三巡目のプロローグ その2

 ――以上の事から、アレス教の崇める『アレス』を始めとして、アルスリア地方の諸種族が信仰していた神は同一、とする説が現在は主流である。


 知的生命の根幹には、絶対的な存在ものに縋るさがでもあるというのか。しかし、一度視点をアルスリア地方から離し、地図を俯瞰して指折り数えれば、多くの地域では多神教が優勢であり、『縁』という概念はそもそも存在すらしてしない。「『縁』とはアルスリア地方特有の集団幻覚なのでは?」神学者の中にはそんな見解を示す者までいる始末。

 それでも、私にはローレリアやファートの時代が全くの虚構とは思えないのだ。

 何故なら、私の緑眼りょくがんには――


 ――病葉わくらばの邂逅録 より





 白塗屋根が映える教皇区の空に、祝福の鐘が鳴り響いた。また一人、縁に寄り添い結ばれた幸運を、天に臥せるアレスへ謝辞と共に告げる鐘である。

 現代金物技術の粋を尽くした鐘は、その音色を聞いた者に神聖つ厳粛な感情を抱かせる。その為、なのだろう。教皇区がファートとローレリアを結ぶ唯一無二の連絡路を担いながらも、治安の悪化が見られないのは。


 但し、鐘に共鳴する感情は、事アレス教徒に限った話であり、異教の者も同様の感情を抱くとは限らない。アルスリア地方全体から見れば、少数派のいち。無精髭を蓄えた野性味溢れる風貌の男は、恨み節を憚らず白塗の大鐘楼を睨み上げた。


「なんと、忌まわしき鐘のよ……。ふっ、だがそれも最早これまで。レイテ」

「……」


 レイテと呼ばれた獣人の少女は、尚も響く鐘にも男にも反応を見せない。全身にゆとりを持たせた布で四足を覆い、その裾を地面に擦り付けながら木の根っこに座り込み、じっ、と地面を眺めている。視線の先を男が追うと、そこには小さな虫達が地を這い、行列をなしていた。


 虫達は線となり、それが一本、二本と絶えず動き回っている。レイテはその様を観察していたのだ。引っ切り無しに続く往来に、レイテは懐から取り出した別種の虫の死骸をそっと置いた。


 唐突に表れた賽の石。異物を前に虫達は一時の混乱を見せる。しかし、レイテの衣服の下から、ちりん、と鈴の音が鳴ると、勢いよく群がっていった。

 レイテは微笑み、男は眉根に皺を寄せる。


「なに、気色の悪い遊びをしているのだ」

「遊びじゃない。これは『命の輪』」

「輪?」

「虚しかろうともせいの末、成り果てたるがかばねかな。うつろりとて無為ならず、生きとし生けるもの、『生命の循環』、『輪』」

「あぁ……はいはい、それより今回の報酬。何時も通り前払いの半分だ」


 男はレイテの話を打ち切り、懐から小さな麻袋を取り出した。レイテも慣れた様子でそれを受け取る。レイテはジャンミーの教徒ではない。だが、人と人との間にある引力に寄り従い、こうして度々依頼を受ける事があった。


 口紐を緩めてざっと中身を見分するが、その額に不満は抱かなかった。それどころかこれまでの依頼と比べれば随分と過大な報酬にも思える。

 レイテの疑心を察したかの様に、男は語りだす。


「今回は教皇区近くに穴を掘ってもらう。今回はジャンミー教アルスリア支部の威信をかけた一大――」

「ジャンミーの話に興味はない。別にお金さえ貰えれば、何でもいい」

「兎に角、レイテ、お前には世話になっているから、祝儀みたいなものだ」

「……『祝儀』ってアレス教の概念じゃないの」

「細かい事言わすな! 例えだ、例え」


 レイテの脳裏に、ふと、ちっぽけな疑念が頭をもたげる。

 ……こいつら、てっきりそういう言葉には敏感だと思っていたが……。今日が初対面となる、この“リベッリ”とかいう男、アレス教から改宗した口なのだろうか、その癖が出たとか……。


 ……考えてもみれば、人族のジャンミー教徒は大概そうだろうな……。


 一人納得するレイテにリベッリは羊皮紙を差し出した。記されていたのは今回穴を掘る予定地である。内容を把握したレイテが羊皮紙を袖下に引き込んで処理すると、二人は示し合わせた様に道を別れた。別々の個を装い検問を通過したのち、予定地にて落ち合う手筈だ。


 教皇区を囲う城壁の北方、沿岸の波に削られえる事で形成された海食崖が、その予定地である。崖下の白波が飛沫を上げる岩場にレイテが辿り着いた時、既にリベッリは待ち草臥くたびれており、暇そうに足元に突き出た岩を蹴飛ばしていた。


