合縁奇縁 その1

 山と山の隙間を無理矢理均した様な小さな盆地。そこに点々と建ち並ぶ家の群を、人々は古くからアンリと呼んだ。


 アンリ――ガロア達の目指した終着点には不気味な静けさが満ちている。


「活気のねぇ村だなぁ~」

「田舎なんてこんなもんだよ」

「だが、化物は来てねぇようだぜ。ないからな」


 ウォーフはそう言ってガロアの鼻をつついた。


 閉鎖的な場に活気は生まれない。人の出入りは燃料なのだ。それが一切ない田舎の村には、ただ流れ行く時間が存在するだけ。


 悠長に言葉をかわす二人に、ハンナがもう待ち切れないといった様子で催促する。


「ガロア、先に取りに行かないか?」

「……うん、そうしようか」


 ハンナの意を汲んで、一行は村に入る前に財宝を回収する事にした。紙切れを持ち出して眺める。アンリの北東辺り……。


 ガロアの予想に反して意外にもそれは存在し、かつあっさりと見つける事ができた。


「この墓……だと思う」


 そこにあったのは粗雑な墓だった。ガロアは墓に偽装した親父の感性を疑ったが、考えてみればこんな辺境の墓など誰も暴かないだろうし、合理的ではあるのかもしれない。


 ガロア達は顔を見合わせてから掘り始めた。


「なんだかな。死体が出てきそうで嫌だぜ」

「そうなったら、謝罪する他ないだろう」

「死体にかァ?」

「……ははは」


 順調に膝丈まで掘り進んだところで、ガロアの持つ棒が何かを叩く。手で物体の土を少し払えば、出てきたのは土中の石ではなかった。


「……本当にあった……」

「おお、死体じゃなくて良かったぜ」


 ガロアは結局最後まで存在を疑っていたらしい。


 掘りだしてみればそれは小さな箱だった。飾り気もなく、ガロアが両手で持って少し手に余る程の、ほんとうに小さな物。


 ガロアは不思議と、その箱に吸い込まれるような引力を感じていた。


「鍵、はないな。箱自体に価値がある高級品という訳でもないようだ。ガロア、開けてみたらどうだ?」


 ハンナが早く早くと急かす。どうせ大した物なんて入ってないさと、ガロアが投げやりな気持ちで開けようとした、その時だ。


 ガロアは胃の根っこを鷲掴みにされた様な感覚に襲われた。冷や汗が背を伝っていくのが分かる。


「――それをこっちに渡してもらおうか」


 しわがれた声が、無遠慮にも投げ掛けられる。それはまるで地の底から響いている……、そんな声だった。


 ウォーフも全身に降りかかる重圧を感じながら振り向く。


「な、何……これは、ガロアの――ッ!」


 そこにいたのは『異形』――であった。辛うじて四肢と頭の存在を確認出来たために、人型と分別できる。


 異形は全身が鎧の様な鱗で覆われ、身体の末端に行くにつれて暴虐性が増していく造形をしていた。


 完璧にデザインされた異形。唯一、両足だけは輪郭が歪みきり、身動き一つとるごとに軋みを上げている。


「渡せ」

「ば、化物が言葉を解すとはなぁ……。俺たちを襲った時も話し合いで解決して欲しかったぜ」


 ウォーフが気丈に振る舞うが、その身体はガロアのそれと同じ種類の震えを帯びている。


 カチ……カチ……。


 ガロアは微かに響く小さな衝突音に気付き、次いでそれが自分の歯が鳴らす物と気付いた。


 渡す。


 たったそれだけ、それだけの一言をガロアは言うことが出来ない。ガロア達は化物の発する恐怖に完全に呑まれていた。


 ただ、一人を除いて。


「――ハ、ハンナ」


 恐怖に縮みあがるガロアの喉から、その名が零れ出た。「何をやっているんだ」という次の句は喉に留まる。


 そんなガロアの心情をウォーフが代弁するように叫び上げる。


「お、おい! 不用意に近付くな!」


 ハンナは構えもしない。そのまま悠然と歩み出て、化物の前に立ち塞がった。腰に手をあて、平静なよそおいの中にその口を開かせる。


「お前は鞘だと思うか?」


 ……唖然。ガロアとウォーフにこの狂人の心中を察することは出来なかった。


 化物までもが虚を突かれたのか、沈黙が流れる。しかし、その沈黙は泡沫の如く破られた。


「……邪魔だ」


 言うが早いか化物の左腕がぶれ、残像と化した。


 繰り出したのは恐らく左腕の刺突。『恐らく』と表現したのは、その場に居合わせた誰の目も、はっきりとした動きを捉えられなかったからだ。


 ゴポッ。


 ハンナの背から暴虐極まる腕先が飛び出す。吐血。腹に大穴を開けられた所為で血管から脱した血液は、食道を逆流して口中にたまり、忽ちに溢れ出た。


「ハンナ!」


 ガロアの脳裏に出会った日の光景が閃く。腥い、血と内容物の気配。


「グォ……」


 しかし、ダメージを負ったのはハンナだけではなかった。化物もまた、痛みに呻く。


 しゃがれた呻きの原因は突き刺した左腕、その腕先にある。


 背から覗く腕先がはぱっくりと二つに割れており、ハンナが体の前に挟み込んだ手には黒の大剣が握られていた。


 ハンナは直前になって大剣を発現させていたのだ。


「うおおおおお!」


 横合いから割り込むように、ウォーフが剣を携えて躍り出る。


「逃げろ! ガロア!」

「ま、待って! 渡す! 渡すから――」


 ガロアの目の前を人影が横切る。化物は右腕を振り切っていた。そこに、ウォーフの姿はすでに無い。


「ウォ、ウォーフ……」


 化物は左手に突き刺したままだったハンナを投げ飛ばし、ゆっくり、ゆっくりと両足を引き摺りながらガロアに歩み寄る。


 ガロアの震えは遂に足の力をも奪い、地面にへたり込んだ。化物はそんな様子を見咎める。


「動くな。震えを止めろ、落とすなよ。壊れたら事だ」


 ――クソ! こんな箱!


 こんな薄汚い箱の所為でこうなったんだ! ガロアがやけくそ気味に渡そうとしたとき、急に化物が狼狽え始める。


「おい! 動くなと言っただろ! 何故開けている!」

「……ぇ」


 喉が疑問符を発してから脳に疑問が浮かぶ。恐怖の所為でガロアの体と頭はすっかり連携を失ってしまった様だった。


 ガロアが視線を徐々に、徐々に下へと移していくと……、自分の両手が勝手に箱を……


「開け、あ、開けて……」


 化物は引き摺っていた足を軋ませて、巨体を前進させる。しかし、それを遥かに凌駕する速さで、ガロアは箱の中の――


 二つの眼球を掴んでいた。

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