戦勝報告

 王城中層、謁見の間に向かい合う一組の父子あり。一方は座し、一方は恭しくも傅きて木組みの箱を差し出す。その様を数人の正規兵が微動だにせず見守り、後方からはアレス教の大司祭が立ち会った。


 がた……がた……。子の隣に添えられた木製の直方体は、時折、思い出したようにそう鳴らす。ヴィシルダは朗々と、吟ずるように申し上げた。


これなるは『悪魔の使い』その素っ首」

「ヴィシルダ、それは……」

「火に耐えうる性質は表皮のみ。首下の肉は焼き払い、灰に。燃え残った表皮は何かに、と運ばせました。しかし、この世に首のみを取り残されて尚、此奴こやつは死線の淵を掴んで離さぬのです。今、ご覧に入れましょう!」

「ま、待て……!」


 王の制止も構わず、ヴィシルダは木組みの箱の王側にあたる一側面を外した。突然の暴挙。周囲の者は皆、身体を竦ませ、その喉奥から「ひっ」と声を漏らす。悪魔の使いが、首を落とされた後にも躍動し『居合わせた帝国騎士の右脚を食い千切った』という報告は、彼らの耳にも当然入っている。


 謁見の間を直走る緊張の中。王たる者が持ち合わせた資質なのだろう、王だけは身を竦ませるに留まらず、その手を腰の儀礼用長剣に添えていた。


 幸運にも、その手は不発に終わる。

 “それ”は生きていた。……だが、それだけであった。


 王に向けられた側面から覗いたのは、柔い敷物の上に鎮座する暴虐的な頭部であった。成程悪魔じみている、と王は感じたが、跳ね回りそうな気配は微塵も感じない。悪魔の使いは、後頭部に残る痛々しい傷跡を、ピクピク、と痙攣させているだけだった。

 鉄釘を用いずに作られた木箱をヴィシルダは次々と解体していく。その過程で、素っ首が後ろ向きになっている失態に気付いた。


「はて、入れた時は確かに此方こちら側だった筈……御無礼!」


 がしっ、と鷲掴み、ヴィシルダは首を勢い良く反転させる。あまりの勢いに、未だ頭部に留まっていたのか血飛沫が舞い、王の後方に控えていた大司祭は口元を抑えた。目に映る姿形より、沸き立つようななまぐささが鼻の奥に染みて来る。


 正面に座して見る王の心中も、また同様に愉快な物ではなかったが、注視していたのは別の場所だった。眼前に笑う子の、その眼。こんなにも狂気に満ちていただろうか……。現世の全てを呪うが如く、虚ろに天上を睨みあげる首も、ヴィシルダの狂気を前に意識からは外れ、王は唯、気圧されていた。


「悪魔の使いの素っ首――如何!」


 周囲の反応の無さを訝しみ、ヴィシルダは見せ付ける様に首を掲げてみせる。

 手に伝う血潮を顧みず、妖しく微笑むだけの彼を、その場の誰もが恐れた。


「ヴィシルダ、もう良い……。それは間違いなく『悪魔の使い』だろう。リザードマン等とは、似ても似つかぬ。此度の討伐見事であった」

「ははぁ……」


 ヴィシルダは畏まって伏せ、首を箱に仕舞い込んだ。心中に溢れる負の感情から、王はここで先手を決意する。他に口を挟ませず、拙速をもって大勢を決する時、皆が身を竦ませる、今だからこそ。

 王は刃物の様な鋭さを持って切り出した。


「首は教皇区に安置しよう」

「……ぇっ!」


 後方の大司祭から小さく声が漏れる。嫌な展開、その流れに大司祭は恐れ慄く。――まさか、私に押し付ける気か――堪らず意見しようと乗り出した足を、王は猛禽類を想わせる視線で牽制し、縫い付ける。


「教皇区に?」


 木箱を布で包みながら、ヴィシルダはその真意を尋ねる。

 待っていましたとばかりに、王は続けた。


「文献にしか存在せぬ“それ”に、アレス教の皆々様は随分と興味津々のご様子でな。きっと、検分でもするのであろう」

「……で、あれば……その様に」


 納得したヴィシルダは布で拵えた上部の持ち手を掴み、大司祭につかつかと歩み寄った。そして、ぐいっ、とぞんざいにも見える仕草で大司祭へ手渡す。これに困ったのは大司祭だ。血の滲む持ち手を握る勇など無く、大司祭は下部から抱え上げる様に受け取った。哀れ、大司祭は時折箱が、がたっ、と鳴らす度にその身をビクつかせるだけの置物と化した。


 体良く血腥い物をアレス教に押し付け、一大事を乗り切った。王は額に流れる汗を拭い、今度は王都での出来事を報告し始める。


「実は、此方にも報告すべきことがあってな。これは教皇直々の申し出なのだが……。我が国とカルーニアに国交を樹立して欲しいのだという。我が国よりも彼の国の反発を予想したのだが、どうやら意欲的らしい」


 ヴィシルダは王の態度が弛緩した事を感じ、あまり畏まらずに答える。


「間者によれば『彼の国は大陸にて孤立無援』と。大方、痩せ地に耐えかねたのでしょう。何かと口実を付けて援助を迫られるだけでは?」


 ヴィシルダの予測は見事的中しており、そっくりそのままその通りであった。カルーニア政府としても民草の反発を警戒して保留していたのだが、若者を中心に新時代の思想が広まるのを見留めて、決断に乗り出した。

 痩せ地の上、魚も大して取れぬカルーニアだが、切れる札は持ち合わせている。


 それは――『塩』


 入植時には苦しめられた塩も、今となっては大切な資源として数えられていた。カルーニアは塩田を彼方此方に作り、何時でも量産できる態勢を整えている。


 これは、ファートの王国の台所事情を顧みた結果である。ファートは国内では大した量の塩が生産できず、消費される塩の殆どを国外からの輸入に頼っていた。ここにカルーニアが割って入ろうという魂胆なのだ。


 それに『孤立無援』とは言っても、徐々に……本当に徐々にだが、大陸の他国とも関係を築き始めている。行く行くはアルスリア地方と大陸を結ぶ、中継地点としての立ち位置を狙っているのだ。


「まぁ、そう言うな。教皇直々の頼み、カルーニアの話ぐらいは聞いてやるつもりでいる。それで、使者を出そうとお前の実父と相談したのだが――」

おれに」


 食い気味に申し出たヴィシルダの胸中には、強い確信があった。これこそが多縁たる所以、引力に寄るものであると。

――間違いなく、引き合っている――ガロアたちは帝国に帰れず、かと言って王国に留まってもいれない、となれば海を越えてカルーニアを目指す選択は、想像していた一つでもある。


 なればこそ……これこそが天命。これこそが縁の意志。ヴィシルダの念ははや盲信の域に至り、彼の目に狂気の炎を爛々と燈す導因であった。


 いざ、カルーニアへ。そう意気込むヴィシルダの狂気を一身に浴び、王は頷く他なかった。王の頷きを見留たヴィシルダは妖美な笑みを浮かべた。厳粛たる概念そのものを踏み付ける様に、ヴィシルダは高笑いを上げながら退室する。


 笑声は謁見の間に反響し、暫く消え入る事は無かった。

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