一巡目のプロローグ その3

 ファート王国建国の王ヴィシルダ1世は多縁であったと伝えられる


 世界中を巡り、六人もの縁者を娶ったが


 「最後の一本が心残り」と死に際に漏らしている


 多縁の者は恋多き人生を歩むと言われ


 「英雄色を好む」とはこれが元である


 ――ファート王国記 ヴィシルダ1世 より





 ファート王国とローレリア帝国の国境沿い。緩衝地帯と称される山中を、一人の男が彷徨い歩いていた。


 男はふらふらとゆれながら、足元に生えていた雑草をむしり、噛みしめる。


 そのような奇行を繰り返す男の短髪からは、人のそれと比べて幾分か長い耳が覗いていた。


 男は歩きながら雑草をむしって食べ、夜には星を見て方角を見極め、また朝になると歩くのを繰り返す。


 食える草や実の知識もあるにはあったが、何故か男の道中には一つとしてそれらが見受けられなかったのだ。


 ファート王国にて傭兵の看板を掲げていたこの男の名は「リー・ウォーフ」。それが何故死にかけながら緩衝地帯を彷徨っているのか。


 それを語るには十日程前に遡らなくてはならない。


 始まりはリッティアという村である。


 ある日ファート王国中をある報せが駆け巡った。


 『リッティア滅亡』命からがら逃げ延びた者たち曰く、「化物が出た」と。


 リッティアにほど近いハイケスの領主――グリュー・キ・ハイケス――は当然対応を迫られた。


 グリューは私兵団を派遣する前に、傭兵たちへ決して少なくない額をばら撒いて先遣隊を編成する。


 そうして集まった傭兵の一人がリー・ウォーフであった。


 依頼内容は被害の確認と足取りの調査。先遣隊だけでの討伐を命じられていたのなら、ウォーフは断っていただろう。


 だが、調査だけなら危険は少ないと踏んだのだ。そして予想は的中し、調査は順調だった。


 順調すぎた。


 その所為なのだろう。ウォーフはここで判断を誤る。傭兵たちは到着したハイケスの私兵団から、追加で山狩りを依頼された。


 報酬は破格であった。ファート王国の国民特有の気前の良さだったが、それがウォーフにとっては災いした。


 ウォーフはその話に乗る。乗ってしまう。然し、災いの中にも幸運はあったのだ。


 一つ、ウォーフが山狩りを行う集団から尿意を理由に抜け出していた事。


 そしてもう一つ、ウォーフは戦場で生き残るという事に際して天賦の才を持っていた事だ。


 尿意を開放する最中、突如響いた色濃い死の悲鳴にウォーフは躊躇せずズボンを引き上げて走った。


 小便をズボンに垂れ流しながら。


 この恥も外聞もなく死力を尽くす判断力こそ、ウォーフを今日まで生き残らせたのである。


 夜になるまで走り、ウォーフは星から方角を確認した。当然ながら王国側に戻ることなど考えられない。


 ならば、緩衝地帯を抜けて帝国側の村に辿り着くしかないだろう。だが、自分には草花や実の知識があるし、それを活用して来た経験がある。


 この時のウォーフはそう気楽に構えていた。


 しかし、生存の幸運を甘受したウォーフは不運に見舞われる。


 期待していた食える草や実などは全く見当たらず、結局十日も手持ちの水と食料以外飲まず食わずで行軍したのだ。


 食料を切り詰めての道すがら、徐々に身に着けた荷物がその重量を主張してきた。


 四日目に差し掛かった頃、ウォーフは背負っていた大剣を捨てた。幾つもの戦場を渡り歩いた相棒だったが、手斧があるから不要だった。


 次は背嚢の中身に手を付けた。必要なものを除いて雑貨を捨てる。王国を放浪する中で入れっぱなしだった思い出の品達だ。それも今は重荷にしかならない。


 七日目か八日目の日にちの感覚も薄れた頃、少しずつ消費していた食料が底をつく。


 ウォーフは最後に水筒と手斧だけを取り出して、報酬の金銭ごと背嚢を捨て去った。


 全てを捨て去り身軽になれども、食えるものも見当たらなければ帝国の村も見えてこない。


 もしかしたら通り過ぎてしまったのではないか、と何度も思った。


 けれど、引き返すには遅すぎる。


 ウォーフは夜に方角を確認し、また朝になると歩いた。


 しかし、人生万事塞翁が馬。この不運の後に、ウォーフはまた幸運に巡り合う事となる。

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