お水をいっぱい、いかがですか?(ジャンル:ホラー)

お水をいっぱい、いかがですか?

 ――梅雨が明け、いよいよ夏が本格的に始まろうとする中、僕は幼馴染のケンイチが眠る墓地へとやって来ていた。


「やあ、今年も来たよ」


 墓石に呼びかけてみても、当然返事はない。別に返事を期待してのことではないし、返事があったら逆に怖いのだけれども。


 ケンイチが亡くなったのは、もうかれこれ十年以上前、僕らが小学三年生だった夏のことだ。

 大人達に「子供だけで海に行ってはいけないよ」と耳にタコが出来るくらい言われていたのに、あの夏、僕とケンイチと数人のクラスメイト達は、親の目を盗んで子供だけの海水浴へと出かけていた。


 「波打ち際で遊ぶだけだから大丈夫」という無根拠な自信は、一時間ほどで打ち砕かれた。ケンイチの姿が、いつの間にか見えなくなっていたのだ。

 そこですぐに大人に助けを求めればよかったのに、僕達はそうしなかった。大人達に黙って海水浴に来たことがバレるのを恐れたのだ。愚かにも僕達は自力でケンイチを探そうと、海岸線を走り回り――気が付けば既に日が暮れようとしていた。


 ――そこから先のことは、よく覚えていない。

 誰かが親に連絡したのか、それとも監視員や警察官に助けを求めたのか。気付けば、親達や学校、警察を巻き込んでケンイチの大捜索が始まっていた。

 親は僕達を叱るどころか、「大変だったね」と慰め、強く抱きしめてくれた。誰かが泣き出して、それが引き金となったのか、皆でワンワンと泣いた。


 ケンイチはその日の内には見つからず、僕らはそれぞれ家に帰って眠れぬ夜を過ごした。

 結局、ケンイチは次の日もその次の日も見つからなかった。僕らは、その現実を受け入れられず、彼がその辺の物陰からひょっこりと「ばあ!」なんて言いながら顔を出してくれることを願った。

 でも、現実は残酷だった。一週間以上も経ったある日の朝、ケンイチは変わり果てた姿で地元の漁船に発見された――。


「――それにしても随分と汚れてるな。今、綺麗にするからな……」


 梅雨を経たせいか、墓石にはカビらしき緑色が所々に付着していた。僕はカバンから新品の雑巾を取り出すと、それを使って乾拭きで墓石の掃除にかかった。

 水は使わない。水の中で苦しんで死んだであろうケンイチの墓に、水をかけて掃除をするのは何となく気が引けたのだ。


 ケンイチの命日の前に――ご家族が墓参りをする前に、出来るだけお墓を綺麗にしておく。それが、僕が自分自身に勝手に課した償いだった。

 自己満足でしか無いとは思いつつも、これ位しか出来ることが思い浮かばなかったのだ。


 ケンイチが死んだ後、彼のお母さんはすっかり頭がおかしくなってしまい、どこかへいなくなってしまったらしい。まだ幼かったケンイチの弟と妹を残して。

 それ以来、ケンイチのお父さんが男手一つで子供達を育てているらしい。時折、街中で見かけることもあるが、うちの両親と同年代とは思えないくらいに老け込んでしまっていた。人相もこの十数年でだいぶ変わってしまっていて、昔の写真と比べるとまるで別人だ。

 きっと、僕なんかには想像も出来ない位に苦労をされたのだろう。それもこれも全て、僕らの責任なのだ。


「暑い……」


 墓地の周囲には高い建物も無いので、真夏の日差しが容赦なく照りつけていた。乾拭きだけで墓石を綺麗にするのは中々の重労働で、しかもこの日差しだ。既にシャツは汗でびっしょりだった。

 喉ももうカラカラだ。本当なら水の一杯でも飲まないと熱中症になりかねないんだけど……水をたらふく飲んで苦しんで死んだであろうケンイチの墓の前で水を飲むのは、なんだか申し訳ない気持ちがする。だから墓参りの最中、僕は一滴の水も飲まないことにしていた。

 墓石の掃除に水を使わないのと同じく、ただの僕の自己満足だ。でも、それ位のことでもしないと、いつしか償いの気持ちを忘れてしまいそうだったのだ。


 ――そのまま、一時間以上をかけてようやく墓石はピカピカになった。

 やはり一人だと大変だ。昔は、ケンイチが海に消えた時に居合わせた仲間全員でやっていたので、今よりも早く終わっていたんだけど……いつしか一人、また一人と連絡が取れなくなり、遂には僕一人になっていた。

