脱遁

 からっぽになってしまった眼窩を抑えてのたうちまわるカイマンに、コーミュが駆け寄っていく。

 危なげ無くも勝利を収めたウォーフに、気を抜く暇はない。


「御見事!」


 ヴィシルダは敵の戦果を称え上げながら、鎖を引き上げた。


 ジャラララララ!


 闇夜に擦れ合う金属音が響いた。

 引き絞られた鎖はその中心に立つウォーフを巻き込んで絡む。


「ぐっ……!」


 この鎖は剣戟の裏でヴィシルダが静かに伸ばしていたのだ。

 転倒の衝撃で自動的に発現した奇縁がウォーフの身体を一瞬だけ硬直させた。


「その奇縁、打も斬も衝撃も通さぬとは、まさに神の御業という言葉が相応しい。だがしかし!」


 鎖で固められ、宛ら蛹のようになったウォーフの首に、絞首の鎖が掛けられる。


「縛り首ならどうだ!?」


 緩慢、且つ優しく……正しく女人の髪を撫でるように、ヴィシルダは鎖を引き絞っていく。


 ……衝撃が呼び水なのだろう……?


 擦れ合う鎖が発する僅かな金属音が、迫る執行時刻を刻々と伝える。

 ウォーフの奇縁は発現しない。


 喉に、頸動脈に、頚椎に、冷たい鎖の感触が押し当てられて行く……。


「――ね!」


 最期の締めに至り、ヴィシルダは思い切り締め上げようと腕に力を込めた。

 しかし、鎖が締め上げられることはなかった。


 一つの乱入者が風切り音を伴って闇夜を切り裂いて走る。


「――鏑矢か!? 松明!」


 投擲、或いは発射された松明は、この暗闇において果たして偶然か、ヴィシルダの立つ直ぐ側に着弾した。


 風切り音に跳ね上げられたヴィシルダの視界には、疾走する馬二頭に引かれた馬車が迫ってきている。


 その後方にも馬車は幾つか続いている。

 先頭の御者は――ミネア=ポーリス。


 ミネアの後ろで松明を掲げるガロアの姿を捉えたヴィシルダは、膨らんでいた戦意が急激に萎え萎む感覚を覚えていた。


 ……ウォーフはともかく、おれが馬に蹴られれば無事では済むまい……。


 ヴィシルダは突っ込んで来る馬車を憎々しげに睨みながら闇に紛れた。


「あの蓑虫! 傭兵だ! びしゃびしゃ! 拾え!」

「えぇ~」


 ビジャルアが嫌々触手を伸ばすが、触手が届く前にウォーフに絡み付いた鎖が消失する。


 どうせ、ハンナに斬られるのだからとヴィシルダが仕舞い込んだのだ。

 自由を返却されたウォーフはビジャルアの手を借りるまでもなく、自らの足で馬車に飛び乗った。


「ふぅ……」


 暗がりを突っ切る馬車の集団は、先頭を追って一路裏門を目指す。

 ウォーフは後ろから迫る馬車の集団に緊張を維持しながら礼を言った。


「……助かった。ガロア、ありがとよ」

「俺は何もしてないよ」


 その礼に血塗れのハンナが甚だ心外だとケチを付ける。


「おいおい、馬と馬車を調達してきたのは私だぞ。それに対する礼はどうした?」

「チッ、……ありがとよ」


 ウォーフは壁にもたれてぶっきら棒にそう言った。


「しかし、良いタイミングだったな。1階の食堂とあの部屋は結構離れてた気がするが」

「それがハンナ達も襲われてたみたいで、道中でかち合ったんだ」

「血はその時のやつか」

「私の手配書が王国にも出回っていたらしい。いやはや、虚を突かれたよ。だが、突入してきた兵士共に一番驚いていたのは、ハイケスの領主だったがな」

「大変だったのです」

「ふぅん」

「あ、おい!」


 突然の大声は水音と共にミネアの服から上がった。

 ミネアは擽ったそうに顔を歪めて尋ねる。


「なんなのですか」

「門が閉まってるぞ! 止めたら追い付かれて面倒だ!」


 遠目に見える松明の明かりで照らされた両開きの裏門には、鉄のかんぬきが横たわっている。

 このままでは激突してしまうが、ミネアは気にせず馬の尻を引っ叩いた。


「びしゃびしゃ、開けてくるのです」

「無理だよ!」


 そうこうしている内にも門は迫っている。

 すると、御者台にハンナが顔を出した。


「では、私が行こう。ビジャルア、といったかな。私を投げてくれよ。化物の時にやってくれただろう?」

「えっ」

「お姉様が投げろ! っつってんだから、さっさと投げろや!」

「……うっす」


 擬態を解いたビジャルアはハンナの足元に潜り込む。

 ハンナの全身を掴み、体積を用いて前方に押し投げた。


 衝撃で御者台が破壊され、馬車全体が、がくん、と大きく揺れる。

 この投擲によって、ハンナには火薬の爆発に押し出された鉛玉のような勢いが付与された。


 これには堪らずミネアが文句をつける。


「どんだけ強く投げてんだよゲロ水! 門にぶつかるだろうが! 前に落としゃいいだろ!」

「う~ん、大丈夫でしょ」


 ビジャルアの投槍にも映る信頼に応えるかの様に、空を切り裂いて飛ぶハンナは微塵の動揺も見せていなかった。


 空中で冷静に姿勢を整えると、門に隔たる閂を蹴り飛ばした。

 松明の火を浴びて、足先がキラリと黒光る。


「うおっ!」

「なんだ!?」


 突如として飛来した人影に両開きの大きな門が蹴破られ、うたた寝していた見張りの兵たちが腰を抜かす。

 ハンナの勢いはそれでも止まらず、門を少し通り過ぎた所でようやく止まった。


「びしゃびしゃ!」

「はいはい」


 腰を抜かした兵たちを尻目に、開かれた門へ向けて馬車が殺到する。

 凱旋の喧騒は大通りに集まっている為か、裏門の先には人っ子一人見当たらない。


 伸ばされた触手の手を借りて飛び乗ったハンナは、息を吐き出しながら今後の展望について切り出した。


「ふぅ……。さて、どうする? このまま南進すると、ロア山脈にぶち当たってしまうぞ」

「お前らは全員帝国の人間だろ? 俺が御者をやる。ちびっ子、かわれ」

「殺すぞ」


 物騒な言葉を吐きつつも、ミネアはすっと身を引いた。

 ウォーフは手綱を握ると即座に路地を左へ、進路を東に取る。

 迷いなく決められた進路の行末を疑問に思い、ガロアは尋ねた。


「ねぇ、ウォーフ。どこに向かうの?」

「王国からも帝国からも追われるならよぉ、そのどちらでもない場所に行くしかないだろ?」

「それって……」



「カルーニアだ」

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