「遅かったじゃないか。迷ったか?」

「子供一人だから検問に引っかかった」

「……握らせればいいだろう」

「そんな金は無い」


 レイテは歩み寄りながら、リベッリの身なりを観察した。教皇区の検問を突破する際に司祭に格好を取ったのか、あれだけ伸ばしていた無精髭と頭髪を確り整えていた。


「リベッリは司祭証明を偽造してるんだっけ、『保護』とか何とか言って一緒に出てくれれば良かったのに……」


 髭を剃り、服装を変えた姿は、まるで本物の司祭の様にも見える。


「こっちにも事情がある。そんな事より――」


 リベッリは岩壁の一部を指差した。


「この辺りにやってくれ。前のとは大分材質が違うらしいが……いけるか?」


 岩壁にレイテが歩み寄り、すっと右手を差し伸べる。そして、左手の鈴を、ちりん、と鳴らした。その音は、教皇区の鐘の音に比べれば小さく、頼りない音色だったが、レイテの意思表示にはこれで十分だった。

 次の瞬間、袖先から覗く右手は瞬く間に艷やかな黒に染め上げられた。艷やか……且つ、脂ぎってもいる黒は忽ち右手を伝って岸壁に広がり、レイテの視界を埋め尽くした。


 その正体は――“虫”、『セッチリ(セツチリ)』の名を冠するこの虫は、獣人の言葉で『足の親指』の意味しており、成虫になると足の親指ほどの大きさに育つ為、そう名付けられた。


 すっかり黒に染まった岸壁を、リベッリは見つめる。ぎゅっ、と顰めた眉下の目は、嫌悪を通り越し哀憫の情すら伺える。壁に群がるセッチリはイーテの影響下にあるらしく、せこせこと土を削っては何処かに運んでいく。


 これを人手に鶴嘴つるはしでこなそうと思えば、頭数をある程度揃えねばならないし、そうなると半ばで計画が露呈してしまう危険性が飛躍的に上がる。

 その点、レイテに任せれば殆どの問題は解決する。大掛かりな土木工事の必要ない彼女は、人目を憚るジャンミー教にとって欠かせない繋がりであり、他教徒に排他的な風潮の強い中で、唯一の例外的な立場にいた。


 レイテは接吻でもするか様に、黒壁に顔を近付ける。


「大丈夫、かかる時間もさして変わらない。十日から十五日ぐらい」

「ふむ、そうか」

「……?」


 レイテは想定より無感動なリベッリの態度を不審がった。前に話したジャンミー教徒たちは、大袈裟にも喜びと陶酔を見せたものだ。何やら考え込んでいる様子であるから、きっと別の計画でも練っているのだろう。


「話は終わり?」

「ん? ん……うん」


 レイテが声を掛けたが、リベッリは目を瞑って生返事を返す。怪訝そうな目でレイテがその様を見詰めていると、リベッリは急に目を見開いた。


「この場所は潮が満ちても沈みはしないから安心してくれ。足ぐらいは濡れるかも知れんがな。後は――これを見てくれ」


 リベッリが取り出したのは、先程とは別の羊皮紙だった。


「地図上の地点へ、商人に偽装した神子フラミーが毎日食料を運ぶ。前は現地の神子フラミーにやらせていたらしいが、今回は教皇区そばだからな」


 他に何か質問はあるか? との問いに、レイテは「ない」と答えた。これで本当に話は終わりかな、そう思ったレイテは虫達へ向き直ったが、リベッリは未だその場を動かずにいた。


「これも渡しておく」


 そう言って取り出したのは、丁寧に蝋紙で包装された文書と思しき薄い長方形だった。文書に印璽いんじが施されているのを見て、レイテは懐をまさぐる。


「ジャンミー教の紋章ならもう持ってるよ。ほら」


 レイテは首に下げていたブローチを、服の下から覗かせた。ジャンミー教の紋章は見せるだけで神子フラミーに口利きできる便利な代物で、ジャンミー教徒なら喉から手が出る程欲しいものである。

 レイテはその貢献から特別に与えられていた。だが、リベッリは静かに首を横に振る。


「……いや、違う」


 何やら含みのある言葉だった。

 頻りに疑問符を飛ばすレイテだったが、手渡された文書の裏表を頻りに見回してみれば、確かにこれはジャンミー教とは別の印璽いんじである。


「何時か役立つかも知れん」


 リベッリはそう言い残すとすたこらと去っていく。

 レイテの心は、ただひたすら困惑の中にあったが、ひとまずそれは捨て置くとした。文書を服の中で蠢くセッチリたちに渡して仕舞い込むと、また目の前の黒壁に向き直る。


 ちりん、ちりん、と鈴が鳴る。

 絶えず気色の悪い虫が蠢く様は、常人なら発狂しかねない光景だ。

 しかし、レイテの目には、恍惚まじりの好奇心。


 そして――確かな興奮があった。

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