故郷ー地球ーへ

 踊り終えた俺とマイラは、宇宙船へと戻った。

 現在、午前10時20分。ロケットが発射してから、1時間が経っていた。

 その1時間、宇宙に出てからの体験は、報告書を何百枚と書いても説明できるものじゃない。

「名残惜しいけれど、そろそろ帰還時間だ。それに、今、みんなとすごく会いたい」

 ――うん。いっぱいお話しすることがあるね。

 みんなとは、ソフィエスだけでなく、他の国の人々もだ。

 帰還後、俺は様々な場所に行き、色々な人と出会いたかった。

 世界の人々に、俺が宇宙で感じたことを伝える。

 それが、俺のこれからの使命だと思うからだ。

 けれど、全ては無事に地球に戻ってから。

「まだ、油断はできない。戻ってこそ、任務を果たしたことになるんだ」

 俺たちが帰還し、今回の計画は真の意味で成功となる。

 次の有人飛行に繋がるために。

 ブゾールのぞき窓から地球を見れば、今、南大西洋からアフリカ大陸の東岸に進んでいる。

 予定では、この後、宇宙船の逆噴射エンジンが吹く。それで船が180度回転して、大気圏再突入の準備は整うのだ。

 ……しかし、エンジンは吹かなかった。

「……おかしい。どうしてエンジンが作動しない? 管制室、フルシェコ博士、そちらに、船の異常は感知していませんか? ……管制室?」

 異常を通信機に訴えても、反応は無かった。

「まさか、故障?」

 

 ――宇宙船には、203か所の問題点がある。


 唐突に、ソロモン教授の言葉が頭によぎる。

 みなを信じていたが、予期せぬ故障が発生したのか。

 ――まるす、思い出して。ふるしぇこ博士の教えてくれたことを。

「分かってるよ。みなの作った宇宙船は、完璧なのだから」

 もしもの時、何をすればいいのかは覚えていた。

 博士から教えてもらった手動制御の番号入力だ。

 その番号――185795――を左の制御盤に打ち込む。

 これで、次に赤いスイッチを押せば、逆噴射エンジンが起動するはずだ。

 スイッチを押す。

 ……何も起こらない。

 もう一度……でも同じだった。

 三度、四度、繰り返す。それでも、宇宙船は何も答えてくれなかった。

 ……このままでは、まずい。

 もし逆噴射しなければ、宇宙船は地球に戻れない。すなわち、俺たちはこのまま永遠に宇宙で地球を回り続ける。

 あるいは、逆噴射ができたとしても、想定した着陸地点から外れてしまう。そうなると、機密保持のため、宇宙船、俺たちの身は危険になるのだ。

 どちらにしても、無事に帰還は叶わない。

 ……つと、汗が垂れる。

 ――まるす、わたしは、信じている。

 分かっている。考えろ、何か方法があるはずだ。ここまできて、諦めてたまるか。

 そうだ、手動操作で宇宙船の向きを変えれば――

 思考と同時に手は動いていた。

 右のハンドルを握り、前に倒す。船はゆっくりと向きを変え始めた。姿勢制御用の窒素ガス噴出装置は、ちゃんと動く。

 船の向きを変えるうえで注意するのは、角度だ。

 大気圏への再突入角度を誤れば、船は断熱圧縮で燃え尽きる。

 慎重に、的確に定めなければいけない。

 機器が故障している状態で、それは一種の懸けだった。

 つまり、目隠しされている状態で、針の穴に糸を通すようなものだ。

 ――わたしに、任せて。この子が一番気持ちよく地球に戻れる位置を、感じ取るから。

 マイラが、答えてくれた。

 俺と彼女と宇宙船。この三つが揃えば、絶対に大丈夫だ――と、直感した。

 マイラと船を信じて、俺はハンドルを倒す。

 右手にマイラの手が添えられている気がした。

 ――まるす、ここ。

 制止の声とともに、ハンドルを止める。

 彼女が導き出してくれた答え、疑うはずもない。

 その証左に、船は反転し、俺は地球に対して背中を向けている。

 刹那、僅かではあるが、身に重みを感じた。

 つまり、地球に近づいているのだ。

 やった! と、声を出すのをこらえる。まだ、帰還への一合目を登ったばかりだから。


 船が小刻みに震える。ブゾールには、炎の揺らぎが見えた。今、船は地球の大気圏へと突入している。

 少しずつ、少しずつ、地上への距離が迫っていることに、嬉しさを覚えた。

 ほんの2時間前は、はやく宇宙に飛び出したかったのに、皮肉なものである。

 しかし、それは地球の外に出て、改めて自分の星の良さを知ったからだ。

 地上に戻った時、初めて会う人には何と言おう――

 ――まるす!

