僕が知らない君の話 (ジャンル:現代ドラマ)

僕が知らない君の話

 同じクラスの遠藤さんは、何かと目立つ女子だった。

 まず容姿が目立つ。すらっと背が高くて、他のクラスメイトよりも大人びた顔立ちをしている。一言で言うと美人だ。しかも天然の綺麗な茶髪を長く伸ばしているので、更に目立つ。

 学校の成績も目立つ。彼女の名前がテスト結果上位から漏れているのを見たことが無い。おまけにスポーツ万能でもある。

 行動も目立つ。成績の良さとは裏腹に、遠藤さんの授業態度は不真面目そのものだった。授業中に寝ていることはザラにあるし、いつの間にか教室を抜け出して行方をくらましたこともある。遅刻は毎日のようだし、そもそも学校に来ないことすらあった。


 そんな目立つ遠藤さんだったけど……彼女は極端に無口だった。クラスどころか学校内で誰かとまともに話しているのを見たことがない。話す必要がある時だけ、極めて事務的に淡々と話して、それでおしまい。非常にそっけない。

 だから、遠藤さんはクラスメイトからはちょっと怖がられてもいた。実害があったわけじゃないけど、ミステリアスを通り越して「よく分からない人」扱いされていたんだ。

 美人だし恰好良いので、男女問わずお近付きになりたいと思っている人は少なくなかったけど……そもそも、休み時間や放課後に教室に残っていることも少ないので、話しかける機会が殆どなかった。


 そして、中学二年の夏を過ぎる頃には、誰も遠藤さんに近寄ろうとしなくなっていた。

 彼女の一挙手一投足に目は奪われるけれども、みんな遠くから見ているだけ。恐れ――というよりはおそれの対象になっていたんだろう。


 かくいう僕もそんな人間の一人だった。

 遠藤さんのことは綺麗だとも恰好良いとも思うけど、それ以上に底が知れないのであまりお近付きになりたくはなかった。

 そもそも、成績もスポーツも見た目も「並」で、無遅刻無欠席しか取り柄のない僕のような人間と遠藤さんとじゃ、見えてる世界も違うことだろう。もし話す機会があったとしても、きっと全く話題がかみ合わないに違いない。


 ――僕はそう。あの日の朝までは。


 そう、あれは残暑も終わり日に日に肌寒くなっていく、初秋の朝のことだ。

 僕はいつものように早い時間に家を出て、学校へ向かっていた。僕の家は学校からは遠く、本来はバスか自転車で通学した方が楽な距離なんだけど、少しでも体力をつけたいと考えて、徒歩での通学を選んだ。

 とは言え、ただ学校までの長い道のりをとぼとぼ歩くのは中々に退屈だ。そこで僕は、父から古いICレコーダーを譲ってもらって、それで英会話の教材を聴きながら登校することにしていた。

 普通に音楽でも聞けば良かったんだろうけど、そこはそれ、背伸びしたいお年頃というやつなのだ。


 そうしていつものように何事もなく、学校までようやく半分くらいまでやってきた時のことだった。

 少し先の歩道で、ジャージ姿の女の人がしゃがみこんでいるのが目に入った。「一体何をしてるんだろう?」と、ちょっと不審な目で見てみると、どうやら左足を抑えてうずくまっているようだった。足を痛めたのだろうか?


「あの、大丈夫ですか?」


 よせばいいのに、気付けば僕は女の人の方に駆け寄って声をかけていた。これで相手が変な人でいきなり襲われでもしたら、息子をお人好しに育てた両親を呪おう……なんて益体やくたいもないことを考えていると――。


「あれ? 君、同じクラスの――」


 女の人が顔を上げるなり、僕の名前を呼んできた。女の人は……遠藤さんだった。


   ***


「悪いね。重いでしょ?」

「と、とんでもない!」


 思わず声が上ずったけど、それも仕方ないだろう。僕は今、人生で一番緊張しているのだ。

 今の状態をありのまま説明すると――僕は遠藤さんと肩を組んで歩いていた。もっと正確に言うと、彼女に肩を貸していたのだ。


 ――話を聞いたところ、遠藤さんは日課のランニング中に足を捻って強く痛めてしまったらしい。そのまま痛みが収まるのを待っていたところ、僕が通りがかった、ということらしい。

