの虚無に腰掛けた》


wippsfd, ipzupi upiw wpcpiw, wipyfl, bmqofz uiwpn wswib fmpijzn, nsbifqfu bmqofz ibnpzjn

《虚無は地となり、息吹は天となった。だが、虚無の残滓ざんしは深く地に食い、底知れぬ闇となって跋扈ばっこしていた》


wbzpnfs fmpijzn, zijz wps wbzijzwps

《神は天より清籟せいらいを遣わす》


wbzbs fmpijzn fuipwps, ljzUwpc wbzbcefm fmpijzn, cfzo ipwps wcfzo ibipyfl

《虚無は舞い上がり、清籟と共に神の頭上へ昇った》


wbzjrsp fmpijzn mpwps zwpn, wmbipyfl rpsp mpzmpi wbzijz

《神は清籟の光を昼とし、虚無の闇を夜とした》


fsfc wbzijzcprfs, zwpn fipe

《創生の序開》


 呪文の50節目に差し掛かった頃、祭壇の最奥にはある変化が起こり始める。選ばれし者、アレス教においては『アレスの祝福を受けた者』以外には不可視とされる“縁”が、徐々に、だが確実にその姿を現し始めたのだ。


 ――うつつが夢に近付いている――


 ジャンミー教が讃える神秘の一端に触れ、呪文を唱える声にも否応なしに力がこもる。神子フラミーたちは全身の血の巡りが加速し、沸き立つような感覚を覚えていた。


 それは、蚊帳の外から見物するリベッリもまた……。


 呪文の250節目、縁は彼らの目にはっきりと映っている。儀式がさらなる絶頂の段階を迎えるに際して、大司祭クァロムの男は裁鋏を取り出した。儀式の冒頭で女神子フラミーを刺し殺した剣と同様、祝福とまじないを施された裁鋏だ。


 大司祭クァロムの男は自らに纏わり付く縁を、ちょきん、と切り離した。切り離された縁は、死んだ時にそうなる、と緑眼の者から伝え聞くように、空中にフラフラと漂っていた。


 裁鋏が右隣に座り、呪文を唱える獣人の男神子フラミーに渡る。彼も大司祭クァロムならい、神より下賜された自らの縁二本を、ちょきん、と切り離した。裁鋏は更に右隣の者へ。


 500節目、緩々と回された裁鋏が一周を終えた頃、儀式の陣の上空には数えきれない程の縁たちが棚引いていた。


 リベッリは子供の様に目を輝かせて、拘束された身を乗り出した。

 瞬間、薄暗い祭壇は身を焦がす様な、まばゆい光に包まれた。

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