 進学先もバラバラだったので、彼らとの関係も自然消滅した。薄情だ、と何度も思ったものだけれども、きっと彼らには彼らの考えがあったのだろう。


 みんな元気だろうか? ふと、そんな考えがよぎった、その時だった。


「――お水をいっぱい、いかがですか?」


 背後から、そんな声が聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、そこには見知らぬお婆さんが一人、ニコニコと笑顔を浮かべながら佇んでいた。喪服姿なところを見るに、墓参りの人だろうか? 手には何故か、紙コップとミネラルウォーターのペットボトルを持っている。


「あらあら、びっくりさせてしまったかしら? こんなお暑い中、随分と一生懸命にお墓を掃除してらしたので気になってしまって……。ささ、喉が渇いたでしょう? お水をいっぱい、いかがですか?」


 そう言って、ペットボトルと紙コップをこちらに差し出すお婆さん。なるほど、汗だくな僕を見かねて水を差し入れようと思ってくれたらしい。

 確かにもう喉はカラカラで正直倒れそうだ。お婆さんの申し出は、とてもありがたかった。でも――。


「ご親切にありがとうございます。でも、お水は結構ですので……」

「あらあら、遠慮することはないのよ? そんなに汗をかいて、熱中症にでもなったら大変だわ! さあさ、お水をいっぱい召し上がれ」

「いえいえ、ですからお水は――」


 激しい日差しが降り注ぐ中、僕とお婆さんとの押し問答は両者一歩も譲ることなく延々と続いた。親切なお婆さんだけど、それ以上に強情なところもあるらしい。

 僕の方も、ありがたくいただけばいいだけなのに、ちょっと意固地になってしまっていた。ケンイチのお墓の前で水を飲むことに、それほどの抵抗を感じていたのだ。

 とは言え、このままでは埒が明かない。仕方ない。正直なところを話そう。


「お婆さん、お心遣いはとてもありがたいのですが……その、このお墓に入っているのは水の事故で亡くなった友達なんです。だから、彼の前で水を飲むのは、ちょっと……」

「――っ」


 我ながら「こんな説明で伝わるのかな?」と思ったけれども、お婆さんには無事伝わったようで、物凄くびっくりしたような顔をして固まってしまっていた。

 何か、親切を仇で返したようで気まずい……。


「あ、あの! お気遣い本当にありがとうございました! お婆さんもどうぞお体にお気をつけて!」


 いたたまれなくなった僕は、足早にその場をあとにした。

 途中で振り向くと、お婆さんはまだペットボトルと紙コップを突き出したままの恰好で固まっていた――。



 ――お婆さんに悪いことをしてしまったかもな。そんな気持ちを抱えたまま帰宅すると、母が血相を変えて玄関先に飛び出してきた。


「ちょっと、大変、大変なのよ!」

「落ち着いて母さん。何が大変なのさ?」

「これが落ち着いていられますか! いい、落ち着いて聞くのよ?」


 何やら矛盾めいた言い回しだが、母の表情は真剣だった。なので、僕も大人しく頷き次の言葉を待った。


「今日ね、あんたの小三の時の担任から連絡があったんだけど……その、ケンイチ君が亡くなった時に一緒に海へ行った子達のこと、覚えてる?」

「もちろん覚えてるけど……それが何か?」

「あのね……あのね、先生が言うには、一緒に海へ行った子達は、あんた以外全員亡くなってるらしいのよ! 知ってた?」

「――え?」


 全く予想外の言葉に、一瞬頭の中が真っ白になった。

 あの時のメンバーが、僕以外全員死んでいるだって? なんの冗談だ、それは。


 ――母の話を要約すると、こうだ。

 ある日、僕達の元担任に警察から連絡が入った。ここ数年で起きたとある連続不審死事件を追っていたところ、全員が小学三年生の時に同じクラスであることが判明したというのだ。そこで元担任である先生に、彼らに何か共通点がないかどうか尋ねてきたらしい。

 「まさか」と思いつつ、その元児童達の名前を聞いた先生の背筋が凍りついたであろうことは、想像に難くない。


 ――しかし、全く予想外なのは彼らの死因だった。

 彼らは全員「溺死」したというのだ。しかも、ただの溺死ではない。「陸上で溺死した」らしい。

 警察によれば、何者かによって大量の水を強引に飲まされたことによる窒息死ではないか、ということらしい。

 「大量の水」つまりは「いっぱいの水」を飲まされて……。


『――お水をいっぱい、いかがですか?』


 何故だか不意に、昼間のお婆さんの声が蘇り、僕は一人身震いするのだった――。

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