 そして僕がクラスメイトの顔見知りであることを知ると、これ幸いとばかりに「ちょっと家まで肩貸してくれない?」とトンデモナイことを言い出したのだ。


 「肩を貸すくらいでトンデモナイとは大げさな」と思った人がいたら想像してみて欲しい。

 僕の首に回された遠藤さんの腕は思ったよりも華奢きゃしゃで、否応にも「女の子」を想像させた。

 ランニング中だった遠藤さんは当然の如く汗をかいていて、そこはかとなく色っぽい。

 僕の右肩は遠藤さんの脇の辺りと密着しているので、時々明らかに他の部分よりも柔らかい何かの感触が伝わってくる。

 これで緊張しない、異性とお付き合いしたことのない中二男子がいたら、教えて欲しいものだ。


「本当に助かったよ。ちょっと痛すぎて家まで歩くのは無理そうだったから……ありがとね」

「ま、まあ、ほら。僕も偶然通りかかっただけだし。気にしないで」


 こちらの緊張には気付いていないのか、遠藤さんがフランクな感じで話しかけてくる。なんだか学校での彼女とは別人みたいだな、なんて思いながらも、何とか返事をした。

 もっとクールでそっけない感じかと思ってたけど……案外そうでもなかったのだろうか? なんとなく気になってしまった。

 だから、緊張をごまかす意味合いも含め――体の右側に感じる柔らかさから意識をそらす為に―――僕はもう少し遠藤さんと話をしてみようと思ったのだ。


「遠藤さん、ランニング始めてもう長いの?」

「ん? ああ、そうだね。中学に上がる少し前からだから……一年以上はやってるかな」

「やっぱり、体力作りの為?」

「うん。もちろんそれもあるんだけど……メインはこっちかな」


 そう言って遠藤さんがジャージのポケットから取り出したのは、古いICレコーダーだった。多分、僕のとほぼ同じ型だ。

 音楽を聴くには不向きな機種なので、大概の人は語学学習用に使っているはずだけど……遠藤さんもそうなのだろうか?


「もしかして、英語の勉強?」

「いや、ドイツ語」

「……ドイツ語?」


 あまりに予想外の答えに、僕は思わずオウム返しに聞き返していた。

 きっと僕は間抜けな顔をしていたのだろう。遠藤さんは僕の反応に苦笑いしながら説明してくれた。


「私の母方のおばあちゃんがね、ドイツ人なんだ。それで、再来年から向こうで一緒に暮らすことになってるから、今のうちにドイツ語を覚えなきゃいけないの。おばあちゃんは日本語も話せるけど、向こうで生活するには私もドイツ語くらい話せないとねって」

「……えっ?」


 『おばあちゃんがドイツ人』『再来年から向こうで暮らす』『ドイツ語くらい話せないと』という言葉が僕の頭の中でぐるぐると回る。

 つまり、それって――。


「遠藤さん、日本の高校には行かないの……?」

「うん。ドイツで暮らすことになるから、向こうの学校に行く予定なんだ」


 そう答えた遠藤さんの横顔は、どこか寂しそうだった。



   ***


 しばらくして、僕達は無事に遠藤さんの自宅マンションの前まで辿り着いていた。

 時計を見ると……うん、ここからなら早足で歩けばギリギリ登校時間に間に合う。どうやら無遅刻無欠席は死守できそうだ。


「――ここまででいいよ。ありがとうね」

「……どういたしまして。本当に気にしないで、通りかかっただけなんだから。というか、その足で今日学校、大丈夫?」

「うーん……テーピングでガチガチに固めれば少しは歩けると思うけど……どっちにしろ遅刻確定だからなぁ。今日は休んじゃおうかな? どうせ内申とか私には関係ないし――」


 ――まただ。また寂しそうな顔をしている。

 遠藤さんは、「ドイツの学校に行く」と言った時にも同じような表情を見せていた。

 もしかして彼女は、日本の高校へ進学できないことを寂しく思っているのだろうか?

 だとすると……もしかして。


「ねえ、遠藤さん。その、違ったらごめんなんだけど……もしかして、遠藤さんが学校であまり他人と話さないのって、仲良くなると後が辛いから、なのかな?」

「……あ~、それ言っちゃう? 君」

「……ごめん」

「いいよ、謝らなくて! う~ん、今日までクール気取ってたけど、怪我で心細くなって素が出ちゃったね。うん、そう。本当の私はとっても寂しがり屋なの。ドイツ行きが決まってからは、別れるのが辛くなると嫌だから友達作らないようにしてたんだよね! うんうん、我ながらバカなことやってるとは思うんだけどさ」


 やっぱり、か。

 遠藤さんが学校で他人にそっけない態度を取るのは、仲良くならない為だったんだ。

 もし仲良くなったら――友達になってしまったら、いざドイツに行く時に離れるのが辛くなってしまうから。


 ……バカだ。遠藤さんも自分で言ってるけど、本当にバカな話だ。

 別れる時の寂しさを避ける為に、中学の三年間をずっと一人寂しいまま過ごすなんて、本末転倒もいいところだ。


 なんでだろうか。僕は今、無性に腹が立っていた。一体何に対して怒っているのか、自分でもよく分からない。

 バカなことをやって自分をごまかしている遠藤さんに対してだろうか。

 遠藤さんにこんな思いをさせてしまっている、ドイツ行きを決めた誰かにだろうか。

 それとも、今まで遠藤さんのことを勝手に決めつけて近付こうともしなかった自分に対してだろうか。


 とにかく、腹が立って腹が立って、何かをやらずにはいられなかった。

 だから僕は、気付けば普段の自分なら絶対に言わないようなことを口走っていた。


「遠藤さん、学校ちゃんと来なよ。僕の肩なら、いくらでも貸すからさ」


 僕の言葉に、遠藤さんが呆気にとられたような、それでいてどこか照れたような表情を見せる。

 そして――。


 ――そしてその日、僕ははじめての遅刻をしたのだった。

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