 マイラの警鐘の声と同時に、ガンッ! と、強い衝撃音が鳴り、揺れが起こった。

「え、な、なにが――」

 原因を考える間もなく、身体が激しく揺さぶられる。ぐるん、ぐるんと、右に、左に。

 ――きゃああああ!!

 この回転は、同乗するマイラにも悲痛な声を上げさせていた。

 バチッ、パチッと、火花の散るような音が響く。温度が上昇しているのが分かった。

 これは、外壁が焼けている? でも、どうしてこんなに回転するのか分からない。

 通常であれば、逆噴射エンジンの起動後、次にカプセルと機関部が切り離される。

 しかし、エンジンの起動命令が実行されていないため、次の切り離しも同じく……?

 つまりは、余分な重りが、今の異常状態を引き起こしている。

 俺とマイラの共同作業は、全くの無意味だった――

 室内の気温は上昇しているはずなのに、スッ――と血が引く。

 ――まるす、ごめんなさい。この子の病気がこんなにも重症だったなんて……。

 ……いや、俺のミスだよ。ひとつの問題に気をとらわれて、連鎖的症状にまで考えが及ばなかった……。

 俺とマイラは、互いに謝罪する。

 仕方ないよ。一秒一瞬で判断しなければいけないなか、俺たちは全力を尽くしたんだ――

 仕方ない? 尽くした?

 ――と、以前の俺なら諦めただろう。

 だが、今の俺たちは往生際が悪い。

 上を向け、前を見ろ。

 可能性は、100万分の1でも残っている限り。

 ――わたしも、あきらめない。二人で、絶対に戻るんだから!

 俺たちの気持ちは、ひとつになる。


 ――君たちを、死なせはしない。


「!? 今の、声は……」

 マイラじゃない。初めて聞く声だったが、どこか、父さんに似ていた。

 ――あなたたちを、待つ人たちのためにも。

 もう一人、別の声も。

「……あなたたちは」

 ――君とは、違う宇宙、似て非なる歴史を辿った地球。そこで僕は声を聴き、ソラを目指した。

 ――そして、私たちも、コスモナウトに。

「他の宇宙のコスモナウト……」

 俺の言葉は、宇宙を、世界を越えて伝わっていた。

 その奇跡に、俺は嬉しさと興奮を覚える。

 ――一度だけで満足せず、再びソラに挑んだ。しかし、それは叶わず、ソラに散った。

 ――だが、後悔なんてあるわけはない。あなたに、感謝したいのだ。

 ――私たちに、夢を与えてくれた。こんなにも素晴らしい世界を、教えてくれたから。

 声が聴こえた後、俺の心は安らぎ、希望は増していく。

 回転は収まってはいない、温度も高いままだ。

 それでも、必ず大丈夫だという確信が湧いていた。

 俺の子ども、兄弟姉妹、自分自身ともいえる存在たちと、会えたのだから。

 コスモナウト――それは無数の宇宙において、魂と意思を共にする同志たち。

「ありがとう……」

 ――……と……う

 二人の声はもうほとんど聞こえなかった。

 けれども、その名前、顔は俺の心へしっかりと刻まれる。

 肉体の滅びが、死ぬことじゃない。俺とマイラの意思は、永遠に生き続ける。

 全ての宇宙へ。


 ――まるす、わたしたち、何があっても、いつまでも一緒。

 マイラ、もちろんだよ。遥か過去、遠い時代、違う世界、異なる宇宙であっても、俺は君と出会う。

 

 約束だよ。


 宇宙と地球の狭間で、俺とマイラは契りを交わした。


 

 

 



 

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