異郷の敗軍

 彷徨うこと十日前後。ウォーフは放浪の中で初めて口に入れられそうな植物に行き当たる。


 蔓植物であるそれは『シルサ』。この植物は土の中の水分をとても良く吸い上げる為、蔓を切ると豊富な樹液がしみ出してくるのだ。


 ウォーフは頭上と地面を確認するが、実は一つも落ちていなかった。かなり気落ちしたが、今は樹液だけでも有り難い。


 ウォーフは蔓に手斧を叩き付けた。


 しかし、手斧は蔓の中程まで食い込むに留まる。ウォーフは力なく手斧を握り直し、もう一度叩いた。


 今度の一撃は蔓を両断足らしめるには十分だった様で、断面からジワリと樹液が染み出す。


 樹液を舐めながら、腰のから水筒を一瞥する。樹液を溜めておけば安心だな、と考えて、すぐに発想の馬鹿馬鹿しさを自嘲した。


 ――この水筒を一杯にする頃には死んでるだろう。


 ウォーフは束の間の癒しを切り上げ、又ふらふらと歩き出した。


「川……川……」


 川さえ見つかれば、水は問題ない。水音など何処からも聞こえて来ないが。或いは、それすらも聴き取れない程に弱ってしまったのか。いやいや、それよりも食料だ。


 ウォーフの脳内は混迷を極めつつある。


 この時、ウォーフの居場所から少し離れて西方に男女二人組の旅人の姿がいた。


 これも、アレスの指図だろうか?


 まるで、磁石と磁石が引き合う様に、朝露が一つの水滴に纏まる様に、彼らとウォーフは知らず知らずのうちに緩やかに引き合う進路をとっていた。


 二人組の片割れが何者かの気配を捉える。


「なにかの気配がある。獣なら取って食うぞ!」

「ちょ、ちょっと、何処行くんだよ! ハンナ!」


 この出合いはウォーフからすれば幸運。ハンナからすれば単なる偶然。


 ガロアからすれば……。


「獣……? 俺が、食う……」

「ほう、コイツは……エルフか。背丈は十分だな」


 ――腹が減った。


「女ァ……食料を渡せ……」

「断る」

「殺す」


 二人はそれ以上の問答を必要としなかった。


 ハンナが即座に荷物を投げ置き、剣を抜き放つ。ウォーフは反射的に背中を探るも、その右手は空を切った。


 そこに背負っていた大剣は既に打ち捨てた後だ。舌打ちしながら手斧を構える。


「ハンナ。争いになるなら、食料ぐらい渡しても……」

「鞘かどうか試す。手出しは無用」

「試すって……」


 ――鞘、帝国騎士鎧、子供、護衛なのか?


 ウォーフの胸中に次々と疑問が生まれるが、それらが確固たる形を持つ前にハンナの斬撃によって火蓋は切り落とされた。


 騎士らしい格式張った剣筋を、ウォーフは半身になって手斧で受け流す。


 一合、たった一合こなしただけで、空腹が堪える。ウォーフはしっかりと気合を入れ直した。さもなければ得物を手放してしまいそうだ。


 それでも奥歯を噛み締めて思考する。会話から察するに、女さえ倒せば後ろの子供ガキは食料を出す筈なのだ。


 次々に繰り出される剣撃を躱しながら観察を続ける。体力が持つのは一度切りだ。アレを決めるしかない。


 ――刮目しろ!


 ウォーフが動く。今まで防戦一方だった者が能動的な行動に出た事に、ハンナは警戒しつつ上段から振り下ろした。


 その一撃を、ウォーフはあえて正面から受け止める。


「グゥ……」


 手斧ごと叩き斬られたのかと錯覚してしまう一撃を何とか留めた。その衝撃で、受け止めた剣から一瞬だけ力が抜ける。


 その一瞬をウォーフは逃さない。


 手斧が瞬時に複雑な円軌道を描いた。


 瞬間、ハンナの剣が舞い上がる。ウォーフは手斧を浮いた剣に絡め、巻き上げたのだ。


 ハンナは何が起こったのか分からないと言った顔で、宙を舞う剣を見つめた。


「勝負は着いた。命までは取らねぇ、食料をよこせ」


 ウォーフは斧を突き出しながらそう告げるも、ほとんどハッタリ混じりだった。もう止めを刺すだけの余力はない。


 ハンナはそれに気付いているのか、いないのか、嘲るように笑った。


「フフフ、勝負は着いた?」

「……武器はもうないだろ」


 目の前の女が何故余裕を保っていられるのか、ウォーフには理解できなかった。


 ――物狂いか?


 見た所、得物を隠し持てそうな格好でもない。すると、ウォーフの目に後方で心配そうに見物を決め込んでいたガロアが全身で嫌悪を表現する姿が映る。


 遅れて、仰々しく掲げられた大剣を認識した。


「なっ……そ、それを……何処から出した……」

「ふふっ……」


 ウォーフの胸中には勿論驚きも合ったが、大半を占めていたのは感嘆の念だった。


 見蕩れ、惚けた。その分だけ攻撃への反応が遅れる。


「うおっ……」


 先程とは一変して雑兵の如き力任せの一振りに、ウォーフは必死に手斧で応戦する。ところが、斧はまるで飴細工のように斬り飛ばされた。


 上体を思わず反らせていた為に辛うじて剣の軌道から逃れるも、追撃に繰り出された前蹴りで転倒する。


 転がったウォーフの手足は立ち上がろうと藻掻く。


 しかしながら、その手は土を引っ掻くに終わり、足は軟体動物の様に地を滑るばかりだった。


 剣を手元に引き絞るハンナの姿が見える。このまま串刺しにするつもりなのか。


「くそっ……」


 ウォーフの視界が徐々に暗転していく。


 ――ああ、本当に雄々しいな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る