合縁奇縁 その2

 無意識にガロアを庇ったウォーフは、吹き飛ばされながらも未だ意識を保っていた。


 背に衝撃が走る。ひとつ、ふたつと木をへし折り、そして唐突に表れた柔い感触に受け止められ、ウォーフの体は静止した。


 腕は――まだ動いた。剣も握りしめたままだ。


 無事な腕で殴られた腹回りを確かめるが、ハンナのように臓物は飛び出てはいなかった。それどころか、血の一滴さえ……。


「アンタ! 途轍もなく頑丈だな! 鉄で出来てんのか?」

「黙るのです……お姉様の仇は必ず討つ……」

「うーん、止めといた方が良いって」

「黙れ。本命を失いたくなければ協力しろ」


 ウォーフが服を捲り上げてみると、そこには化物のそれにも似た鱗状の鎧が覆っていた。


 鎧は軽く小突くと甲高い声を返してくる。どうやらこれのお陰で助かったようだ。


「ありがとよ、受け止めてくれて――って居ない?」


 腹の無事を確認して安堵し受け止めてくれた彼女らに振り向くも、そこには誰の姿もなかった。


 しかし、疑問を呈し切る前に叫び声が耳を割く。


「があああああああああ!」

「ガロアッ!」


 ガロアの叫び声だ。ウォーフはそれを認識した瞬間には無鉄砲に走り出していた。


 一方、別の方向へ投げ飛ばされたハンナは、腹の穴も浮遊感も一切関知せず、どこか上の空だった。


 最初の一撃は左腕による刺突。その左腕の動きをハンナは全く視認できていなかった。


 剣をすんでの所で突き出せたのは、化物の予備動作から動きを予見していたからで、動き出してからでは防げなかった。


「……防げては、いないな」


 ハンナの言葉の通り、剣の防御が上げた効果は精々身体が方々ほうぼうに千切れ飛ぶのを阻止したくらいだった。


 ハンナの肉体は腹の大穴に加えて、投げ飛ばされた時に右脚の付け根から左脇腹まで深く抉られ、臓物を外気に晒している。


「女が倒れているぞ! グリュー! マイト! 手当しろ!」


 檄。飛ばしたのは先頭を駆ける――赤。ハンナの目にはそう映った。


「吶喊!」


 赤の塊。先頭の馬に乗っていた人物をハンナはそう表現した。


 塊は集団を引き連れて化物へと駆けていき、その集団からグリューとマイトが離れて寄り添った。


「大丈夫か!?」

「……ハイケス様、彼女はもう……」

「――ゴフッ!」


 グリューに抱き起こされ、ハンナはその衝撃で血反吐を吐く。この時視界に入って来た光景を見て、ハンナは赤の正体に気づいた。


 赤とは『縁』である。


 ハンナは自分から続く赤糸が、前方のガロアとミネアに繋がっているのを視た。


 死ぬ直前に縁覚を与えるとは……。ハンナは空を怪訝な目で見つめた。脳裏には二つの言葉が反響している。「掴め」そして「縁の行末を知っている」……。


 だが、ハンナは生死の淵に立ち、その向こう側を垣間見ながらも、まるで見当が付いていなかった。


「しっかりしろ!」

「グ……揺するな……ハイケスとやら……」


 ハンナは先程から揺すり続けるグリューを殴った。


「ハイケス様!」

「ぐ、なんという生命力……」


 『挿して見るしかない』。結局の所、ハンナの思考はそれに尽きた。


 つるぎを右手元に隆起させれば、それに絡みつく奇縁も当然のように出現する。だが、女司教が言ったように何処へも伸びていなかった。


「……本当に太い縁」

「なっ……何処から」

「……まるで、へその緒だ……」


 ――『へその緒』


「ふふ、ふははははは……!」

「き、気が触れたか……」


 ハンナはつるぎを手放した。手の内から零れるように、剣は地面に落下する。


 剣に絡み付く縁の伸びる先、ハンナはそれをしかと視た。


 縁は手に向かい――手の平から体内へ。いよいよ以て笑みが深まる。


 ハンナは全身に熱が湧き上がるのを感じた。身体を絶えず駆け巡る血潮が、熱く、熱く滾っているのだ。


 今まで感じた事のない高鳴りに、ハンナはグリューの手を振り切って起き上った。


 傷口からの出血が増す。だが、ハンナはそんな些事には気も留めず、溢れ出た臓物を掻き分けた。


「ふふ……」


 その時、ハンナが見せた微笑みは、まるで聖母のようでもあった。止め処なく溢れる血と臓物の中から取り出したのは――ひとつの器官。


 太い縁はここに繋がっていたのだ。


 ハンナは器官を引っ張り上げて空へ掲げてみせた。それは、天から見下ろしているであろう『アレス』への報告であったのかもしれない。


「なんと……」

「うっ……オエッ……」

「マイト!」


 グリューはその雄姿に敗北し、マイトは嘔吐した。ハンナの視界から二人の姿はすでに消えている。


 自分しか存在しない空間で、ハンナは得心に至っていた。


 そうだな、お前の言うとおりだった。知っていたよ。


 本当は最初から知っていたのだ。『見ないふり』とは少し違う。しかし、それも今はどうでも良いことに思えた。


 地面に横たわるつるぎを拾い上げ、右に。鞘を左に。



「ふふふ、凱旋だ」



 納剣は鉄の味がした。

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